私に必要だったのは、映画の後の温もりだけかもしれない。

時に、有り得ない程の温もりがこの世には存在する。

些細な優しさが積み重なった時。
または、最低な時の無償の優しさ。

私は、そんな温もりをあげられる優しい人間になりたかった。そう育てられてきた。
だけど、優しい人間は損をする。それに付け加えて私は、凄く弱虫だった。

"みんなに優しくする"というのは、どうしようも無い奴にも見返りを求めずひたすらに優しく向き合うという事に他ならない。
お人好しだった私は、腹をナイフで抉られているのにも関わらず、抱きしめ続けた。

優しくあれば、いつか優しくされると思っていたから。

本当は、私が一番優しさを、温もりを必要としていた。
不特定多数に配った言葉は、何よりも私が欲しかった言葉で、差し伸べた手の温度を私だって感じてみたかった。

泣いている人を抱きしめた時、毎度思うことがあった。
私だって泣きたいのに、君に泣かれたら泣けないじゃないか。
私が辛い時は誰も居なかったのに、この子にはこうして抱きしめてくれる人がいるなんて、不公平な世界だ。
私が弱くなる権利はどこにあるんだろうか。

クソくらえ。

最低なのは百も承知で。
だけど、私だって優しくされたかったんです。

人前で泣けない、弱くなれない。
頼っていい人がいる時は、何故か不幸が知らんぷりをする。

だからもう、人に優しくすることも、それを求めることも辞めにしました。

話は変わりますが、今日、二本の映画を観ました。

「生きてるだけで、愛。」
「愛なのに」

どちらも愛にまつわる作品。
そしてどちらにも、有り得ない程優しい人が出てきました。
こんな人と出逢えたなら、と泣いてしまったんです。

映画を観ると、いつも何故か泣いてしまう。
友人、恋人、家族。
人と人との繋がりの大切さを改めて感じる。
そんな時に、出会えてよかった、大切にしよう、と想い合える誰かがいたらな、と。

寂しがり屋の方に必要なのは、映画の余韻が続く間に抱きしめてくれる誰かでは無いでしょうか。

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