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葬式にまつわるエトセトラ



日本に住む人間は、一生のうち結婚式と葬式、どちらに多く参列するのだろうか。私は22年生きてきて結婚式に1回、葬式には5回参列したことがある。今のところ葬式の圧勝であるが、それもそうかもしれない。世の中には結婚するひととしないひとがいる。結婚式をあげないひともいる。身内のみのアットホームな挙式で済ませる人もいる。とはいっても友人の殆どはつい先ほど社会人になったばかりであるし、これから先10年で結婚式の怒涛の追い上げがあるのかもしれない。わからない。そもそも結婚式に招待されるほどの人間関係を私は周囲と築けているのかどうかも怪しい。こんな計算をするのも時流に合っていない気がする。結婚が女の人生のとりあえずのゴールで、ウェディングドレスを着ることこそ至上の幸せとされた時代は過ぎた(と思いたい)。晩婚化や未婚化を嘆く知識人たちも多いけれど、幸せな人生の在り方が多様化したということで、ポジティブな現象じゃん?と思う。
それが葬式はどうだろう。人は必ず死ぬ。死に多様性はない。葬式自体に多様性はあるけれど、葬式をやらない人はあまりいない。結婚式はじっくり参列者を選ぶ時間もあろうが、葬式の前はそんなこと考えられたものじゃない。思考停止した頭で誰彼構わず連絡をしまくっている間に、白黒で飾りたてられた式場にはずらりと参列者が揃っている。参列する回数は少ないほうがいいに決まっているのだが、自分が生きているうちは無情にも他の人が死んでいくのを見るしかない。結婚式に参列しない人生はあるだろうが、葬式に参列しない人生は難しそうだ。


なぜかわからないけれど、まだ外が暗い5時半頃に目が覚めたのが去年の2月はじめだった。スマホを見ると、「電話して」とだけ母からメッセージが来ていたため、私は(あ、誰か死んだな)と思った。ちょうどその2年前も同様のメッセージで親戚の死を知ったので、電話する前からなんとなく覚悟ができていた。それで、人生5回目の葬式に参列しに、空っぽのスーツケースにとりあえず喪服だけ入れてはるばる帰省した。2018年の2月、島根県は数年ぶりの豪雪に見舞われており、それはそれは寒い日だった。

常に私の喧嘩相手となってくれた大好きなおじいちゃんの死は少なからず私を絶望させたけれど、ここ数年の身体の弱り具合を見る限り、持ってあと数年だろうなという覚悟はできていた。覚悟はできていたが、帰りの新幹線では抑えようにも一緒に暮らした日々が思い出されるため、ひと目も気にせず咽び泣いた。親族の宗教家曰く、葬式では笑顔で故人を送り出してあげるものらしい。無理だと思ったが、わりとうまく平静は保たれるものだ。実家にたどり着き、さてひと泣きするかというときに、除雪作業に駆り出された。これがとんでもなかった。夕闇の中ホワイトアウトしていく視界に、死を感じた。慟哭しようにも体力がいる。除雪と葬式の準備で疲れ切った親族には泣いている暇も体力も無い。というわけで、慌ただしく各地から招集された親戚一同は、遺体の前で泣かず、ピザを食べた。普通に美味しかった。不謹慎と糾弾されるだろうか。べつに死んだおじいちゃんが気にしていなければいいじゃない。確認しようがないけど。おじいちゃんは頑固ものだったが、お喋りと家族を愛した愉快な人だった。棺桶の前にピザがあったら食べるだろうな。家族の中で唯一几帳面で世間体を気にする厳しいおばあちゃんは今やすっかりボケきって、参列しているのが愛するおじいちゃんの式だともわかっていない。以前のおばあちゃんだったら顔をしかめるだろう。それを思うと少し悪い気がしたが、当のおばあちゃんは見知った顔が一同に介しているのでちょっと上機嫌だった。その顔を見て気が抜けたのを覚えている。

葬式のマナーは難しいという回が銀魂にあった。難解なのかもしれないが、私は葬式なんて、良識の範囲内で喪主と遺族の自由にやっていいと思っている。いわばあれは残された人が故人を囲ってする最後のパーティーなのだ。マナーが気になり何も覚えていない、では勿体ない気がする。私はおじいちゃんの葬式に緑の髪で参列し、式に彩りを添えた。家族は美しく整えられた遺体を記念だからとスマホで撮影。最後は棺桶に愛情と雑貨をぶちこんでフィニッシュ。棺桶に何を入れるか遺体の前で家族会議を開催する遺族を見て、参列者は存分に顔をしかめたことだろう。写真と本と茶菓子と帽子。母は喜々として生前おじいちゃんが愛用していたハズキルーペを持ってきたが、それは流石に緩やかに制止された。年期の入ったでろでろのステテコを入れようと試みたが、黄ばみすぎているということで却下された。みんなで笑ったが、おそらくおじいちゃんは気にしてない。絶対に笑ってはいけないという制約を課されると逆におもしろみが増幅してしまうというのはダウンタウンが証明済である。愛ゆえの不謹慎なので、ゆるしてね。いい式だったよ。

葬式は残された人のためのものである、と身内の宗教家が言っていた。ただ我儘で目立ちたがりな私は、自分の葬式を最後の晴れ舞台としたいという妄想をずっと抱いている。葬式だって私のものにしたい。参列者にはドレスコードを指定したい。故人が生前大好きだった60年代、Swinging Sixtiesをテーマに着飾って来てほしい。喪服なんかで来たら死者への冒涜と思え。棺桶の前でパーティーをひらいてほしい。泣き、笑い、ロックンロールで踊ってほしい。ひとりひとつデパコスを持参し棺桶に詰めてほしい。死に化粧は思いっきり派手にやってほしい。アラーキーを呼んで思いっきりセクシーで耽美な遺体の写真を撮ってもらって、帰りに配布しといてね。これは予算が合わなければ削ってもらって構わない。
私の妄想は結構ガチなので、葬式で流すプレイリストだって作成済みだ。



もしも私がセンセーショナルな死を遂げて一躍有名人になれば、下世話なマスコミはこぞってこのページを引用するのだろうか。被害者には以前より死の願望が…とか言われちゃったりするのだろうか。どうでもいいが、遺族よ、私がこういう葬式を望んでいるということはここに大々的に宣言させていただきたいと思う。

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