見本誌が届かない
俳句界にはそれぞれ結社があり見本誌を配布しているところがある。
どんなものなのだろうと、ある結社に見本誌を送ってくれるように頼んだ。2ヶ月たつが送られてこない。お金を支払うこともなかったので、ただこちらの個人情報を知らせたのみだ。
こちらの簡単なお願いの文言が気に入らなかったのかもしれない。あるいは忙しくてそれどころではないのかもしれない。見本誌はもうないのかもしれない。
再び連絡をしてお願いすることはできる。もしかして三顧の礼を果たさなければ送付しないというシステムなのか?と思ったりもする。俳句ブームで素人がうるさく言ってくるから一度の頼みだけでは聞き入れないのか?と邪推してみる。
ねちっこく食い下がり何度でもお願いすることはできる。そういうすれ違いはよくあることだ。大した手間でもない。しかし、ああ、そこはそういうところなのだなぁと思ったきり放置してある。のんきなものである。
のんきにしているのは、様々な結社が他にもあり、見本誌が欲しいと思えばそこに連絡をとりさえすれば届くとわかっているからだ。届かないところにもしつこく連絡をすれば送ってくれるだろう。
縁がなかった、というより自分が縁を結ぼうとしなかったのだと思う。そういうこともある、ということだ。
俳句を作りはじめた時は、とにかくまともな形を作りたいだけだった。足りないながら形になってきていると思う。ただ、そこに自分の感情がこもってるかと微妙だ。形を優先させれば感情は萎み、感情を優先させれば稚拙で凡庸になる。そこがなんとももどかしい。もどかしいと思いつつ、今はそれで良いと思う。どんな句でも自分が作ったものは愛おしい。
質の良いものを求めてきりきりと焦り絞り上げたい時期はある。そんなことはどうでも良いと思える時期もある。好きにすればいい。どちらも良いように思える。
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