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音楽変歴

時計は間もなく2時を差し、丑三つ時もいいところ。
学生時代から眠れない夜が多く、体質なのかもしれない。眠らなきゃ、と念じるほど悲しきかな眠気はやってこないことを知っているので、ある時ならは「そういう日」として認めることにした。

なので、明朝の後悔が予想される深夜を使って
、ゆっくり回答したかった数ヶ月ほど前のマシュマロについて書いていこうかと思う。

番組の放送後、ボ・ガンボスは誰かに伝わっているのかエゴサーチをしたのはここだけの秘密。


ボ・ガンボスを知ったのは18〜19歳で、きっかけはハンバートハンバートの「シングルコレクション 2002-2008」に収録されていた"夢の中"のカバーだった。当時はカバーであることを知らず、コードを調べるために検索をしたらハンバートではないバンド名が。YouTubeでバンド名を調べて聴いてみると、愉快な色合いの衣装をまとったボーカルが聴き馴染みのあるリフを弾いていた、というのが初めてのボ・ガンボスの出会いだ。オリジナルの"夢の中"では、悲しみを含めた喜びを知るような歌声と、泣きながら笑っているような音色のギターが響いていた。

音楽を音楽として聴けるようになったのは、サッカーを辞めた17歳、高校2年生の夏だった。ラジオから流れてきたゲスの極み乙女。(当時インディーズ)が未だ見ぬバンドミュージックの扉を開けてくれた。ギターレスのサウンドを初めて聴いたことで、ベースやドラムの音を強く認識できた。各楽器がバンドの中でそれぞれどのような役割で音を出しているのかを知った日には、大興奮だった。もっとバンドを聴きたい、とフロントマンを同じにするindigo la Endから辿ってきのこ帝国に行き着いたあたりで、音楽的嗜好が明確になった。いわゆる《ディグる》を飽きもせずしているうちに気がつけば高校生活も大学生活も終わっていた。

音楽のジャンル分けは必ずしもはっきりしたものではない(制作者よりもリスナーが定義している印象で個々の解釈で分かれる)し、歴史や系譜といった知識があるわけではないので憚られるが、便宜的に言うならシューゲイザー、オルタナ、ドリームポップといったものに心を鷲掴みにされた。言葉のわかる邦楽ばかりをもっぱら聴いていたので、往年のバンドで言えばNUMBER GIRL、スーパーカー、そこからART-SCHOOLやsyrup16g、ASIAN KUNG-FU GENERATION、LOSTAGEなどに派生して、17歳とベルリンの壁、死んだ僕の彼女、などを好んだ。もっと最近のバンドなら羊文学やchild spotあたりもそうだろう。言葉への拘わりが少なくなると洋楽も聴くようになり、より世界が広がった。RIDE、MOGWAI、Sonic youth、Dinosaur Jr.、Sigur Rós、Joy Division、the 1975、Cigarette After Sex、NOW,NOW、Field Mouse…などに自分の思う音楽美を見出していたような。もはや好きというだけのめちゃくちゃな羅列で恥ずかしくなるのだけれど、とにかく「めいっぱい歪ませたギターにディレイやエコーの空間系のエフェクターを重ねて作る轟音サウンド」が恋的に好きで、なんやかんやで今に至っている。

天国かと思った2017年のホステスクラブオールナイター。


一方でシンプルなアコースティックギターと声と詩には叶わない憧れを感じており、ザ・フォーク・クルセダーズ、吉田拓郎、森田童子、金延幸子なんかも良く聴いていた。いわゆるフォークソングが持つ、時代と魂が調和したメロディは悲しいことをちゃんと悲しむために私の中に流れている。御守りみたいな音楽だ。

あげたらキリがない上に、好きが渋滞を起こして何が何だかの乱文で恥ずかしい。いただいた質問の回答になっているだろうか。ちょっとおかしな音楽遍歴。変歴かもしれない。

p.s
ここ最近良く聴いているのはカネコアヤノ、人生のベストバンドがきのこ帝国、イチオシはayutthayaとpaionia。洋楽ならばYumi Zouma。
ぜひぜひご一聴ください。

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