下宿

下宿

とタイトル付けたけど、便宜上の表現として、下宿と聞いたりすることあったけど厳密には大抵の場合、アパートマンション等の間借りだよね。食事等の賄いが付くようなところに住んでいる人は事実上知らない。寮はそれに近いかもしれんけど入寮出来る人の制限があるだろうからちょっと違うよね。比較的正しい意味で言葉を使いたがる(例; 100%果汁ドリンク以外はジュースとは自分では言わない(人が言ってるのを否定修正まではしないが自分は言い換える)私としては下宿ではないものを下宿とは言わないです(^^) それももう死語なのかな? 昔の小説とかじゃないと見ないよね?(どうかな?身近にそんな人や関係者がいないから分からん)

さて、高校の美術部の一個上の「日出処の天子」に出てくる豪族と同じ名前の美大受験はしたけど浪人になって上京していたセンパイんとこに、高3の短い三学期が終わって卒業式までの間だったか? 東京に遊びに行きたくてその人を頼ったら、行った翌日が芸大の実技の受験日だった。快く泊めてくれ相手をしてくれたが今でも時々、悪いなって思い出す。果たしてあの時、受かったんだったろうか? 高校ん時よりも確実にデッサンは上手くなってたけど。芸大受験に実績のある美術系の予備校行ってたし。大家が同じ地所に住んでたアパートだった。でも、場所がどこだったかまるで覚えてない。私鉄沿線な気がするから西武線か?

地方で育つと往々にして、上京したセンパイの部屋に転がり込む的なことをやる。高2から高3になる春休みにも仲の良いメンバー(一緒に校長室にて父兄同伴で叱責を食ったことがある面々)で上京して、ベアと呼ばれていた市内の別の私立校の二個上の人んとこだったかを借りて(大学生も春休みなので帰郷しているから部屋は留守)都内をウロウロした…筈だが何をしたかまるで覚えてない。部屋は江古田だったと思うが今思えば環七が近くだった気がするが何処いらだったものか、とにかく大きな通りの歩道橋を渡った記憶がある。

高3の夏休みは多摩美で行われた夏期講習に行った。本当は御茶美(御茶ノ水美術学院の夏期講習)を申し込もうとしたのだけど定員になり締め切られて、多摩美の夏期講習の募集案内も学校に来てるのを知って御茶美のより一週間ほど期間が短かったがとにかくそういうのを受けたかったので。この時は兄が既に大学生で上京してたのでそこを頼りに。田園都市線の高津だった。何処かまで迎えに来てくれたんだけどそれは何処だったろう? 忘れた。高津の駅のホームに着き兄が指をさした方角には富士山が見えた。夏期講習は八王子じゃなく上野毛で多摩美の大学院があるところで、だったので高津からはアクセスが良い。この時もなんだか車通りの多い道沿いだなって思ってただけなんだけど、上野毛の多摩美って環八沿いなんだよね。割と最近、そういうことだったかと知った。

夏期講習の帰りとか上野毛から自由が丘に行ったり、桜木町に行ったりした。夏期講習そのものはコテンパンになった。つーかね、みんなそもそも美大予備校いってるような人ばっかりなのだよ。こっちはその手の専門教育を受けたことなかったんだもん。高校の美術の先生は非常勤で日展の会員だった記憶だけどそんなにはデッサンが上手い感じじゃなかったし、そんな教え(美大受験仕様)をするわけもなく。

ぞの他、どの時で誰の部屋だったかまるで忘れたけど三鷹の辺りに行ったこともある。三鷹の三平ストアに行った記憶だけある。

長年、首都圏に住んでそれなりに土地勘もできるとあの頃、行ったところがどこだったのか辿ってみたくなる。辿ってみたくはなるが殆どまともには覚えていない上に思い出せる景色も今ではもうまるで変わっているであろうからあてのない放浪になりかねないので出掛けない。

きっと幸せになりますよ(私が