水俣病訴訟を見れば、第二の水俣病も多くの救われない犠牲者が生み出されるのは確実である

今から100年以上前から始まった熊本のチッソ社の工場用水による公害の被害者訴訟が100年以上たった今でも続いている。
チッソ社は熊本に1900年頃に工場を建設し、1920年頃から近海に異常が発生して漁師を中心に被害を訴えていたが、被害の訴えがようやく世間で認められ始めたのは、それから約30年以上たった1955年頃だった。
熊本の水俣病の歴史を学べば、公害による被害を訴えて世間に知ってもらうことが如何に難しいか、さらに公害の被害を訴訟によって認めてもらうことが如何に難しいかがわかる。

現在も水俣病の被害者団体1400人が国とチッソ社を訴えている。
2024年3月22日に熊本地裁で判決が出されたのは、水俣病の最終解決策をうたって2009年に施行された水俣病特別措置法の対象とされなかった熊本や鹿児島などの144人が、国や熊本県、原因企業のチッソに賠償を求めたもので、熊本地裁は144人全員の訴えを認めずに請求を棄却した。


その判決内容がとても酷く、144人のうち、25人には水俣病であると認定はしたものの、訴えの請求が認められる制限期間である除斥期間が過ぎているために、結局は請求が認められないという内容であった。
裁判所がこのような判決を下すことは少なくなく、結果は全員の請求を認めないという判決を出すにもかかわらず、形だけは「認められるんだけど、他に認められない条件があるから、全体としては認められないですね~いや~残念です。残念!」というような、いやらしい判決だ。

裁判所は大抵、国や大企業の見方をする。
さらに国や大企業は公害問題対策をしないことで巨額の利益を上げ、公害問題が世間に明るみとなることの対策として、公害問題の証言者や実情を知る者たちを買収する。
巨大な権力が結託して、弱者である一般人被害者を蹂躙するのが公害問題だ。
さらにたとえ裁判所が公平に裁判をした場合でも、原告被害者が訴えている相手方の行為が本当に被害を与えた因果関係があるかが認定されるかどうかは非常に難しい。
だからこそ、公害問題というのは発生してからではほとんど救済などされることはなく、事前に止めるか逃げるかしか方法がない。

熊本水俣病は1900年頃に建設が開始され、1920年から甚大な公害被害が顕在化し、1960年頃から本格的な被害を訴え始めたにも関わらず、その60年以上が経った2024年でも根本的な問題が解決されていないのが現状だ。
この長い戦いを続けるには、それまでに様々な国や行政、大企業の嫌がらせや脅迫を受けながらも、それに耐え、負けずに戦い続ける必要がある。

2024年に熊本にTSMCが大規模工場の工事を完了させ、更なる第2工場、第3工場の建設の準備を進めている。
TSMCの熊本工場周辺では工事開始時点から水の汚染や地下水の激減が地元住民によって訴えられているにも関わらず、国や熊本行政、大企業のTSMCは知らぬ存ぜぬを貫いている。
このままいけば、熊本のTSMC工場が第二の水俣病となることは必然的だろう。

愚かな歴史は繰り返されるのである。


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