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靭帯と忍耐

前十字靭帯の再断裂から10ヶ月。手術からは8ヶ月が経った。痛くないと言えば嘘になるし、違和感に慣れてしまって違和が分からなくなっている。

初めて前十字靭帯を切ったのは、2020年の2月。切れたまま3ヶ月ほどプレーした後に、同年の7月に手術をした。全治6ヶ月〜8ヶ月と言われる怪我から復帰した翌年の7月、再び膝から異音がして振り出しに戻ってしまった。


膝の靭帯の手術は全身麻酔で、腫れ上がり浮腫んだ足はただのオモチャと化する。歩ける未来が想像できないくらいに、思い通りに動かせず、ちゃんと痛い。初めての手術とリハビリをしていた2年前は「次に切ったら絶対引退」と心に決めていた。長期の治療に心が何度も折れたからだ。

試合に出場するチャンスを掴みたくて臨んだ練習試合。「どれくらい気にしたほうがいいんですかね?膝。」という会話をしながらテーピングを巻いてもらったことをよく覚えている。"嫌な予感がする"というのは、あながち間違いではないみたいで、試合の途中に背後から相手選手の足が自分の膝に入った瞬間に知っている音がした。鈍い、グキッともボキッともとれる音。断裂してないことを願いながら、何倍にも腫れた膝を見て「やってしまった」と察して泣いた。後日撮ったMRIに靭帯は映っていなくて、おまけに半月板が傷つき、ついでに骨挫傷までしていた。ボロボロな膝を撫でながら、病院の待合室でポロポロと涙が頬を伝った。



ここ最近は基本的に「サッカーを辞めたい」と思いながら過ごしている。ハードな練習もそうだけど、それ以上に"お金をもらって好きなことをする"行為に生じる責任感と、仕事(=サッカー)ができないのに選手として立ち振る舞う罪悪感から「辞めたい」気持ちが湧いてくる。ただ、その気持ちの根源には、覚悟を決めて物事に向き合う不安や恐怖があって、不安だから練習する、恐怖を拭うために自分を管理する、サッカー選手でいるための、自分なりのポジティブのためのネガティブなのかもしれない。
(だからサッカーが楽しくて楽しくて仕方がなくなったら自分の向上心はスッと消えてしまう気がする。向上したい何かを続けるための、指標になる感情が「辞めたい」だ。悔しさに近いかもしれない。ただ、今辞めるのが正解ではないのも知っているし、「辞めたい」に向き合おうとするせめぎ合いがエネルギーになっているようにも思っている。)

そんな毎日だけど、「まだ辞めたくない」と思った日が一度だけある。昨年の7月、靭帯を切ったプレーの直後だ。倒れ際に断裂を悟りながら、「まだ辞めたくない」と物凄く強く思った。何も考える余裕のない痛みの中で出てくる純粋な気持ちなんて、それ以上のものはないだろう。あんなに次はないと決めていたのに、無意識に咄嗟に湧いた気持ちを信じて、サッカーのできない1年間を過ごすことにした。

一回目の手術で靭帯を固定していたボルト。今はちょっと御守りみたいな存在。
術後の浮腫で足が痒くて包帯はパツパツ。寝返りを打てないのが意外と辛い。
術後10日くらい。松葉杖捌きだけが上達し、足は鉛のように重い。


2回目の手術やリハビリが順調なのかは分からないし、復帰した練習では誰よりも下手な自分と空白の数ヶ月を恨むばかりだ。できないから悔しくて、悔しいと苦しくて、涙目になりながら壁に向かってボールを蹴る。

何回も何回も、もう嫌だの4文字が頭をよぎるし、続けた先に何か得られるのか疑心暗鬼でしかない。それでもたった一回の「辞めたくない」を無かったことにしたくなくて、今日も地味なトレーニングをしている。靭帯と忍耐。


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