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居場所は居る場所でしかないと渇望する欲求が収まったイマ

居場所が欲しい!居場所になりたい!そんな願いを抱えている。変わらずにずっと持っている思いだ。

ひとりぼっちは寂しいから、誰かと一緒にいたいし、誰かに必要とされたい。そんな自分の切なる願い。


人を必要とし、必要とされたい人生


相手に明らかに"こう言ってほしいんだろうな"って思わせるコミュニケーションを多用する人が苦手だった。望む言葉をかけることが望まれてることが嫌だった。

「自分なんてだめだから…」「たいしたことじゃないけれど」って言葉を謙遜というにはやりすぎなくらい連呼する人は、「そんなことないよ」「あなたは十分素敵だよ」そう言って欲しいんだろうなと思っていた。

そんな"思ってないけど言わなきゃいけない言葉"が強要される場が嫌いだったのだけど、


いつしか自分も相手からの言葉を期待してコミュニケーションしていた。なんならそう言われるようにシナリオ作りまでしていた。

誰かと一緒にいないと不安で押しつぶされてしまいそうだ。ひとりぼっちだと不安だ。でも自分のこだわりややり方が捨てられないから誰かと"同じ"である事はあまり望まない。

ただ、私がそこにいていいよ、と言って欲しいし、私があなたの横にいて欲しいよと言って欲しかった。

そんなふうに私が存在していい場所を渇望して、居場所が欲しいと願いを持った。結局私が欲しかった居場所というのは私の存在が承認されて、求められている場所だった。

誰かの居場所になりたい、というのも結局同じで、お互いにお互いの存在を承認して共にあれる場所と関係性を築きたかったのだ。


でもその質感は変わった。敷かれたレールの上を爆走する人生を一度コースアウトしたことで変わった。


敷かれたレールの上とレール以外の世界


敷かれたレールの上で爆走して生きてきた。アサインされたプロジェクトで成果を出そうともがき、チームとなった人たちと衝突しながらも共創していた。

ここにいなさい、と言われた場所で個性を発揮しようともがいていた。ここにいなさい、というのはある意味で存在が承認されているけれど常に不安だった。

ここに今はいていいって言われてるけど、何か失態をしたらすぐに追い出されるのではないか?成果を出し続けないといらないと言われるのではないか?

だから自分が望む場所、ではなくて、今自分がいなければならない場所を居場所としてように必死にもがいてきた。振り返ってみると居心地の悪い居場所だった。

だって頑張り続けて走り続けてそれでもなお安心できない居場所なのだから。すぐに失ってしまう不安があった。


仕事を休んで視点が変わって思ったこと、それは敷かれたレールの上でいかにもがいてきたのかを気づいた。いつのまにか敷かれたレールの上が私の世界の全てだったけどそんなことなかった。


普段なら仕事をしているはずの時間、その外側には全く別の時間軸があった。その世界はめちゃめちゃ広大だった。そしてその世界に私が一緒にいたい人たちがいた。


NOが言えることを許せたらレールだけが全てじゃなくなった


今再び仕事に戻って、休んでた分バタバタと仕事をしているのだけど、1つ大きく変わったことがある。

今までは敷かれたレールにしがみつくために、相手にお願いされたことを叶えるために全力だった。自分の願いはさておき相手に参加してって言われたら絶対に行った。

時間が足りない、楽しめていない、そんなことを思っていたけど、でも会いたいですって言われることが嬉し過ぎて、そう言われたら飛んでいった。

そしてどこかで一度断ったらその居場所は一生なくなってしまう不安すらあったから、NOが言えなかった。

そうしたらどんどん"自分のための"時間はなくなって、消耗していったのだ。


敷かれたレール以外にも世界があることを知った、そしてその世界で好きな人と過ごす時間がいかに質感が違うことを知った。

だから逆に無理に心が望まない場所に居場所を求めて彷徨うことが自分を満たさないことに気づいた。そしてたぶん相手のことも満たさないのだ。


自分が心から望んでいるわけではなくて、自分の不安から来る居場所を求める欲求を手放した。不安だからそこにいたい、ではなくて、いたいからいるのだ、そんなシンプルな考え方がいいと思った。

私が私らしいままにいたいと思える場所、そこに私がいることでそこが私の居場所になる。居場所から追い出されないように常に必死に爪を立ててしがみつくのはたぶんきっと私の居場所ではない。

無理に形をかえるのではなくて、変えたいと思うように水のように形をしなやかに変えていたい場所にただいる。その場所が居場所なんだ、と思う。


私が私らしくいるから、私の心が満たされる。その私が発するエネルギーを心地よいと思ってくれる人が私のそばにきっといてくれる。そんなふうに信じたいのだ。

忙しくって今は外にエネルギーが向きにくいけどそれでもエネルギーを私に向けてくれる人がいることってなんで幸せなんだって思う。

そんな人を大切にするために気づくアンテナはどんなに忙しくても高く掲げて生きていたい。

焦る心や不安な心がそのアンテナをすぐに曇らせてしまうし、もしかしたら自分が思っている以上に自分はひとりぼっちかもしれない。

けど外にエネルギーを出し続けて自分も満たして、そんなエネルギーダダ漏れで幸せに生きていく強さは今の自分には持ち合わせていないから。

だったら今この瞬間は、誰かのための自分ではなくて、自分のための自分として生きていたい。そのために居場所に合わせて変えるのではなくて、私が居たい場所そのものを居場所だよっていいたい。

小さな狭い居場所かもしれないけど、それが今の自分のサイズ。

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