『Run for your Wife』感想、ジェンダー表現など

関西ジャニーズJr.の今江大地くん主演の舞台『Run for your wife』の名古屋公演を観劇した。緊急事態宣言の発令を受けて大阪公演の中止がアナウンスされたばかりであり、期せずして前楽の公演となった。

本作はレイ・クーニー作のコメディ劇。1983年イギリスでの初演以来、全世界で繰り返し上演されているシチュエーションコメディの名作だ。

ごくごく普通のタクシードライバーであるジョン・スミスはたった一つだけ普通でない秘密を隠し持っていた。それはメアリーとバーバラという二人の女性と重婚生活を送っているということ。綿密なスケジュール調整により双方にバレずに幸せな生活を送っていたスミスだが、ある日仕事中に事故にあったことによって、その歯車が狂い始めてしまう。やがて事態はご近所に住むスタンリー、ボビー、刑事のポーターハウスとトラウトンを巻き込んで大騒動に発展し…という概要。メアリーとバーバラの住むふたつの部屋が舞台という同一空間上で展開することによって、見る者をハラハラドキドキさせる仕掛けとなっている。疑念を抱くメアリーとバーバラ、ポーターハウスとトラウトン、そして事態を何とか元通りにしようと嘘に嘘を重ねて奮闘するジョンとスタンリー、それぞれによって展開がねじれにねじれていくさまがとても面白い。めちゃくちゃ入り組んだアンジャッシュのコントみたいだな、と感じた。


さて、ホームページを見ると「本作品は、1980年代のイギリス・ロンドンを舞台にしています。脚本は当時の社会通念や文化的背景に則って書かれているため、現代では不適切と考えられる発言が一部含まれますが、敢えて改稿せずに上演することが本作品にとって最適な上演形態であると考えてそのまま上演いたします。」と注意書きがある。上映前での前説でも繰り返し念押しされた。

それもそのはずで、後半に行くにしたがってホモフォビア(同性愛嫌悪)的表現が加速していく。メアリーをなだめるため、自分はスタンリーと不倫しており、バーバラは実は女装した男、バーバラと住んでいるこの家はゲイの発展場である…等の嘘を重ねるジョン。それを思いきり気持ち悪がるスタンリーとトラウトン。ショックのあまり差別的用語を吐きまくりヒステリーを起こすメアリー(ただしメアリーがヒステリックにブチ切れるシーンは本当に笑えた。これはガキさんこと新垣里沙さんの好演)。その様子が面白さとして提供される。いくら注意書きがあると言えど感性まで1980年代のロンドンに適応できるはずはなく、何度か思いっきり現代社会に引き戻され、真顔になる瞬間があった。差別的表現のある作品を現代で上演することの倫理的問題について詳しくないものの、単純にユーモアがユーモア足り得なくなる(つまりぜんぜん笑えない)という問題があるなと感じた。

例えば2018年に上演されたHans Friedrichs監督版では、面白みを生み出す複雑な舞台設定はそのままに、脚本の一部が変更されたようだ。ポリティカル・コレクトではない表現は削除され、代わりに絶妙な皮肉的表現に差し替えられた。演出にも工夫が凝らされたという。


メアリーとバーバラという二項対立

''Run for Your Wife'' is a series of male fantasies about male bonding and potency, homosexuality and masculinity. Barbara and Mary, as extensions of a fantasy, are adoring, unquestioning, subservient and stupid. (Frank, Leah D. May 6, 1990. The New York Times.)
『ラン・フォー・ユア・ワイフ』は男性同士の絆と性的能力、同性愛と男性性に関する一連の男性のファンタジーです。そうしたファンタジーの延長として登場するバーバラとメアリーは、夫を心から愛しており、疑問を抱かず、献身的で愚かなキャラクターです。
(日本語訳は筆者による。)


家父長制社会では女性は聖女と娼婦に二分化される、フェミニズム批評における鉄則である。この劇では、メアリーとバーバラがあまりにも見事にその二項対立に当てはまるので、むしろ痛快とすら思った。

家父長制社会における女性、つまり男性の妻になるものは「聖女」であることが求められる。性的なことに無知で清純、家庭を守る「台所の天使」であり、献身的な良き妻・良き母であること。いつでもジョンの身を案じ、献身的に支える本妻メアリーは「聖女」だ。メアリーが常に出入りする扉は台所につながっており、彼女は常にお茶を入れ、ジョンの疲れを癒そうと努力している。ジョンが外出しようとすると「ベッドで休んでいて」と嘆願していたようなしていなかったような。無知でヒステリック、そしてか弱いメアリー。ジョンは彼女に「お願いだから家にいて、心配しないで」と繰り返し伝える。そして後半、メアリーは本当に「聖女」(シスター)である、、、という設定で話が進む。ジョンとメアリーがセックスレスであるとポーターハウスは勘違いするが、これも「聖女」の清純さを強調する。(偶然にも、メアリー演じるガキさんはモーニング娘。時代にみんなの頼れる「お母さん」的ポジションにいた。)そもそもメアリー、名前から聖母Maryだもんね。ちなみにキリスト教美術における聖母マリアはいつも青の服に身を包んでおり、Marian Blueと呼ばれ、彼女の処女性や純潔性を象徴している。本作のメアリーも水色の爽やかなドレスを身にまとっている。身体のシルエットを覆うふんわりとしたシルエットだ。欧米のメディア表象における水色のドレスといえばシンデレラやアリスの服が思い浮かぶが、どちらも性的に成熟する前の無垢な少女性を象徴していると言えるだろう。

対するバーバラは「娼婦」だ。「娼婦」は、性的魅力で男を堕落させるファムファタル、欲深く、汚らわしく、本質的に「悪」である存在として表象される。すでにメアリーと結婚していたジョンを性的に誘惑して結婚まで持ち込んだバーバラの表象とぴったり重なる(ジョンの「僕はその気じゃなかったんだけどバーバラに誘惑されて仕方なく…」という態度含めて)。バーバラが出入りする扉は寝室につながっており、作中何度もジョンをベッドに誘惑する。ジョンの体調を案じてベッドで休んでと言っていたメアリーとは対照的に、「ベッドで楽しみましょう」と誘惑する。そして事態が入り組んでくると、ジョンはバーバラを外に追い出そう、家から閉め出そうと画策する。また、メアリーにはバーバラが異性装の同性愛者、つまり倒錯的な存在であると伝える。ちなみにBarbaraという名前は「異国の人」を意味するようだ。語源を調べてみたところ、古代ギリシア人の「意味のわからない言葉を話す人」の意味で使われたバルバロイに当たった。英語の barbarian(野蛮人)の語源となっている。つまりバーバラは名前からして、境界の外にいる異質なもの、疎外されるべきものというニュアンスがある。また、水色のふんわりとしたドレスを身にまとったメアリーとは対照的に、バーバラのドレスは燃えるように赤く、そしてぴったりと身体にフィットしている。ボディーラインが露わになっており、とてもセクシーだ。赤は情熱、本能、危険、性愛の色、男を誘惑する娼婦の口紅の色。水色とは対照的だ。

家庭の「聖女」に清純であれとする一方で、外の「娼婦」で性的欲望を満たす。そうした家父長制社会の両輪とも言うべき女性の表象が、メアリーとバーバラの二人によって体現される。きわめて「普通」の男性であるジョンがそうした両極端の女性から愛され、熱烈に求められる、まさにニューヨークタイムズにある通りの「男性のファンタジー」だ。

そして、その「男性のファンタジー」が崩れていくさま、それこそ滑稽で面白い。今まで良いように従わせていた「聖女」と「娼婦」がジョンのコントロール下から脱して主体的に怒り、疑い、夫に歯向かう。その真ん中でワタワタする情けないジョンの姿をいかに頼りなく滑稽に演じることができるか。今江くんは好演だったと思う。普段のキャラクター自体、とても温厚でめったに怒らず、いつもニコニコしているような人だ。ジョン・スミスはとてもハマり役であると感じた。


また、主人公のジョン・スミスは普通(Normal)の象徴として表現されるが、それが同性愛者という「倒錯」と対になるのだと感じた。「普通」が「異常者」と対比され、それが笑いになる構図。ド直球で差別的だ。

ちなみに1980年代のイギリスはサッチャー政権時代で、社会全体で同性愛嫌悪が加速した時期だという。以下に詳しい。

また、同時期のイギリスで同性愛差別と闘った人々を描いた映画『パレードへようこそ』(原題:Pride)、めちゃくちゃ面白いのでお勧めだ。ビル・ナイの好演が見事。


こうやってジェンダー表現やセクシュアリティ表現についてあれこれ考えながら観るにはうってつけの劇で、ふだんジェンダー批評をかじっている者からしたらそういった意味で非常に「面白い」ものだった。

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