角岡伸彦/フリーライター

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角岡伸彦/フリーライター

かどおか・のぶひこ。大阪市在住。 https://kadookanobuhiko.tumblr.com ☜旧サイト https://twitter.com/kadookanobuhiko ☜Twitter kadonobu@ymail.ne.jp ☜連絡先

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  • [ブログ]HEY! HEY! BON BON

    時々更新。

  • 神戸、辞めてどうなるのか。[1]「誰に何を伝えるか」 全4回

    地方紙を中途退社した記者たちを追った「神戸、辞めてどうなるのか。」の第1回。「誰に何を伝えるか」全4回。

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プロフィール/ 著書解説

【プロフィール】 角岡伸彦 かどおか のぶひこ 1963年、兵庫県加古川市生まれ。関西学院大学社会学部を卒業後、神戸新聞記者等を経て、フリーライター。大阪市在住。 旧サイト:角岡伸彦 五十の手習い Twitter:twitter.com/kadookanobuhiko 連絡先 kadookanobuhiko-01@yahoo.co.jp 【著書解説】「ノンフィクションにだまされるな!」 百田尚樹『殉愛』上原善広『路地の子』のウソ やしきたかじんと妻の純愛ストーリーを

    • 鰻とフランス革命

      当ブログの設立や運営・管理は、すべて安藤滋夫君に委ねている。デザインはもとより、著書解説まで書いてもらった。しかも無料で。そもそも、歴代パソコンの購入からセットアップ、メンテナンスに至るまで、すべて世話になっている。  彼の本業は、障害者のヘルパー。95年の阪神・淡路大震災後、京都からボランティアとして駆け付け、それ以来ヘルパーとして神戸に通っている。障害者の取材をしていた私と出会い、以降ほぼ30年の付き合いになる。  冗談ではなく、私は性格がひねくれているので、人付

      • 第7回角岡伸彦ノンフィクション賞 発表&選評

          取材と執筆は、短い時間で仕上げられれば、それにこしたことはない。だが、短時間でこなしたものが、いい作品であるとは限らない。もっと時間をかければ、深みのあるルポになっていたのになあ。そう思わせるものが少なくない。 『芝浦屠場千夜一夜』(山脇史子、青月社、2023年)は、ケタはずれに時間をかけた1冊である。ライターの著者は、ペンをナイフに持ち替え、1991年から長期間にわたり、牛や豚を解体する東京・品川にある芝浦屠場で働いた。  <最初は一週間だけのつもりだった。それが、七年

        • 釜山の浦島太郎

          長期刑を終え、娑婆に出たら何もかもが変わっていた――。そんな気分だった。  2月下旬の4日間を韓国・釜山で過ごした。初めての釜山訪問は1988年で、2回目は94年である。その間は、特に大きな変化はなかった。それからの ” 刑期 ” が長かった。今回は実に30年ぶりである。  街のあちこちに超高層住宅が林立し、その変わりように目を見張った。そのほとんどが50階建て以上で、ペンシルビル状の細長い建物が、つくしのようにニョキニョキと群生している。 「プサンは地震が少ないですか

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        • 神戸、辞めてどうなるのか。[1]「誰に何を伝えるか」 全4回
          4本
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        記事

          徳島県が生んだ世界の偉人⁉

            1月中旬に徳島県にある鳴門市賀川豊彦記念館を訪ねた。牧師、農民・労働・生協運動の指導者であり、社会事業家でもある賀川は、1888年に神戸で生まれたが、幼くして両親をなくしたため、4歳から16歳まで両親の故郷の徳島で過ごした。  JR鳴門駅から路線バスに揺られて約40分。赤レンガと白壁の記念館が山裾に建っている。駅前の観光案内所でもらった記念館のリーフレットによると、寄付金によって2002年に開館したとのこと。  神戸と東京にも同様の記念・資料館はあるが、2館とも教会と併設

          徳島県が生んだ世界の偉人⁉

          さよなら、にぃまるにぃさん

          今はインドア派だが、子供のころは野球少年だった。小学3、4年生のとき、ソフトボールを始めた。小6時に地域チームのキャッチャー&キャプテンの大役をおおせつかり、小学校区で優勝した。  地元の公民館で祝勝会が開かれ、ジュースで乾杯したあと、チームメイトに胴上げされた。体が舞うごとに天井が近づいてきたことを今でも鮮明に覚えている。あれが人生のピークだったかもしれない。  にぃまるにぃさん(2023年)は、まさに野球イヤーであった。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で

          さよなら、にぃまるにぃさん

          『春いちばん』再読 ③

           賀川豊彦(1888-1960)の妻・ハル(1888-1982)を主人公にした小説『春いちばん』(玉岡かおる、家の光協会、2022年)を読み直し違和感をおぼえたのは、賀川の偉人ぶりやハルの夫に対する従属性だけではない。彼女の容貌に対するコンプレックスの記述が異様に多いのだ。  賀川は明治の末期、神戸・新川のスラムで、キリスト教の伝道と救貧活動を始めた。それらの体験を含めた自伝的小説『死線を越えて』(改造社、1920年)で、自らの恋愛・結婚観や、ハルとのなれそめを詳しく書いてい

          『春いちばん』再読 ③

          『春いちばん』再読 ➁

          キリスト者で生協や農民組合の創始者、なおかつ100万部を超えるベストセラー『死線を越えて』の著者である賀川豊彦(1888-1960)は、戦前戦後を代表する著名人の一人である。  その妻の生涯を描いたのが『春いちばん 賀川豊彦の妻ハルのはるかな旅路』(玉岡かおる、家の光協会、2022年)だが、夫のキャラクターが濃すぎて、主人公の影は薄い。  ハルは賀川と同年生まれで、尋常高等小学校を卒業後は、女中奉公を経て女工となった。成人後に洗礼を受け、賀川と結婚した。  当ブログの

          『春いちばん』再読 ➁

          『春いちばん』再読 ①

           以前に賀川豊彦と部落問題について調べたことがあるので、今春に『春いちばん 賀川豊彦の妻ハルのはるかな旅路』(玉岡かおる、家の光協会、2022年)を読んだ。  賀川はそれほど立派な人間か? そんな疑問から彼の生涯を追うと、社会的弱者の淘汰を目論む優生学の信奉者や、最終的には戦争賛美・協力者であったことがわかってきた。 『春いちばん』を初めて読んだときは、賀川と部落問題に関する知識しかなかった。彼の全体像が浮かび上がってきたところで、同書を読み直した。最初に読んだときより、さら

          『春いちばん』再読 ①

          賀川豊彦の資料館に行ってきた

          7月末に上京した際、世田谷区にある賀川豊彦記念松沢資料館に行ってきた。賀川は、100年前の1923年に発生した関東大震災の救援活動を機に神戸を離れ、東京府荏原郡松沢村(現・世田谷区)に活動の拠点を移している。  京王線・上北沢駅から歩いて数分。住宅街に賀川ゆかりの教会と資料館はあった。館内は彼の生涯と業績がコンパクトにまとめられている。礼賛一辺倒かと思いきや、「賀川問題とは?」というコーナーが設けられてあった。賀川の3つの問題点について述べられている。以下、紹介する。

          賀川豊彦の資料館に行ってきた

           賀川豊彦が気になって

           どこの書店であれ、ほとんどの棚を見ないと気が済まない質である。先日、近所の大規模書店で宗教コーナーを流していたら、『日本キリスト教史における賀川豊彦 その思想と実践』(賀川豊彦記念松沢資料館編、新教出版社、2011年、以下『思想と実践』)という本が目に飛び込んできた。  賀川については、当ブログの前々回「ある ” 偉人 ” の別の顔 賀川豊彦と部落問題」(以下『別の顔』)に書いたばかりである(文末参照)。  くだんの本を手に取ると、大勢の研究者が執筆し、すでに発表した

           賀川豊彦が気になって

          墓穴を掘る――Dig my own grave

          10年ほど前、ラオスのホテルでテェックインした際のことである。夜に到着し、フロントのスタッフにあいさつをした。 「グッド・ナイト!」  言い終わってすぐに「グッド・イブニング!」(こんばんわ)と言わなければならないことに気付いた。会っていきなり「おやすみ!」は、どう考えてもおかしい。ふだんは英語をしゃべらないとはいえ、あまりにも恥ずかしい間違いである。  仕事で英文を読んだり、英語を話さなければならないときがあるので、ラオスから帰国後、一念発起して英会話を学ぶことにした

          墓穴を掘る――Dig my own grave

          ある ❝ 偉人 ❞ の別の顔 賀川豊彦と部落問題

          久しぶりに机の上を整理していたら、1月16日付けの朝日新聞朝刊の切り抜きが出てきた。今年は関東大震災の発生から100年にあたる。28年前に起こった阪神・淡路大震災と併せて、1月に開催された「復興・減災フォーラム」(関西学院大学災害復興制度研究所主催、朝日新聞社後援)の内容が報告されている。  私がこれを切り抜いたのは、作家で大阪芸術大学教授の玉岡かおる(1956年、兵庫県生れ。敬称略、以下同)が、「特別講演」で賀川豊彦(1888ー1960)について語っていたからだ。

          ある ❝ 偉人 ❞ の別の顔 賀川豊彦と部落問題

          柳に風 整理部記者・佐藤公彦の軌跡

            28年ぶりに元上司と再会 神戸新聞を中途退社した元記者を取材しながら、私は考えていた。同社を辞めたいと言ったとき、当時の上司はどういう心境だったのだろうか。  私は1989年に入社し、5年ほど在籍し、93年に退社している。最後の職場である整理部の部長だった佐藤公彦(敬称略、以下同)とは、年賀状のやりとりは続けていた。退職した佐藤が、その後は民生委員を務めていたこと、数年前に肺ガンに罹患したことは、年賀状を通して知っていた。  冒頭に記した疑問を抱き、2021年の秋

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          柳に風 整理部記者・佐藤公彦の軌跡

          ひねくれ者、食いしん坊、太っ腹    横須賀俊司と私の大学時代

           大学時代の友人で、県立広島大学准教授だった横須賀俊司が、一昨年の10月に肺ガンで亡くなった。享年58。中学時代にプール事故で頸椎を損傷し、重度障害者となった。頸椎とは背骨の最上部にある、いわゆる首の骨である。発話、飲食、筆記はできるが、移動・入浴、排泄には介護者が必要だった。大学卒業後は、大学院で社会福祉を専攻し、鳥取大学や上述の大学に勤めた。故人を偲ぶ書籍に、私も寄稿したので加筆し、転載する。  1983年に関西学院大学(兵庫県西宮市、以下「関学」)に入学した私は、ある

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          第6回角岡伸彦ノンフィクション賞      発表&選評

          『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』 (吉原真里、ARTES、2022年、2500円) 著者は1968年生まれのハワイ大学アメリカ研究学部の教授。指揮者・作曲家・ピアニストのレナード・バーンスタイン(1918-1990)に関連するイベントを研究するため、アメリカ議会図書館を訪れ、膨大な資料の中から2人の日本人がバーンスタインに送り続けた手紙を閲覧する。  ひとりは1929年に名古屋で生まれ、商社に勤めていた父親とともにパリに住み、パリ高等音楽院

          第6回角岡伸彦ノンフィクション賞      発表&選評