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砂漠の上でキャンプ、或いは琵琶湖の真ん中で昼寝


膝のご機嫌が斜めだと気持ちを保つのが難しくて、朝起きてから夜眠るまで、四六時中「早くサッカー辞めたいな」と思うのが正直なところ。心配して声をかけてくれる人に、本心とは180°異なる前向きな言葉で返すとき、自分の卑しさというのを嫌というほど自覚する。

先日、かねてより復帰を目標に定めていた試合があり、どうにか間に合いたいという気持ちで過ごしてきた数ヶ月があった。しかしながら、薄々現実的ではないことを日を追うごとに悟って、いやでも形だけでも間に合せられないだろうか?などと思い直したりしながら、やっぱりビデオ係として当日を迎えた。

そもそも、試合に出る出ないよりも、冷静になってみると今の自分には(物理的にも精神的にも)出来ない練習が沢山あって、一体何から悔しがったらいいのか…と。悔しがる権利すら無いよなあという毎日だ。

じゃあ出来る練習で何をするか?といったら、せめても気持ちを全面に出そう、と自分なりに上でも前でも向こうとしても側からしたら「不必要な頑張り」だったりして空回りする。
周りから見たら酷く滑稽な姿をしている想像なんて容易で、いよいよ一体何と闘っているのか分からなくなる。

「こんな気持ち分からないだろう」と、やけっぱちに石ころを蹴っ飛ばすように口にしてみても、強めに壁に蹴ったボールを一人で取りに行くのに似た虚無感が、じわじわと後味悪く広がる。
じゃあいっそのこと「他の仕事で結果を出せばいい」と開き直っても、結果というものは自分以外の他者が判断するものなので、何をもって正解とし結果を出したと言えるのか…自分自身で言い切れる類ではないなと躓く。
結局、「そういえばサッカー選手なのにサッカーしてないから、そもそも結果云々より仕事ができてないじゃんね」と一周回った答えに辿り着き、何にもしてない2〜3年の重みがずっしりくる。

いっそ、砂漠の真ん中でキャンプをしているのだとか、琵琶湖の真ん中にボートを浮かべて昼寝をしているのだとか、状況を逆手に取って見知らぬ楽しみを得るくらいのユーモアがあればいいのにななんて考えながら、壁に蹴ったボールを拾いに走っている。

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