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長所を伸ばしてる場合じゃない

こないだ、得意なことで貢献するための条件について書いた。

アレは僕が日ごろから思ってることをオブラートに包んで書いたんやけど、まだまだ言いたいことあんねん。実は。「え、まだあるん?」みたいな顔せんと聞いてや。まだ始まったばっかりやん。


振り返り

この記事で言いたかったんは、もっと他人を見ろっちゅーことや。最近ではやたらと「自分のために生きる」とか「自分軸」とか、自分自分いう言葉がもてはやされてるけど、得意なことで生きようと思ったら、カギを握ってるんは他人や。周りの仲間や。

自分が何を得意やと思ってるかはどうでもええねん。

RPGを想像したらわかりやすいんちゃうかな?ファイナルファンタジーとかのあれな。自分が黒魔導士やったら、やっぱり魔法で貢献したほうが心強いやん?

「自分、実は剣が得意でして……」なんてしゃしゃり出たところで、勇者には敵わへん。

「まぁ確かに使えるみたいやけど、あなたにはやっぱり魔法を担当してもらいたいなぁ」ってなるわけやん。

かわゆ。

……とまぁ、もしかしたらわかりやすくなるかもと思ってRPGのたとえ出したんやけど、例え話はやっぱり例え話やねんな。現実とはちょっとちゃう。

現実はそないシンプルやない

現実はそない単純やないんよ。現実では、都合よく自分の得意なことを担当できるとは限らへん。そこが難しいとこや。

たとえば、自分の得意分野が資料作成やとしよか。ほんで、自分の同期にプレゼンが得意な田中くんと、契約周りの事務に詳しい鈴木さんがおるとしよや。

ある日、A社への営業を任されることになったとする。このときに、この3人でチームを組めたらベストや。各々が自分の得意を持ち寄れば、それだけで仕事できそうな気がする。

でも、そんな期待をよそに上司が言うんやな。

「今回は資料作成が得意な木村くんと契約周りに詳しい佐藤くんをパートナーに付けるから、あなたはプレゼンを担当してくれ。よろしく頼む。」

さて困ったな。どうしよか?プレゼン苦手やのにな。

選択肢はたくさんあるで?
木村くんと役割を変わってもらうっていう手もあるわな。
プレゼン要素が極限までなくなるような資料を作るっていう手もある。営業のどの段階から担当するかにもよるけど。

選択肢はたくさんあるんやけど、こういうときにはいっそのことプレゼンやってみたほうがええねん。

なんでかって言うたら、人生長いからや。

2つの視点

「得意なこと」っていうのは、2つの視点で考えなあかんねん。ひとつはこないだの記事で書いた、「チームの中でも自分が得意なんか?独りよがりで得意って勘違いしてるだけちゃうか?」っていう視点やな。アメリカ人のチームメンバーに向かって、「僕TOEIC満点なんで、英語は僕が担当しますね。」って言うたらあかんってことやな。

もうひとつは、「今」得意なこと「だけ」でこの先ずっと勝負すんのか?ってことや。つまり、時間経過を考慮するのを忘れんなってことやな。これについて、見逃したらあかんポイントがこれまた2つあるんや。

1つ目:「自分の成長」

10年後の自分を想像したときに、今と同じ能力やったら怖いやん。もっともっと成長してるよ。

僕は会社でコミュニケーション研修やってんねん。でも、僕はもともとは人とコミュニケーションを取りたくないっていう理由で理系に進んで、研究職に就いたんよ。

でもそのあと空前絶後の気の迷いが起きて営業に転職したんや。それを向いてもないのに7年もやったんや。未だに、営業の世界で通用するレベルにはなれてないで。

でも、今のIT企業では「コミュ力モンスター」とか言われて研修まで担当してんねん。どんな風の吹き回しや。人生ほんまわからへん。10年後の自分の能力もわからへん。フランスで配管工やってる可能やってゼロやないで。

2つ目:「環境の変化」

自分の得意なことが、通用しなくなる時代が来るかもしれへんな。さっきの資料作成で言うたら、AIが奪うであろう仕事の筆頭やもんな。せやから、自分の強みを「資料作成が得意」という形で明文化するのんは怖いな。明文化するなら、もうちょい細分化・深掘りして、抽象度を上げておきたいところやな。応用が利くように。

自分の能力の、どんなところが資料作成を得意たらしめてんねやろ?

パワポとかエクセルとか、ツールを使いこなしてるんかな?

見込み客のハートに突き刺さる資料が作れる……つまりは相手の心を読み解くのが得意なんかな?

いや、読み解いてるんじゃなくて、心を開かせるのが得意なんかもしれへんな?

いやいや、相手の心に刺さるプロダクトに見えるように、必要なデータを集めてくるのが上手なんちゃうか?

いやいや、データ集めには興味ないけど、集まったデータを加工するのが上手やねん……っていう可能性もあるわな。

ほんで、そこからさらに深堀りして、なんでデータを集めるのが得意なんやろ?私は一瞬で「コレとコレとコレ!」ってわかるんやけど、同期の子とかは「何のデータを集めたらいいかわからへん」って言うねんな~。なんでわからへんねやろ?あ、こういうの才能なんかな?とかな。ほんで、この才能って、言語化するとどんな才能なんやろ?とかな。

せやから、もし自分が苦手なプレゼンをやる機会が巡ってきたら、やってみたらええねん。強みの抽象度を上げてな。抽象度上げたら、プレゼンに応用できるから。

残念なストレングスファインダー活用術

一番あかんのは、ストレングスファインダーでもなんでもええねんけど、自分の強み診断の結果を、「やらない言い訳」に活用することやねん。これやるやつ死ぬほどおるからな。気ぃつけや。ストレングスファインダーの結果を、目の前の課題に取り組むための武器として使うんじゃなくて、目の前の課題から逃げるためのちょうどいい口実として使うてまうねん。

「僕、コミュニケーションとか社交性が弱いので、プレゼンはやりません。」

とか、

「私、競争心が低いことがわかったんです。だから、成績を貼り出すうちの社風は苦手です。もっと数字にとらわれないような会社に転職しようと思います。」

とかな。

いや、別にええねんで。人生一度きりやし、何やっても自由や。正解なんてないよ。

でもでもでもでも、こんなん、絶対やったらあかん悪手や。この世の終わりくらい悪手や。

コミュニケーションが苦手なことはわかった。社交性が低いこともわかった。でもだからといって、プレゼンはやりませんってのはわからへん。なんやそれ。

そんなん、メンマとナルトがないからラーメン作れませんって言うてるようなもんやで。なくても作れるやろ。

仕事に対する固定観念

なにをやるにしても、まず自分の中にある固定観念を取り払ってほしいねん。その固定観念っていうのは、

  • プレゼンはコミュ力とか社交性が高くないと上手くいかない

  • ライバルに勝つことを目標にできる人しか営業会社では活躍できない

みたいな思い込みや。「●●をするには■■がないといけない」てやつやな。

ちゃうねん。なんにせよ、そんなイメージがあるだけで、実際はそんなことないねん。

ちょっと想像してほしいねんけど、たとえばパスタ屋さんを開くとするやん?ほんなら、普通に考えたら、イタリアンとかで修行を積んだほうがええ気がするわな。

こういう考え方は、「プレゼンやるにはコミュ力が必要」って考え方と一緒や。

でも、必ずしもそうである必要はないやん。別にラーメン屋で修行してもええやろ?

そら、「基本のパスタ」は作られへんかもしれへんで?なんかちょっとちゃうな~っていう仕上がりになるかもしれへん。イタリアンの基礎がごっそり抜け落ちてるからな。でも、「美味ければなんでもいい」という料理の原点に立ち返って考えてみたら、別に教科書通りのパスタにこだわる必要はないやん?

「元ラーメン屋が作ったパスタ」ってことで、堂々と売り出したらええがな。

「パスタとは違うけど、これはこれで美味い!」って評判になるかもしれへんやん。

プレゼンも一緒で、コミュ力が高い人がやりそうなプレゼンを真似する必要はないねん。たぶん自分が真似しても下手やし、不慣れなことやったら聞いてる相手も、「なんか初心者くさくて聞きづらいな……」って感じるやろ?

そうじゃなくて、
「私は資料作成が得意」
→「資料作成が得意なのは、相手の課題を言語化するのが得意だから」
→「もし今回のプレゼンが大成功に終わったとしたら、それは私が自分の才能を●●という形で活かしたから」

っていうふうに、自分の得意を活かしたおかげで成功する未来を描いて、そこから逆算すんねん。

腹いっぱい食えるラーメン屋って腐るほどあるのに、腹いっぱい食えるパスタ屋ってほとんどないよな。せや、半年後、うちのパスタ屋が繁盛してるのは腹いっぱい食いたい学生や現場仕事の人がガンガン来てくれるからや。それを実現できたのは、俺がラーメン屋やってたときにうまくいった「替え玉」「追い飯」をパスタ屋に取り入れたからや。ただパスタはどうしてもフライパンでソースと絡める作業が必要やから、ただ麺のお替りを提供しても味が薄いねんな。せやから、味の濃いかえしを用意しておいて、それと絡めてから出す。味変みたいなもんで、パスタの替え玉は、そもそも1杯目とは違う味を楽しむもんなんやっていう方向でやったらええんちゃうか。

AIの限界「ラーメン屋で食べるペペロンチーノ」ちょっとちゃうな、ペペロンチーノ。

そうやってオープンしたパスタ屋は、イタリアンで修行したヤツが出す王道のパスタ屋とはだいぶちゃう仕上がりやろ。でも、ええねん。繁盛したらええんやから。人によっては、もはやパスタ屋かどうかすらどうでもよくて、店に来た客が「うまい!」って言えばなんでもええねん……みたいなケースもあるわな。

プレゼンも一緒や。

見込客が、こいつらに任せてみたいなと思ってくれたら何でもええねん。そうなるための要素は、必ずしも「話が上手」だけちゃうよ。むしろ、信頼できへん雰囲気のヤツが話うまかったらめちゃくちゃ逆効果やからな。詐欺師にしか見えへん。

たいていのことは、自分の強みを活用して洗練させる方法があるもんや。

イメージ湧かへんのやったら、自分の好きな有名人で思考実験してみたらええ。

たとえば営業やったら、

「もし仮にタモリさんが営業成績全国1位になったとしたら、それは彼のどんな才能を活かして、どんなトークをしたからだろう?もしくは、どんな人をターゲットにしたんだろう。タモリさんだったら、どんな人だったら自分から買いたいはずだと予想しただろう。」

「もし仮にあのちゃんが営業成績全国1位になったとしたら……」
「もし仮に千鳥の大吾が営業成績全国1位になったとしたら……」

こんな風に何人も想像してみると、決して「高いコミュ力と社交的な性格でキレのいい営業トークを繰り広げ、握手して契約を結んでいった」だけが成功パターンやないってことはすぐに想像できる。

ほんで、次は自分や。

自分はコミュ力が低いから営業は向いてない。さようなら。逆に分析力が高いからコンサルに転職しよう。

ちゃうちゃうちゃう。そうやないねん。(コンサルなんて9割営業やで)

最終的に辞めるのは自由やねんけど、とりあえずその分析力とやらを今の仕事で活用する方法を考えんと。もったいないやん。

強みを発揮したことに気づける?

あと、仮にコンサルに転職しても、分析力の使い道なんて会社は教えてくれへんよ?それで大丈夫?もしかしたら、コンサルに転職しても分析力を発揮する方法がわからんくて困るかもしれへんで。

いやいやいやマジマジ。

これちゃんと考えといたほうがええねん。

前違う記事で、「やりたいことが見つからへんっていう悩み多いけど、そもそもやりたいことが見つかったことをどうやって知覚できるか把握してる?」的なことを書いたんよ。こんな文脈じゃないけど。でも要はそういうことやねん。

「おおおおお!やりたいことが見つかったあああああ!」

ってなるん?

やりたいことって、今はやってない、見知らぬ何かなんやろ?それやのに、見つかったとき「これや!」ってわかるん?

ホンマに?

僕はわからへんと思ってんねん。せいぜい、あとから、「まあいろいろあったけど楽しかったな。やりたいことかどうかもわからへんし、良かったのか悪かったのかもわからへん。でも、これが俺の人生や。残りも精一杯やろう。」って思う程度で、「これこそが俺のやりたかったことや!」って、まずないと思ってんねん。

それと同じで、自分が言うてるその「僕の強みは分析力です。しかし今の職場では発揮する仕事がないので、コンサルに転職を考えています。」って、ホンマか?分析力高い人の分析とは思われへんくらい絶望的な結論を導き出してる気がするけど、大丈夫か?

分析力を発揮しているかどうか判断する力、ちゃんと備わってるか?実はもう十分に発揮していて、ただ大したことないだけっていうオチはないか?ホンマに大丈夫か?

なんでこんなに鼻息荒く言うてるかというと、上に書いたエピソードは全部自分が29歳のときに陥ったことやからや。脳は自分を守るからな。自分がアホやってことに気づかんように、上手にストーリーを作ってくれんねん。

そのときはホンマに思ってたよ。自分が営業が上手くいかへん真の原因を突き止めたって。

強みを伸ばしてる場合じゃない

コーンフレークのレーダーチャートあるやん。ミルクボーイの漫才で有名になった六角形のアレな。

こんなヤツな

今調べたら、各社違うけど、8角形とか12角形とかやねんな。

ケロッグとかいろいろ

あれの大きさ大丈夫?自分の能力のレーダーチャート作ったときの、その大きさ。

どこが尖ってて、どこが凹んでるかっていうのが、得意と苦手やな。

それはええねんけど、大事なのはその六角形の大きさやねん。

極端にいうたら、ほとんど全部5で、分析力だけ10、コミュ力が2やとするやん。本人にとっては分析が得意って言いたくなるわな。

でも、会社で隣に座ってる人は、ほとんど全部30~40で、一番得意なコミュ力は50、一番苦手な分析は20かもしれへんで。算数得意な小学生が数学苦手な大学生に勝負挑んで負けるみたいなことになってへんか?

自分の得意なことが、隣のヤツの苦手以下ってこともあるわな。人間だもの。

この六角形がそもそも小さい人っていうのは、残念ながら「得意」とか「苦手」とかを活用するフェーズに到達できてないねん。

聞いてるか。29歳の俺。お前なんか「得意」とか「苦手」とかこざかしいこと言うてるけど、そんなもん、他人から見たら2ミリくらいしか差ないからな。恥ずかしいからデカい声で主張するなよ。

恥ずかしいと感じることなく主張しまくるのは知ってるけどな。水に流そう。7年も経ったし。

耳が痛すぎてロキソニン飲みたくなるような話やねんけど、すべてが致命的やねん。ほんで、六角形が小さい内は、得意なことを伸ばすことよりも苦手なことをなくすことのほうが大事やねん。

なんでか言うたら、致命傷を負うことがあるからや。

お金で例えるならば、金利18%のリボ払いが残っているうちに、9%で運用できるポートフォリオ考えたわとか言ってる場合じゃないねん。特に収入が低いうちは。

得意なことで勝負するのは、リボを完済してからや。リボ歴8年で低収入の僕が言うんやから間違いない。もうたぶん元本の倍は払ってるで。クレジットカード会社の太客や。

あーそうそうそうそうそう。
これも言うとかなあかん。

「人は、苦手なことで貢献することはできません。だから得意なことを伸ばしなさい」っていうのは、ホンマによく聞くアドバイスやと思うねんけど、この粒度感っていうんかな?これ大事やねん。

どういうことかいうたら、例えば自分がめちゃくちゃサッカーが上手いとしよか。プロになれるレベルや。

せやのに、「野球選手のほうがお金もらえるから、やっぱり野球選手になるわ。」って言いだしたら怖い人やん?

これは、アドバイス通り、サッカーの技術を伸ばしたらええねん。もうプロ級やし、頑張ってみたらええやん。

でも、

「自分は右足でのシュートのほうが得意やから、苦手な左足の練習はせぇへんねん。苦手なことは努力しても伸びへんって誰かが言うてたしな。」

って言いだしたら、それはちょっとちゃうやろ?

その戦法を選んでもうたら、みんなが両足で戦っている中、自分だけ片足で戦うことになってまうやん。サッカーやったらわかりにくいか?

ほんならボクシングやったらどうや?「自分右ストレートの破壊力がすごいんで、右手しか練習しません。左手は全部苦手なんで練習しません。」とか言うてたら?それで勝つなんて無理やろ?

さらに言うたら受験やったらどうや?「僕英語得意なんで英語伸ばします。今95点ですけど、100点にします。他は苦手なんで捨てます。」
なんでやねん。その状況やったら50点の国語を70点にするほうがええやろ。

せやから、

  • 得意とか苦手とかに関係なく練習せなあかんこと

  • むしろ苦手を克服したほうが有利になること

  • 苦手を理由に捨ててもいいこと

の見極めも大事やねん。

ただ、これは僕の個人的な見解やけど、どんな苦手なものも克服できるんやったらやるに越したことはないけどな。なんでかいうたら、もしかしたら将来それがボトルネックになる仕事に就く可能性もゼロじゃないからや。

それも含めコントロールできる自信があるんやったらええねんけど、たいていコントロールできへんやん?

よっしゃ。

話が全然まとまらずに発散して終わる未来が見えてきたな。

いつも通りや。

得意なことで貢献しようと思ったら、まずは自分の能力の六角形の大きさを知ることやな。自分の大きさを知るためには、他人の大きさも知る必要があるで。当たり前やな。誰とも比較せずに自分の大きさ語ってたら怖いからな。

次にやることは、自分の致命的な能力の底上げや。どんなに頑丈な鎖でも、一か所致命的に脆弱な部分があったら、結局そこが切れて台無しになるんや。普通は一か所じゃなくて複数個所あるから、辛抱強く克服するんやで。

この段階でやったらあかんことは、得意なことを伸ばすのを言い訳にして、致命的な欠点を放置することや。致命的な欠点は、いつか絶対に自分の足を引っ張る。

ほんで六角形がある程度の大きさになったら、チームメンバーやクライアントの能力・才能・強み・得意なこと苦手なことを観察して、自分の活かし方を考えていくねん。

知らんけど。

ほなまた。お疲れ。

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