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【冬眠明けの恥じらい】 

 春、桜が咲きだすと日本中がどことなくうきうきしてくる。足下にはたんぽぽ。菜の花は田で群れている。天気のいい日などは、360度どこを見ても眩しすぎる。この眩しさがどことなく焦燥感を呼び起こしたりする。
 
 ああ、私は冬の間、一体何をしてきたのだ、と。

 のらりくらり、ぐうぐう、たらたら、なんの準備もしていないじゃないの?と。

 ポジティブな人は「冬は休息の時期なの」と慰めてくれたりする。実際、どのように過ごしてきたかを知る当の引きこもりの本人は、その言葉を待っていたわけでもないのだけれど、欲しかった言葉のような気もしていて、それでも自分で辿ってきたことはわかっちゃうから、そういうところが、優しさに甘えているようで、やけにこっ恥ずかしい。

 冬眠明け、という言葉をあえて使ってみよう。
 そのような状態で、街に出てみればすっかりやっぱり眩しい。いつにも増して、ぼやっとしている自分を自覚する。歩くスピードの遅さに、声の調子に、体力が低下したことを思い知る。
 はて、雑談ってどうするんだったっけ? コミュニケーションの取り方さえ忘れている。ああ、私はどうやって今まで生きてきたのだ。

 冬の間は、ひっそりとなんとか生きてた。
 3ヶ月もあれば、いとも簡単に人は老化してしまう。鏡を見れば、まるで締まりのない顔をした中年女がそこに映っていた。ずっとメイクをしていなかった顔のベースを整え、眉を描き、なんとか外に出られる顔をつくると、ようやく半歩進む。

 「あ、卵かけご飯、美味しい」

 ようやく味覚スイッチが戻ったようだ。美味しいという感覚も忘れて作っていた食事は色を持たなかった。少しずつ日が長くなるように、キッチンに立つ時間を伸ばしていく。
 1日に発した言葉が「ありがとう」の一言だけだった日の感覚はもう覚えていない。

 春の眩しさは私にとって荒療治なのだ。急にスイッチが入る日が来る。
 一歩ステップを踏み出したなら、また次のステップ。その繰り返し。

 
 

 
2023年4月5日 香月にいな

そんな作者が動いていない間も、物語が伝わっていってくれていることに感謝です。

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