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素っ裸の天沢聖司と鳥かごの中の私というパワーワードな指針

最近のテーマは素っ裸だ。コーチングセッションの中や、ビジョンを語る雑談の中や、はたまた日常の中まで素っ裸というワードの浸透具合が半端ではない。

素っ裸を連呼しすぎて、怪しい奴になっているんじゃないかなんてことを思いつつ、手放せないくらいしっくりきてしまっている素っ裸というキーワード。

そしてその素っ裸に向かって突き進む衝動をくれる、天沢聖司のような人との出会いについてを書いてみる。

読んでから決めてほしい、素っ裸を連呼するようになってしまったかえではやばい奴に変貌してしまったのかどうかを。

ネタをください企画、第10弾。まーさんからのお題で【素っ裸になってみた!】
素っ裸の根源はまーさんからきていて、まーさんが素っ裸だから自分も素っ裸になろうとしている、そんな自分の変化の振り返り
Thanks まーさん

ネタをください企画とは
自分のアウトプット力の限界を試してみたい!となって、
心優しいお友達にネタをください!とお願いして、もらったネタでnoteを書いてみる企画。どんなネタでも書きあげる!ことを目標にすることで完璧主義者の私をちょっと退治してみようと始めた。ありがとうございます。
引き続きネタは募集中です。

第1弾:もみじまんじゅう
第2弾:5年かけて得た、クライアント力の要諦
第3弾:名前について
第4弾:オートミールが無くなった世界戦に飛ばされたら明日からかえではどうやって生きていくのか
第5弾:好きな色
第6弾:どんなときにエネルギーに満ち溢れ、喜びや満足を感じますか?
第7弾:ハードな環境でも頑張ってこられた理由
第8弾:温水と冷水の水脈と周りに築きたい生態系
第9弾:インプットとアウトプットのバランス


素っ裸をテーマにし始めた9月の頭、私はもう今までの私では嫌だった


ずっと自分を作って生きてきた。人を騙すためにではなくて、人に嫌われたくなくて、嫌われる現実を受け止めきれなくて、まるでトカゲの尻尾のように"嫌われてもいい自分"を相手に差し出してきた。

相手に差し出してきた、”取り繕った自分”は嫌われてもいい、でもやっぱり嫌われちゃうのはいや。そんな想いを抱えながら、尻尾を何度も引きちぎりながら生きてきた。

でもそれが嫌になって、尻尾を差し出すような向き合い方じゃなくて、本体をありのままを剥き出しにするような向き合い方をしたくなった。

本当の私を見て欲しかった。そしてその状態で受け入れてほしい、好きになってほしい。そんな想いが止まらなくなった。

それを象徴する言葉が、素っ裸だった。今までたくさん着込んできたマントもくさりかたびらもレザーの胸当ても全て取っ払いたくなった。

守備力を上げてくれそうな装備品たちはもう私を不自由にするものでしかなかった。

全部脱いでやるー!そんな感じでぽいぽい装備品を脱いで、まるで防具屋に売り払うようにアウトプットに書いて、着込みたい欲求を切り離し手放して、そうして進んできた。

今や残る着用物は、靴下とサングラスのみ。そんな感覚。残る2つは私の柔らかすぎる何かを多分守っている。

だいぶ素っ裸になってきたなと思うのだ。


素っ裸な天沢聖司との出会いと「やなやつ!」という気持ち


こうまでも素っ裸になっていく変化をなぜ急に遂げることが出来たのか、それは近くに指針やロールモデルと言える人がいたからだと思う。

私が6年継続して受けているライフコーチもとてもオープンな人だ。最初の頃はもう少し”恥じらい”を持てよ、と思っていた。この”恥じらい”というのは世間一般で言われる【常識】

【常識】で考えたべき論を考えてしまう私と【常識】にとらわれないコーチ。

その自由な振る舞いに憧れを抱きつつ、できない自分を認めたくなくて、コーチの自由なところを恥じらいがなくて変なの!って否定していた。

自分はまるで鳥籠の中で不自由で、外を自由に飛び回るコーチを羨ましく眺めながら、安全な鳥籠の中に居続けていた。


去年の今頃まさしくこんな鳥籠の中の無力感を私は感じていて、でも鳥籠からは出られなかった。鳥籠から出てありのまま外界に触れることが怖くてできなかった


今年になって、素っ裸で歩く人に、また出会った。そこから私の変容の旅が始まった。始まってしまった。

今まで鳥籠の中から出てこれなかった臆病な私が金網を破って飛び出そうとしたのは、素っ裸でお散歩する【内面の露出狂】さんに出会ったから。気持ちよさそうにお散歩していた。

何が今までのコーチと違ったのか、なぜ今まで出て来られなかった私を引き出したのか、そのポイントは大空を飛び回っているのではなく、散歩して歩き回っていたこと、散歩のログが残っていたこと、この二つがある。


大空を飛び回っていたコーチは今空を飛ぶことのできない、飛び方も分からないし、そもそも歩き出すこともしていなかった私からしたら遠すぎて、どこから始めたらいいかわからなかった。

でもお散歩であるなら、まだ身近な感じがした。そしてお散歩と空を飛び回るの違いは、生々しさの違いだった。散歩している人はまだ飛び立ってはおらず、飛び立つために葛藤していた

自分よりも1歩進んでいる、でも5歩も6歩も進んでいるわけではない、その近さが何よりもよかった。

そして散歩のログを残していた。日々日々の葛藤や成長や気づきをいろいろな形で残していた。自分が抱えているのと似ていた葛藤をしていたのが残っていた

だから天沢聖司なのだ。自分が進みたい方向、進んでいく方向に一足先にその足跡が残っている。なんなら名前だけじゃなくて、感想まで書いてありそうなくらいのくっきりとした、なんならちょっと生々しすぎる足跡。

でもその生々しく刻まれた歴史が自分が進もうとしている方向性は間違っていないんだなと安心感をくれる。

同時にまた同じ道を歩んでいるのか…というちょっとした嫉妬心。

でもこの道をたどっていれば立てそうだと、歩き出せそうだと、素っ裸で歩いて気持ちよさを感じられそうだと思える自信とやる気をくれる足跡。


でもちょっとだけ「やなやつ!」ってときももちろんある。私だって人間だもん。

いつも先回りされている感覚、そして、「僕もその葛藤あったなーふふん」と得意げな表情(顔見てないけど)。それがとてつもなく好きで、とてつもなく私に刺激をくれる。

「まー!やなやつ!やなやつ!」

そう言いたくなる、そしてそれを言わせてくれる。そんな不思議な空気感を持っている。

でも心の底から嫌なんじゃなくて、「くっそー!やってやるぞー--!!」って超ポジティブなエネルギーをくれる。それが今の私にとってのまーさん。

常に目の前を素っ裸で自由に歩き回る、天沢聖司。


鳥かごの中から出てきた私のこれから


この1,2か月で私は今までの人生で一番、素っ裸になってきている気がする。重たかったいろいろなものをポイポイ脱いで、鳥かごの扉を開けた。そんな気がしている。

重たかったものを脱いで体が薄く小さくなったから、鳥かごの扉から出ることが出来た。外の世界を歩くことが出来た。

そして鎧や着こんでいた皮製品を外して軽くなったからだはきっとそろそろ遠くない日に飛び立てる日が来るのだと感じている。

大空を飛び回り続けているコーチのもとにきっといつか私も到達できる。その時に向かってきっと横にいる”素っ裸の天沢聖司”さんと一緒に歩んでいくことができる。

そう感じている。


6年付き合っているコーチもまーさんもどちらのコーチも私にとって、私の目指す理想を背中で見せてくれる大切な人達で、その背中が語っている未来を私も手に入れたくて、必死に手を伸ばしている。

そしていつの日にかそんな風に重い服を脱いで、投げ捨てて、扉を開けて、飛び立っていく私の背中が誰かの力になったらいい、そう思って今の私が日々感じていること・考えていること・葛藤していることを文字に残し続けていきたい。

文字に残しておくことが、自分の素っ裸度を上げることにもなれば、誰か別の人の素っ裸度を上げることにもきっと繋がっていくようなそんな気がしている。

素っ裸になってみたいって思いますか?(笑)

私は素っ裸になったその先で自由に散歩し、空を飛び回るそんな翼が生えてくるためにも今背負っているものは放り投げて自由になっていきたいのだ。


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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今まで抱えてきたいろいろなしがらみや不自由さを手放して、前に突き進んでいきたい。不安はあるけれど変わっていきたい。

そんな私と似た欲求や願いを持った人に一歩踏み出すきっかけとなるようなコーチングを、一緒に前に進んでいける関係性を提供したいと思っています。ご興味を抱いていただいた方はぜひお気軽にお声がけください。
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