髙橋 咲希 saki takahashi

新潟県十日町市で暮らしながら、FC越後妻有というチームで選手をしています。 個人の視点…

髙橋 咲希 saki takahashi

新潟県十日町市で暮らしながら、FC越後妻有というチームで選手をしています。 個人の視点で私的に書いているnoteです。 05takasaki15@gmail.com

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初めてFC越後妻有に出会う人へ

2021年に書いた文章で、日の目に当たらなかったものを発掘しました。当時の自分がわかりやすく、FC越後妻有と大地の芸術祭と自分自身について書いていたので、興味がありましたらご一読ください。 ※1 年齢などは2021年当時のものです。 ※2 個人的なSNSとしての発信のため、諸事情で非公開とさせていただく場合もあります。 あらかじめご了承ください。 ※3 本note内おいて掲載されている文章は、一部および全てについて、事前の許諾なく無断で複製、複写、転載、転用、編集、

    • 雪を掻き分け、春を手繰る。

      4月になり、ようやっと雪が消えた。散歩すると、道すがらに色とりどりの花を見かけるようになった。冬は雪天に積雪で白しかない景色が広がる豪雪地帯では、色がある日常というのは久しぶりの光景だ。車を走らせる山道でふきのとうを目にすると、春の訪れを一気に実感する。 当たり前だけれど、グラウンドにも雪が降る。 12月に入った頃からFC越後妻有は体育館での練習が続く。廃校を活用した施設のため、同じ建物内に体育館がある環境は有り難いものの、芝生が恋しい気持ちもある。ここに住む動物たちが春を

      • ラブソングを歌えるような

        10代の頃はとにかくラブソングが嫌いだった。みんなは花畑に暮らしていて、自分は砂漠にテントを張っているんじゃないかというくらいには対極に感じていて、ラブソングを聴き始めたら終わりだななどと思っていた。捻くれがすぎて、恥ずかしいけれど当時は真面目にそう思っていた。 今も積極的に聴くかと言われたらそうでもないけれど、ラブの矢印が「対 個人」ではなくても美しい風景だとか愛でたい思い出だとか、もっと大きな物事を包むような気持ちに向けられていることを知ってからは、それを歌える心も思い

        • なんかいいな

          目標を立てることが苦手なまま、まあまあな年齢になってしまった。 気概が足りないのだろうか。絶対にこれをこうしたい、という設定を作れた試しがない。続いていく日々の先にある未来を、その時の自分が「なんかいいな」と思えていますように…そんなふんわりとした願望なら何年も変わらずにあるのだけれど。 2020年の2月に右足の前十字靭帯を、2021年の7月に同じ箇所を再断裂した。それからは身体全体の感覚が変わってしまって、負傷前(=膝の痛みや違和感が全くない)の状態に戻れた日はない。少し

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          積もらない雪、つのる寂しさ

          今年の冬は暖かくて、春のはじまりのような気温と天候が続いている。 例年の2月といえば、曇天または降雪が続き、妻有はグレーの空に包まれている。 節分を過ぎても春の気配は遠く、もうこのまま一生冬なんじゃないかと思うくらいとにかく雪が降る。 雪が落ち着くのは3月頭。朝、窓際に射す朝日が眩しくて尊くて、夢を見ているようなふわふわとした気持ちで目を覚ます。 4月になると青い空に浮かぶ雲と、道の脇に残るまだらな雪がなんとも言えない切なさを誘う。数ヶ月に渡り生活を共にした雪にはなんだかん

          積もらない雪、つのる寂しさ

          全部「ららら」で唄う

          年末に些細なことで言い合いをしてしまった人との間に、いまだに気まずい空気が流れている。 1人でいるときには大抵その日のことを考えていて、言い過ぎたかもしれないと思う気持ちと、普段は表に出さない自分の本心を大事にしたい気持ちを行ったり来たりしている。 事の発端は、相手のみぞ知るところではあるものの、推測するに自分ののらりくらりとした態度が引っ掛かりを作ってしまったのだと思う。 覚悟がない、と言われてしまった。 関係性がある程度築けている相手と真面目な話や深い話をするのが苦

          全部「ららら」で唄う

          暗い海の中で光る

          今年も一年ありがとうございました。 例えば明日急に何かが起こっても納得できるように、そう過ごしたいと考えた27歳だった。club27とか、そういう概念的なものが頭にあったのかもしれない。 納得に必要な自分の解像度をと思えば、物事が起こる現在と起因となる過去の言語化が必要で、目を背けたいことを捉える難しさが本当に多くあった。 一方で言語化は対象によってアウトプットが異なり、自分自身のための言語が必ずしも他者に通じるわけではない。分かり合いたいと思って発した言葉が、思いとは違う

          アルパチーノと手を振って

          大学時代、バイト先の仲の良い先輩がおすすめしてくれたのが川上未映子だった。初めて手に取った作品は「あこがれ」で、物語の中で使われる別れ際の挨拶"アルパチーノ"を真似して退勤をしていたあの頃は、つい最近のことのようでもう5年以上も前の話だ。 「乳と卵」のように、まくし立てるような関西弁で展開される作品を読んでいる時の私はかなり流暢な関西弁を心の中で話していたし、「すべて真夜中の恋人たち」を読みながら自分自身にとっての御守りとは何かを探していた。「ヘヴン」では、理不尽の多くには

          アルパチーノと手を振って

          泳ぎ方を知っている

          海にはあまり縁のない人生だと思う。 生まれ育った埼玉県には海がないし、今住む越後妻有は山間部だ。新潟県に海はあっても全ての街が面しているわけではない。子どもの頃から川に愛着があるのは、培われた県民性だろうか。だからか川にはときめいても、海にはそこまで惹かれない。特別に海に行きたい、と今まで感じてこなかった。なので物心ついた時から習っていて育成コースまでやり切った水泳を、活かせたことは殆どない。海は泳いでも川は泳がないし。 3泊4日で、奥能登国際芸術祭に行った。 日本海に突き

          泳ぎ方を知っている

          〜したりすると

          8月中旬に捻挫をしてから一ヵ月ほどが経ちました。 怪我の直後は痛みや腫れもかなりあり、2日間は松葉杖と生活を共にしました。鼻が詰まったりすると呼吸をしていたことが解るように、怪我をすると普通に歩けることの尊さに気がつきます。 痛みの様子を見ながら早めに松葉杖を手放し、サポーターに替え、それも外して…今までにはないくらい順調に回復ができたのは、日頃の食事やパーソナルトレーニングの結果かもしれません。 (私は毎回痛みが長引いてしまうので、今回はその順調ぶりに驚きつつ、調子が良い

          またなのか、まだなのか

          7/30(日)に行われた試合で、2年ぶりにリーグ戦に出場しました。前十字靭帯の再断裂からは756日ぶり、最初の断裂が2020年なので、おおよそ1200日くらいリハビリをしていた計算です。 そんな復帰戦から2週間後の昨日、トレーニング中に負傷しました。 脛腓靭帯損傷の捻挫で、おそらく残りのリーグ戦が厳しくなってしまいました。 11月の新潟日報杯という県内の大会での復帰が次の目標です。 痛い思いをしてまでも「まだやろう」という物事への執着心というか諦めきれない気持ちが生活の中に

          またなのか、まだなのか

          御守りのような

          西さんを読むきっかけとなったのは、2021年に配信されていたVogue presentsのポッドキャストからだった。約3ヶ月に渡り、リスナーからの相談に西さんが「本の処方箋」とともに回答していくという番組。話の巧さではなくて誠実さ、西さんが言葉を選びながら慎重に、時に何度も言い回しを変えながら話しているのが印象的で、最初の一回を聴いただけでその人柄が大好きだと思った。 そうして作品を読むようになり、個性豊かなありとあらゆる人物を肯定しながらも、社会に対し(それを構成する1人

          その言葉で、

          津村紀久子さんの「君は永遠にそいつらより若い」を読んでから3ヶ月あまり。一日も頭から離れることはなく、読後の衝撃の余韻を今日も引きずっている。 「その言葉でじゅうぶんだと思う」 この台詞は小説にはなくて、刊行からおよそ20年ほど経って映像化された映画で書かれたもの。けれどこの小説を読む上で、これほどまでにこの作品が存在することで救われる心があることをを表せる言葉はないだろうなという光のような台詞。 この一言の前にあるのが、なんとも聞き慣れない「君は永遠にそいつらより若い」

          音楽変歴

          時計は間もなく2時を差し、丑三つ時もいいところ。 学生時代から眠れない夜が多く、体質なのかもしれない。眠らなきゃ、と念じるほど悲しきかな眠気はやってこないことを知っているので、ある時ならは「そういう日」として認めることにした。 なので、明朝の後悔が予想される深夜を使って 、ゆっくり回答したかった数ヶ月ほど前のマシュマロについて書いていこうかと思う。 ボ・ガンボスを知ったのは18〜19歳で、きっかけはハンバートハンバートの「シングルコレクション 2002-2008」に収録さ

          水を掴む

          2020年の初めに前十字靭帯を切った私は、翌年に再断裂、翌々年はリハビリで一年が終わってしまった。 その間、新しい選手が加わり、監督も変わった。 トレーニングマッチと練習とのサイクルを経て頭と身体で理解できることに感動を覚えている頃、チームメイトにはそれはできて当たり前のことになっていた。 一度目の断裂から3年。 初めて、怪我なくリハビリなく順調に開幕戦を迎えようとしていた。 開幕戦を土曜に控えた週の月曜日、なんてことのない動作で膝がご機嫌を損ねてしまった。 試合に出た

          行けなかった旅行とサヨナラ打

          大谷が腕を振り、バッドを振り抜いて世間が賑わう中、covid-19陽性と診断され4年ぶりの旅行を棒に振った。 旅行中のスケジュールもおおかた決まり、「あとは当日まで無事に過ごそう!」と連絡をもらった数日後に発熱。何度も抗原検査の結果を疑い自分の運の無さに嘆きながら「陽性になりました」と送信した瞬間、心の中でありったけの涙を流した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー きっと何年先かにこのメンバーで集まれば、そういえば…と笑い話にしてくれて、ある意味では強烈なイン

          行けなかった旅行とサヨナラ打