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子育てはいつも後悔から始まる。

「ママ〜ママ〜。早く帰りたい」

お昼を過ぎて、ちょっとした頃、長女と次女を乗せた幼稚園バスが、バス停に停まります。
同じバス停には、他にも4人。去年まで一緒に通っていたお友達を含めると、いつも5人でバスを降りてから、少しだけ遊んでいくのが日課です。

「引っ込み思案だった長女のために」。と去年積極的に交流をしたことがきっかけで、今では多くの人にとても良くしてもらっています。

そのおかげか、それとも幼稚園が合っていたのか、去年まで引っこみ思案だったことが嘘のように、長女は活発に育っています。

去年まで保育園に通っていた次女も今年から同じ幼稚園に通いはじめ、バス停で一緒に遊びます。

保育園のころから、お友達と積極的に絡もうとしない次女を見ていて、少し心配になり、「どうしたもんか」と悩んだこともありましたが、まだ3歳。これから徐々に芽生えてくるだろう、またはこの子はマイペースな子なのかもしれない。と思っていました。「いつかはみんなと打ち解けて、長女みたいに遊び始めるだろう」と思っていました。

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幼稚園入学から半年ほどが経ち、同じ歳のお友達は、一つ上や二つ上のお姉ちゃん、お兄ちゃんと同じように遊んでいます。

私はママ友同士で楽しみ、長女は鬼ごっこや戦隊モノなど、いわゆる”お友達と遊ぶ”遊びに夢中のなか、次女は相変わらずです。

いつも石をかまったり、お迎えに連れて来られているベビーカーに乗った赤ちゃんを愛でていたりと一人で遊ぶか私の周りをちょろちょろしています。生まれが遅いことで、同じ学年の子の中でも小さく身体的についていけないのかもしれません。

そんな姿を見て、心のどこかでは「大丈夫かな?」と思いつつ、「ママ友とものんびり話していたい」「放っておいてもお姉ちゃんのように活発になるだろう」と自分の気持ちを優先させてたり他力本願でいました。

でもある日、ふと気がついてしまったのです。

「次女は一人でいて平気なのかな?」と。

好きで石いじりをしているのではなく、それしか遊ぶ手段がないのではないだろうか。本当はみんなと同じように遊びたいのに諦めてしまっていないか、と、気づいてしまうとあれやこれやと考え始めてしまいます。

同時に「放っておけばいつかは...」と次女に寄り添わずに自分の楽しさを優先していた自分にも大きな後悔が襲ってきました。

なぜ、次女の姿に後悔をしたか。私も幼少期に同じような経験をしていたからです。

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私は親戚の家に行くのが苦手でした。4つ上の兄は、男ばかりのいとこと部屋に篭って遊んで相手にしてくれないし、父も母も大人同士で話し込んでしまって誰も遊ぶ相手がいなかったからです。

話し相手がいない私は、お正月やお盆に親戚の家に行くたびに、一人で時間が経つのを待ち続けていました。庭に出たり、タイルを拾ったり、興味があることはやり尽くして、自分なりに考えて一人で時間を潰していました。でもそれは望んでいた遊びではなく、時間が過ぎるのをただ待つだけの「時間潰し」です。

次女が私に話しかけるように「ねえ。お母さん。早くうちに帰ろう」と何度も言っていたことを覚えています。
一人でいるのが楽しかったわけでもなく、一人でいるしかなかったあの時はつまらなくて嫌でした。

当時の私は、「なんで私が一人でいるのに、父も母も構ってくれないのか」と思い、とても寂しく、納得がいきません。私も同じく親になった今なら、父と母が大人同士で楽しみたい気持ちは、めちゃくちゃわかります。でもそれは子供には絶対理解できないことです。

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そんなことを思い出しながら、次女についてどうしようかと考えました。次女がどんな瞬間も楽しめるように、親の私がするべきこと。

このことを思った日から、次女の隣に立ち、次女が砂をいじっているのなら私もいじり、蟻を観察しているのならそれについて二人で話すようにします。次女が一人だと感じないように一緒にいることが大切です。

「ママ、こっちにきて花をつもう」

次女は私の手をひきながら、生き生きしています。早く帰ろうともいいません。

次女がこれから集団生活をしていく中で、うまく立ち回れるかはわかりません。テンポがあわず、辛い思いをする瞬間もたくさんあるはずです。
でもどんなことがあっても私や主人が100%味方で傍にいるという確かなことは、毎日行動で伝え続けていけたらと思います。

「子育てはいつも後悔からしか気づけないな」

と反省するばっかりです。


最後まで読んで頂きありがとうございます!