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平成と令和の間で

わたしは平成に生まれ、青春のほぼすべては平成で過ごしました。

時代は令和に移り変わり、25歳になりました。サラリーマン3年目、名実ともに”大人”になった私は、この先の社会への不安と今後何十年と年功序列に決まりきったような給料、毎日を繰り返すだけの日々に辟易しながら、「自分は何がしたいのか?」という命題にたびたびぶちあたります。この世界が作り出そうとする世界がなんなのかさえわからず、自分がこうしていることが前進なのか、幸せなのか、正解なのかわからずにいます。

いったいなにが前進なのか、前進することで幸せになるのか。そんな疑問や不満を抱えながら、自分の青春を思い出すときはいつも平成です。友人と卒業アルバムを開いてガハハと懐かしんだり、打ち込みすぎて空回りばかりだった部活時代を思い出したり、大学時代ばかみたいに朝まで遊んだあの日のことを思うとひどい安堵と、もう一生戻ることのできない時間に胸の奥がぎゅっとつかまれるような気持になります。

「あの頃はよかった」「昔は楽しかった」という言葉がふと出て、これから先は絶望しかないのではないかという失意に満たされます。平成はたのしかったです。マスクもいらず、好きに旅行に出て、飲食店は朝までにぎわいました。震災に見舞われながらも人間と人間のつながりはあたたかく楽しくやってきました。

「あの頃にもう一度戻れたら」そう思います。まだ来ていない時代は、感染症とたたかいながら、膨らみ続ける国債と歯止めの利かない少子化。気候変動によって降りやまない大雨と嵐とその場しのぎな政治が続く、絶望ばかりの時代かもしれない。ここから先に行くのが怖いです。できることならずっとあたたかい平成の思い出に縋り付いていたい。

では、未来へと向き合うことをやめて、ここで時間を止めるのか。私は私の歩みを止めることも、時代を引き返すこともできない。大人になるということは、過去と未来という不安の狭間に生きてゆくということなのでしょう。

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主人公が言います。「はやく大人になりたい!」小学生のときなら疑いないそのセリフも”大人”になった自分に”子供”のころの自分が問いかけます。「本当に大人になりたいか?これがあんたのなりたかった大人か?」

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