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宮崎駿「君たちはどう生きるか」

原作の本は読んでいません。漫画版ですら読んでいないのです。

アニメ自体それほど興味がなく、今回はお供で映画を観てまいりました。

感想は…一言で言うなら難解。というのは、場面が次々に変わり登場人物も変わり、たとえ同一人物でも性質や見た目が変わり混乱するからです。一つ一つのシーンが非常に象徴的で、ストーリーを追うと理解できなくなります。

大雑把に言えば、現実に拒否感を覚えた主人公が異世界で冒険することで現実を受け入れていくお話。いわゆる王道のストーリーだと思います。以下ネタバレなので、見てない人はご注意を。

主人公である真人少年は、空襲により入院中の母親を失う。母親の実家に疎開することになるが、そこには父の子を宿した母親の妹が待っていた。その広大な屋敷の一角には塔が建っており、その塔には青鷺がいた…。

真人が母親の死や変化する境遇に馴染めずにいるのは、あまりに硬直したお辞儀や言葉を一言も発しないところ、出されたご飯を「おいしくない」というところから十分察せられる。

転校先の級友との諍いの後、石で自分の頭を傷つけて血が大量に流れるシーンがある。それは、理不尽な現実世界への怒りや憎しみ、悲しみといった今まで抑圧してきた感情が一気に溢れ出したかのように見える。

やたら絡んでくる青鷺は、彼の心の裏側を反映したような存在に見える。悪意やなんやらの真人の持つ負の側面を象徴しているような気がする。だから、最初はそれを殺そうとする。しかしそれが彼の内面への導き手となるのが興味深い。

塔は精神世界の象徴のような感じがした。幾つもの層を「降りていく」ような気がした。昇るのではなく降りていくと受け取った。「地獄」という言葉からそう思ったのかもしれない。自分の心の深いところへ降りていく作業を、場面が変わるたびに繰り返しているように思える。ダンテの神曲のようだ。そこで、彼は自分の心の中にあるものに気づいていく。美しいことも心通わすことも悲しみも失望も。

最後に辿り着いた場面で、彼を待っているのは美しく汚れなき石を積み上げた大伯父だった。ここでその汚れなき石を積み上げて新しい世界を作るかと問われ、真人は断る。自分は悪意を傷として持ってしまったから、と。

この場面で、ああ、真人は大伯父のように精神世界に閉じこもり清潔に生きるよりも、己の悪意(汚さ)すら引き受けて現実世界で生きようとしているのだな、と思い感慨深かった。

母親が自分のこの先の運命を知っても同じ世界に帰るのを選んだ理由が、真人を生んで会うためだと真人は知る。それがどれほど彼を勇気づけ、母親の死を受け入れて生きていく糧になったことだろうと思う。

塔から出たら、塔内では兵士のように屈強で大きなインコ達は美しい熱帯の小鳥となり、死の象徴のようなペリカンは美しい白い群れとなり散っていく。現実世界では価値の転換が起こったかのように全てが美しく昇華されていく。

絵が美しく本物のようで魅了されました。自分の理解の仕方は上記のようになりますが、他の方が見ればまた違った感想を持つのではないかと思いました。とても暗喩に満ちていて、人がそれぞれ持っている知識や経験でどうとでも解釈できるように思うからです。いろんな方の感想を聞いてみたいなぁと思わされた映画でした。

<補足>
noteでこの映画についての記事を読みました。その人それぞれの世界観から感想を述べていて興味深かったです。駆け上がったいたのか走っていたのかわかりませんが、主人公の走る姿(駆けていくその足)に枚数をかけてるなぁと思っていました。足の動きがありえないほど細かく速い。何故なんだ?と思っていたのですが、これに対して考察を加えていた方もいてなるほど!と思いました。

何かに対して感想を述べるということは、自分というフィルターを通してしかできないわけで、図らずも「自分」が浮き彫りになって面白い作業だなぁと思いました。感想シリーズ、果たして続くのでしょうか?(今年はこれでいこうかな?)






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