暗い海の中で光る
今年も一年ありがとうございました。
例えば明日急に何かが起こっても納得できるように、そう過ごしたいと考えた27歳だった。club27とか、そういう概念的なものが頭にあったのかもしれない。
納得に必要な自分の解像度をと思えば、物事が起こる現在と起因となる過去の言語化が必要で、目を背けたいことを捉える難しさが本当に多くあった。
一方で言語化は対象によってアウトプットが異なり、自分自身のための言語が必ずしも他者に通じるわけではない。分かり合いたいと思って発した言葉が、思いとは違う明後日の方角へ飛んでいってしまうこともあった。
そういう戸惑いから知る「言葉のあや」の匙加減を感じる度に、伝えることだけが全てではないこと・相手を信頼して待つこと・伝わる時間を信用するということへの未熟さを痛感した。
そういう一年だった。
今までは目の前の出来事を受容することを、ひとつ自分の考え方として持ってきたけれど、今年考えてきた解像度を上げることとは、能動的に受けることで、前者と後者は想像以上に似ていて非なるものだった。
後者は受ける前に捕まえに行くわけで、そうなると考え方はだいぶ異なる。これまでの考え方を変えるということは、(少ないながら持つ)経験とそれから生まれた感情を疑うことから作業が始まるように思う。そうすると、今までわかってきたつもりだったことが途端にわからなくなる。
暗中模索とは、このことなんだろうか。
それでも、誰かが優しく答えを出してくれるわけじゃないから、やりながらわからないながら進むしかない。大事にしたいと思う人や物事を大事にし続けたいと願うほど、自分で自分の船を漕ぐのが難しくなるのはなぜだろう。
2023年の始めにリリースされたカノコアヤノのアルバム。リード曲である「タオルケットは穏やかな」の詩が一語一句、今年一年悩んで迷って生まれた隙間に沁みていく。
暗い海の中で光る、灯台のように。
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