昭和の児童

マジョリティしかいなかった児童の頃

今でこそ、実家地元の最寄駅でも午後になると下校の高校生やらが集まってくる中に明らかに東アジア系ではない、白人だったり南アジア風だったり南米とか東南アジアだったりの学生服、セーラー服ないしブレザースカートが混ざってたりする(=市内に公立・私立の高校が3つあるので制服も三種類、近接の市町村の高校もあるから実際はもっと種類は多い)が、私が児童だった頃はドラえもん的な典型的な昭和な世界観の頃、東日本の田舎町なので被差別部落も外国籍の人たちも児童の行動半径にはまるでなかった、いなかった。

まともに通いはしなかったんだけど珠算教室に行かされてる時期があって、その先生がある日、どういう経緯か以前に教室にいた中国人の子がいじめられて母親がその子の鼻血が付いた服を持って抗議に来たという話をした。いつの話だったのかその頃はここいら辺にも中国人がいたんだー?と思った。

市内の中途半端な進学校の高校に進み高2の時に修学旅行があった訳だが古典の先生プロデュース的な企画になってしまい奈良京都を中心とした古の古典(平安時代・飛鳥時代)の旅となった。だが、日本海に面した東日本の田舎町の高校生男子で中途半端な進学校である。バリバリのヤンキーなんかはほぼ居なくて関西方面には朝鮮高校がある、ヤヴァいとかいう話になった時に私は初めて朝鮮高校の存在を知ったというねw。まあ、京都奈良なんて地元だけじゃなく各地の中高生が集まるんだから朝鮮高校がどうした、とかで騒いだのはいかにもアホであった。結局、実際に出会ったのかどうか、とうに忘れてる。

在日の人に出会ったのは高校卒業後に上京してからだ。バイト先の飲食店のマスターに店を閉めた後、車で食事に連れて行ってもらいその時、何があったか忘れたが警官に職務質問され免許証提示したら何て読むんですか?と訊かれてハングルな名前を言ってた。通名だったんだ、普段呼んでたあの名は。

友達が付き合ってた彼女がいた。やがて別れた。その後、ひょんなところでその娘と会った。これも経緯を忘れたが彼女の方から中国籍(台湾だったと思う)をカミングアウトされた。友達と別れた理由は知らんが、そういうこともあったのかな?

セツとか行ったりしてたから、性的マイノリティとかは雰囲気だけのも含めて、マジョリティではないものはその頃の自分の辺りに常にあり、別にフツー。そもそも自分自身、どっちとも付かないような格好を好んでしてたし。

自分自身は実際は常にどこか中途半端、どこにも属してない感があった。それは今でも。マイノリティとかマジョリティとかじゃないけど、みんなとは違う…とも思ってないけど、みんなと一緒とは言い難いよなー、と冷めたところがずっとある。ゆるーいナカーマはいるかもしれないけど朋友とか戦友とか竹馬の友とか銃後の友とかじゃない感じ。

だからなに?なんでもない。なんてこともない。わたしはわたし。ちょっと思って見ただけ。


きっと幸せになりますよ(私が