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なんでもない景色もレンズを通せば

作品にできる。

カメラは作品を、世界を創る大切なパートナーだ。

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非常に良い記事ですので写真を撮られる方は一見の価値ありです。
(すでにバズってるようなので写真関連のタイムラインだったらとっくに表示されてそうですが)

表現したいwhatがあって、そのwhatとどんな風に向き合うのかを突き詰めた先に、how化できない視線として「物語」が存在するんです。そしてそれを見つけるのはものすごく難しいし、how化できないということは、それを作る本人でさえ、毎回「表現の苦しみ」に直面することにほかならないんですが、少なくともその過程を経て生まれる表現は、決して他の人には代替できない独自の表現として成立します。20年代以後のクリエイターが目指す一つの道は、この「自分だけの物語をどう表現に落とし込むのか」というところに尽きるんだと思うんです。
別所隆弘 / Takahiro Bessho 氏
撮ること、それは「世界を見つける」ということなのだと思います。写真は世界を見る眼差しそのものなんですね。みんなが感じている、でもまだ言葉にさえなっていないこと、写真ならそれを写すことができるんです。ああ、それそれ、わかる! というような... もっと言えば、まだあなたしか持たない感情やあなたしか見ていない風景を言葉のかわりに写真にすることだってできるのです。写真を言葉で説明する必要がないときがあるとすれば、それ自体が言葉だからなのです。世界という文章を写真というあたらしい言葉で切り取っていく。わたしたちが世界に何を見ているのか(あるいは何を見ていないのか)、それを表せるのが写真なんですね。
Hideaki Hamada 氏

撮影者が表現しようとして表現する世界こそがこれからの写真には必要。
なんだか当たり前のようですが、うっかり忘れてしまいそうなことだと思います。何を撮るか、に必死になりすぎてどう撮るかが置いてけぼりになっちゃうことは思い返すと意外と多いんじゃないでしょうか。
どこかで見た構図で撮っておこう、とか、これが撮れた!満足!とか、まだ頑張る余地があるのにそこでおしまいにしてしまうこと。
私はあります。よくあります。
と言っても、頑張る余地なんて多分無限にあるので、だからこそ写真は面白いんじゃないかなとも思うわけで。

冒頭に貼った写真はいつもの散歩ルートのなんでもない景色なのですが、太陽の位置や季節、その日の気分でいとも容易く見え方が異なるので飽きないです。
こういったところでしっかりと”How”が鍛えられていて欲しいと、切に願うのです。

どこで何を撮っても自分が撮った写真、世界でありたい。そう思うのです。

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