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未来の〈仕事〉を精緻に書いてきた藤井太洋が、〈労働〉へとスコープを拡大した −−『東京の子』

生まれて初めて文庫解説の仕事をいただいた。

依頼をくださったのは藤井太洋さん。正確には担当編集者さんからなのだが、『東京の子』の解説を書いてくださいというご依頼メールをいただいたときは「えっ、初めて書く文庫解説が藤井太洋作品でいいのか?」とかなり怖気づいた。

藤井太洋さんといえば元プログラマー。処女作を2012年に電子書籍で自費出版してデビューし、2012年の「Best of Kindle本」に選ばれ、出版界に衝撃を与えたことで知られている。

藤井太洋氏が自らの処女作を"自費出版"した『Gene Mapper』は、藤井氏のウエブサイト上での直販のほか、AmazonのKidleStoreなど4種類のチャネルで販売され、すでに9500ダウンロードを突破した。2012年の「Best of Kindle本」の文芸・小説部門では第1位。名だたる商業出版物を押しのけての栄冠だ。人気を受けて、2013年4月には早川書房から大幅に加筆した文庫本『Gene Mapper-full build-』も出版された(以降、最初の自己出版版『Gene Mapper』は『Gene Mapper -core-』と呼称されている)。藤井氏の登場は、「本当に本当に本当に電子書籍の時代が訪れたのかもしれない」と予感させる。

藤井太洋「電子書籍」のつくり方
https://president.jp/articles/-/10758?page=1

この記事によると、デビューのきっかけは、大震災後の原子力発電所の事故に関する報道に憤りを感じたことだそうだ。「科学と人間の付き合い方や自分が信じる科学と未来の姿をテーマに据えて小説を書いてみようと思い立ちました」と語る藤井さんの選んだジャンルはSFだった。会社員と兼業していた頃は通勤中の電車でiPhoneのフリック入力で書いていたそうだ。

『Gene Mapper』でデビューした後、藤井さんは2014年に刊行した『オービタル・クラウド』で『SFが読みたい! 2015版』の「ベストSF2014[国内編]」1位、第35回日本SF大賞、第46回星雲賞(日本長編部門)の三冠を達成している。そして2018年に刊行した『ハロー・ワールド』では吉川英治文学賞まで受賞している。

『ハロー・ワールド』は、私が初めて手に取った藤井太陽作品でもある。この小説の舞台は数年先の未来、主人公はIT企業に勤める普通のエンジニアだ。彼が作った広告ブロックアプリがインドネシアで売れ始め、原因をマーケティングリサーチで追っていくと衝撃の事実がわかるというのが表題作の『ハロー・ワールド』。そこを起点に、主人公は、デジタル化・DX化が急速に進んでいく社会のなかで、インターネットの自由を求める戦いへ進んでいく。めちゃくちゃ面白かった!

SFが好きな人たちはもちろん、藤井太洋作品を読んで欲しいのは、VUCAな(予測困難な)時代を生きるビジネスパーソンだ。「おすすめの小説は?」と訊かれると、迷いなく『ハロー・ワールド』と答えている。実在のデジタル企業がいくつも登場し、「数年先のビジネスシーンで起こりそう」というワクワクを感じてもらえそうだからだ。プログラミングってなんなの? という今さら誰にも訊けない知識もこの物語を読めば肌感覚で入ってくる。

以下は、私が『東京の子』で書いた文庫解説から引いた文章だが、藤井太洋作品で最もすごいと思うのは、作中における仕事描写の品質の高さだ。

『Gene Mapper』は2037年、『オービタル・クラウド』は2020年という、刊行された年の読者にとっては近未来が舞台であるが、そこで働く人たちのプロフェッショナリズムと職業倫理を藤井氏は細やかに丹念に描く。だからこそ、彼らが世界の危機に立ち向かうためになす決断や行動はきわめて現実的な感動を与えてくれる。自分が今やっている仕事にも、プロフェッショナルにやり遂げることができたなら、未来を改変する可能性があるのではないか。そう思わせてくれる力が藤井太洋作品には満ち満ちている。

『東京の子』(著・藤井太洋)文庫解説より

遺伝子を設計するフリーランスのデザイナー(『Gene Mapper』に登場)とか、流れ星の発生を予測するウェブサイトの開発と運用(『オービタルクラウド』に登場)とか、未来の仕事が描かれているから、SF小説と呼ばれてはいるけれど、「いやいや、これは仕事小説の王道ですよ!」と叫びたくなるほどである。
さらに、これはもしかしたら、元会社員小説家に共通する性(サガ)かもしれないが、藤井作品の主人公は、problem solver、であろうとするところがある。社会に広く問題提起をするだけでは終わらず、プロフェッショナルな職業人として、資本主義の内側に食いこみつつ、読者に対して、未来のソリューションを提示する主人公が多い。従来の社会派小説がNPOとしての"活動"なら、藤井作品はスタートアップ企業の"仕事"だと思う。

そして、今年2022年に文庫化された『東京の子』で藤井さんはさらなる試みに挑戦している。

「仕事小説」には制約もある。主人公は原則的に転職できない。それゆえ「人はなぜ働くのか」とか「働き方はどう変わっていくのか」など、多様な職業を貫く大きな問いを提示することが難しい。しかし「仕事」から「労働」へと範囲(スコープ)を拡大すれば、それは可能になる。
『東京の子』を読んだとき、感じたのはこの〈拡大〉だった。藤井氏は「仕事」から「労働」へと描く対象を拡げたと感じたのだ。

『東京の子』(著・藤井太洋)文庫解説より

藤井太洋が「労働」について書いた小説。それがこの記事の冒頭で私が怖気付きながら文庫解説を引き受けた『東京の子』である。

舞台は2020年から2021年に延期された東京オリンピック・パラリンピックが終わって数年後の東京。コロナも終わっているらしい。そのオリンピック会場跡地に一つの巨大な学校が建設される。そこは未来の仕事について学ぶ学校。そこで学ぶ若者たちは、奨学金を提供してもらえる代わりに、学業の傍ら、サポート企業で働く。そのまま就職すれば奨学金の半分がなくなる。つまり奨学金と引き換えに若者たちは就職先を制限される可能性がある。

近未来を描いた小説ではあるけれど、現在の大学生の奨学金受給率は2020年で49.6%なので絵空事には思えない。本作の解説を書くために調べてわかったのだが、1996年には21.2%だったそうで、24年で倍以上に増えていることになる。「今の若者は恵まれている」などという人もいるが、たとえば国立大学の初年度学費が現在の60代が大学生だった頃よりも10倍近く値上がりするなど、大学進学の経済的ハードルは上がっている。
そういった現実的な背景を知らなくても、この小説はエンターテイメントして十二分に面白いが、知っているとますます面白くなる。

そしてさっきも書いたが、藤井作品のいいところは主人公が、problem solver、であろうとするところだ。『東京の子』も例に漏れない。彼もまたある分野のプロフェッショナルであり、彼の技術が現実を替えていくトリガーになる。22世紀にむかってる感じが全くしない社会を俯瞰して描きつつ、「大丈夫、未来は明るいよ」と呼びかけてくれる物語をたちあげるのが藤井太洋だ。

22世紀に向かうビジネスパーソンや、大学関係者や、就活生にも、仕事小説家をめざす人にも、ぜひ読んでほしい一冊だ。

そして、私の初の文庫解説がどんなふうなのか読んでみたい、という方もぜひ。仕事・労働小説家のプロフェッショナリズムを発揮するため、けっこうな量の汗をかいたけど、おかげで文庫解説という新スキルの実績が解除されました。