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下書きだけが溜まっていく

noteへの投稿が滞ってる。

書くことがない、時間がない、意欲がない、いろいろあるけれども書いていないわけではない。書きかけては途中でやめてしまい、下書きだけがどんどん溜まる状態だ。

質がどうであれ、やりはじめたものはやり終えるというのが信条なので、この状態は自分の中でまとまりがつかない状況なのだと思われる。

noteをやりはじめて数年。

最初はショートショートやたまに連載ものを書いたりして、創作中心だった。ネタ切れのため、ぼやきのようなエッセイもどきを書き始めたり、俳句をやってみたり。最近は応募に参加したり読書感想文もどきを書いてみたり。だんだんブログのようになってきたものの、自分の生活に関して別段書くこともない。ただ、思いだけは書く。書きたい。

自分の書く内容が変わるにつれ、読む記事も前とは変化しているのを感じる。

専門家と素人の狭間のようなこの空間で、ビジネスや思想に徹することもできず(もともとビジネスや思想、宗教等のために書いたり読んだりする気はない)にいる。「くりえいたあ」ではなく目指してもいない。

何者でもない空間に息抜きに漂っていてはダメなのだろうか。

若い頃、「モラトリウム」という言葉が流行った。その後、「何者か」になって生きた。今でも誰かにとっての「何者か」であり、それに対して違和感はなく、それは自分自身だと認識している。

それでも、どこかで何者でもない自由な自分でありたいという願いがある。その自分がnoteでの自分だ。

note内での自分は、リアルでの自分とさして変わらずどちらもイコールだと思っている。ここは肩書きのない遊び場なのだ。

遊び場の中を漂っていたい。そんなゆるい願いを持ってここに居る。



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