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【単体記事】建築起業家として生きていく~若手建築家の声~

この記事は、独立する前に、思いを書き出した記事となります。

また合わせて、副業の記録など、私が実際に何をしてきたのかを広く書いています。

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建築家として独立する。

2015年に都内の大学院(建築系)を卒業し、組織設計事務所に勤めて7年半になりました。

研修施設やホテル、集合住宅を設計・監理し、入社4年目には一級建築士にもなり、そして、一級建築士として働いて丸3年以上が経過しました。

いよいよ管理建築士として、独立起業することが可能となったということになります。建築家として自分の事務所を持つことは学生時代からの夢でもあり、今それが可能な年になったのです。

しかし、現実は甘くない。

本当に一人で、そして建築家として生きていけるのか不安がある。

なぜ、建築家になりたいのか?
なぜ、起業家にもなりたいのか?
どう、建築家として生きていくつもりなのか?

そんな自分の気持ちを吐き出すと共に、今建築を仕事にしている方に向けて、役に立てば嬉しいと思う。

建築家としての理念
建築にはさまざまな用途があることは皆さんご存知かと思います。
よくいう建築基準法で定められている用途だけをみても、かなりの数がありますよね。

でも私は、建築用途には主に3種類しかないとも思っています。

一つは、人が過ごし又は過ごす場所
二つ目は、人が集まって交流するための場所
三つ目は、物を貯蔵ないしは保管し人に公開ないしはものを製造する場所

私が設計したい建築の好みを上げるとするならば、二つ目にあげた公共建築や三つ目に書いた物流施設ではなく、やっぱり人が過ごし暮らす場所の設計をしたいと考えています。

だからこそ、図書館や美術館のような花形の施設の設計をしたいと思ったことがありません。

私が、組織設計事務所に入って、集合住宅のチームへの配属を希望したこと、8年もの間、共同住宅の設計をし続けてきたのは、そんな気持ちがあったからです。

栖(すみか)を豊かにしたい

建築家になる上での理念を掲げるとするならば、私は「栖」を豊かにしたいと考えています。

すむという一般的な言葉に対して、敢えて「住む」ではなく「栖む」という漢字を使う理由については、「人が集まってすむ」という意味も含んでいるからでもあります。

私は、「人が豊かに過ごせる」そんな場所を設計したいのです。

だからこそ、建築家が言うような、かっこ良いとか、美しいとかは0ではありませんが、あまり興味がありません。

もちろん大切な概念だとは思いますが、

建築家がカッコ良いと思うよりも、その建築を利用する人が気に入ることの方が私は遥かに大事だと考えています。

なぜ、建築起業家になりたいのか

建築起業家になりたい理由は、単純に会社に依存せず自分で稼げるようになりたいからです。もちろん皆さんもそうだと思いますが、私は私の人生を主人公にしたいのです。

だからこそ、自分の人生を良いものにしたいし、自分の働きの対価としての賃金もあげたいと思っています。お金持ちにもなりたいです。

そういう気持ちが少なからずあるのは事実ですし、サラリーマンとして一生雇用され続けることが、「つまらない」と感じてしまっているのも理由の一つです。

そして、建築家ではなく、建築起業家と名乗りたい理由としては、下記のような質問が頭をよぎるからです。

Q.「建築設計だけで食べていけるのか?」


答えは難しいですが、私はyesだと思っています。

大学の頃、建築意匠設計に行く際に教授から、「意匠設計で生きていくのは大変だ」と聞きました。会社に入ってから、「独立するには有名アトリエに出て名前に箔をつけることが必要だ」と聞きました。そして、「建築雑誌に載らないと仕事は来ない」とも聞きました。

確かに一理あると思います。

しかし一方で、「本当にそうか?」とも思います。

というか、「本当にそんな時代なのか?」と思うのです。

副業が一般的になり、小ビジネスを始めるサラリーマンが増え、10年以上前からブログで億万長者になる人もいて、YouTubeで若くして稼ぐ人がいます。SNSが発展した時代に、建築業界は、雑誌に載らないとダメなのでしょうか?

それは、建築設計だけで生きていこうとすればそうなのかもしれない。
だって、土地にも人にも限りがあるのだから、有名な人に仕事が集まるのは自然なことのようにも思えます。

更に、「人生に一度しか買わない建築」なのであればなおさら競争率は激しくなるとも思います。

だからと言って、その競争の中だけに、身を置くのは得策ではないと感じています。

だったら、今までのようなHP・雑誌等を活用した仕事の取り方ではなく、例えばSNSを活用した営業や自分のデザインの発信方法を試行錯誤することや、極論を言えば建築設計以外に、社会に対して、ビジネスを展開していくことも考えていく必要があるのではないかと当たり前に思うのです。

だからこそ、「建築家を名乗ったとしても、今までのようなTHE建築家を目指すべきではない」というのが、私の結論です。

建築は橋である。

建築起業家として、生きていく上での理念を書いてみます。

私が学生の頃に建築の本を読んでいて一番心に刺さった言葉がある。

それが、「建築は橋である」という言葉です。

この言葉は、ドイツ哲学者のハイテッガーの言葉で、

「建築とは、塔のように外観デザインをカッコよくすれば良いというものではなく、洞窟のように内部空間があれば良いというものでもない。橋のように人と人、街と街、人と社会をつなぐものである」と言った内容です。
(実際とは違うかもしれません。※なかむラテも解釈です)

人と社会はもしかしたら書いてなかったかもしれませんが、私の解釈として敢えて書かせてもらいました!!

私はこの言葉が本当にその通りだなと思っています。学生の頃に共感した言葉ですが、30歳を過ぎた今もそう思っています。

この言葉が生まれた当時は今よりももっと、建築の話の中には、カッコ良いとか美しいとか、シャープで綺麗とかそんな話も多かったと思います。建築士に登場する印象主義やポストモダンの建築は個性だと言っていた時代の生き残りなのか、やっぱりどうしても「建築はアート」という考えは、今もあります。

私自身ももちろんわからなくはないし、建築にかっこよさや美しさも必要だと思っています。(これは本心)

でも、橋のように「人と人を繋げる存在である」ことの方が、私の中で優先順位が上なんです。

簡単に言えば、「建築が人と人、街と街をつなぐ橋であることに共感した」ということですね。

建築は社会の中で大きな影響をもち、みんなが使う”場所”なはずなのに、建築雑誌は、建築をやっていない方の目に届くことはあまりないです。

建築家が建築家を評価して、建築学生は建築家に学び、建築家になるのは大変だと教わる。そして、建築家になりたいなら建築家の下で修業しろとかも言われる。いざ社会に出たら、大変さ忙しさに打ちのめされていく。(もちろん楽しさもあるが・・・)

こんなことを言いたくはないが、実際には起きているのも事実なんです。

だから敢えて言いたいんです。

建築はもっと社会との繋がりを考えるべきなのではないか。

それが、建築家単体だけでなく建築起業家を名乗りたい理由にもなっています。

自分の"力"で稼ぐこと

起業家になってやりたいことを書き出す前に、

なぜ「自分で稼ぐこと」が必要だという思いに至ったのか、経緯に触れてみたいと思います。

私が、建築意匠設計者として組織設計事務所に入社した頃は、今ほど、残業がダメという考えはなく、むしろ残業時間が多いこと=頑張っていると認識されるような業界でした。

もしかしたら多くの業界もそうだったかもしれないが、建築業界がブラックだと言われるイメージ通り、建築設計は特に忙しかったんです。

そんな中で、入社3年目ー4年目のときに、200時間近い残業時間をこなし、とある物件の実施設計を完了させました。

まだ未熟だったことはもちろんですが、一般法規での実施設計をしながら、総合設計制度の検討と作図という作業を一人で行うのは、今振り返っても大変だったと思う。ましてや入社3年目はペーペーなので、、

ただ、問題は多かったものの、とても良い経験になったことは事実でもあります。そのおかげでここまで仕事ができるようになった言ってもよいかなと、

そして、その物件の実施設計が終わったタイミングで、上司に呼び出されました。

内容としては、「頑張ったから給料を上げる」というものです。

4年目の若造が、給料が同年代よりも高くなるのは、年功序列の社会では珍しいことでもあったので、かなり嬉しかったのを覚えています。うきうきでした。

しかし、いざ給与明細を見てみると上がった気配が全くない。

よーーーく見ると確かにちゃんと給料は上がっていました。

400円だけ。

「こんなに頑張って月400円しか上がらなかった」致し方なかったとは言え、それが正直な感想でした。

そんなモヤモヤが生まれ、自分で何か行動しなければならいと強く思ったのが、このnoteやInstagramで情報発信(副業)を始めた経緯です。

副業の内容とYouTube

自分で行動しなければならない。

そう思い始めてから、すぐに副業を始めようと思いました。

最初に始めたのは、instagramでした。

発信の内容としては、当時の私の能力で情報発信できる内容を考えた時に、建築学生向けに発信していく以外の選択肢がなかった。

今思えば他にもあるが、副業を始めたばかりの頃は、「将来を考えて建築をテーマにすること」と「発信を無理なく続けられること」をと考えていたからです。

実際私自身も、もともとは建築学生だったし、有難いことに設計課題やコンペでもある程度の賞は頂いた過去があったので、「建築学生へ」に絞って、経験談を発信することを始めました。

ただ、Instagramだけでは当然マネタイズはできない。

フォロワーが1000人を超えたら、小さくても良いから稼ぐことを意識しようと思い始めました。

そして5ヶ月で1000人を超え、稼ぐことを始めることにしたんです。

どうやって稼ぐかを調べた時に、初めに出てくるのは、アフィリエイトでした。ネットだけでなく、アフィリエイトの本を購入し、読んだんですが、そこには、毎日1記事、3ヶ月で100記事かけと書いてありました。

本業もあるし、そこまで時間を割くのは難しいと思ったのが正直な感想です。「無理だなと思った」。

そんな時に”note”という自分で値段設定ができて記事を売ることができるサイトがあることを会社の後輩に教えてもらいました。

これであれば、大量の記事がなくても、建築学生が気になる記事が書ければマネタイズできるのではないかと思ったんです。

でも、そう簡単ではありませんでした。

初めに書いた”100円の建築小説”は、ほとんど売れることはなかったですね。(笑)

とにかく量が必要とアフィリエイトの本に書いてあったこともあって、まずは無料記事をたくさん書いて、Instagramから来てくれるフォロワーさんにも読んでもらえる記事を書こうと、書けそうな内容はとりあえず書いてみました。

建築とポケモンを絡めたり、進撃の巨人の壁について書いたり、書けそうは記事はとりあえず書いてみたんです。

それと同時に、一級建築士試験に合格したこともあって、一級建築士の記事も書き始めました。そして、この「一級建築士合格へのプロセス」というマガジンが思っているよりも売れて、noteを初めて10ヶ月後には、月20万を稼げるようになりました。(一時です)

しかし、一級建築士は直物(試験は年に1回なので)で、試験前はよく売れるが、それ以外の時期はほぼ売れないこともわかりました。

建築学生向けに書いていた「コンペに勝つ系の記事」についても、売れるには売れるのだが、内容が建築学生さん向けということもあって、一級建築士の記事に比べれば、値段設定も低めに設定するしかなく、安定して稼ぐのは難しかったんです。

そんなこともあり、noteで稼げることは一旦はわかった。

でも建築学生への発信を始めた身としては、いかに建築学生さんからお金を取らずに、建築学生さんに有益な情報を渡せるかを考えるようになったんです。

それが、YouTubeを始めるという結論に至った理由です!!

YouTubeであれば、広告収益になるので、視聴者である建築学生さんはお金を払わはなくて済みます。

無料で見れるが、ビジネスになる。

それを一旦試してみようと思ったのです。

チャンネル登録者が多くなれば、建築学生さんではなく、スポンサーとして企業に参画してもらうことも可能なのではないか。そう考えてYouTubeを始めました。

YouTubeだけでは、なかなか安定した収入を得ることはできないが、
YouTubeという人口の多い発信メディアは、「会社を辞め、自分で設計事務所を立ち上げた時に優位になる」。そう考えています。

自分以外は社会である

上記に記載した、私が運営している建築YouTubeチャンネルのFMアーキチャットで、相方のモリヤ氏の言葉で共感した言葉があります。

「卒業設計のテーマにおいて建築に社会的意義は何か?」

という学生さんの質問に対しての回答です。

回答としては、「社会の定義を考えてみればよい」。というものでした。

自分以外は社会と考えてしまえば良い。全くその通りだと思いました。

だからこそ、私にとっては、建築の一般の方やメーカーさんだけでなく、皆さん建築学生さんも社会なのである。

YouTube活動などのSNS発信も社会に対する立派なビジネスだと認識しています。

起業家としてやること~メタバースだって過ごす場になり得る~

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