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遠い警笛

「C57 57」

1937年3月に幹線旅客用として生まれた蒸気機関車だ。
岡山、仙台の各機関区を経て1949年、小樽築港機関区に配属。
1966年までの17年間、道内の主要幹線を走り抜けた。

小樽を去ってからも室蘭、苗穂(札幌)、岩見沢と、
道内の各機関区で重用されたのち、1976年に廃車。
走行キロは実に336万5110キロにも及ぶ。

国鉄に勤めていた僕の亡き祖父は、小樽築港機関区配属の機関士だった。「お召し列車」を2度運転したことを生前、自慢げに話してくれた。

この「C57 57」は、
1954年8月に道内で開かれた国体で、
「お召し列車」を牽引した2機のうちの1機。
もう1機は廃車後解体されてしまったというが、
この「C57 57」は、東京世田谷・大蔵運動公園に
静態保存されている。

「おじいさまが運転された蒸機がありますよ」

そう教えて下さったのは、元プロ野球選手の或る方だった。
引退後には保存蒸機撮影の旅を楽しんでおられる。
取材に伺った際、何げない会話から祖父の話に彼はとても興味を持ち、
いろいろ調べて下さったのだ。

仕事で、いくつもの企画案を考えなければならず、
煮詰まっていた一昨日の午後、祖師谷大蔵駅から歩き、
「C57 57」に会いに行ってみた。

北の大地から遠く離れた東京で、数十年を経て思いがけない出会い。
……もっとも、僕はこの蒸機に乗ったことも
見たことも無かったわけだけれど。

運転台には階段が備え付けられ、中に入ることができた。
何だか不思議な感覚を覚えた。
知らないのに知っているような、無機質なのに温かいような。
適切な言葉が浮かばない。

鉄路の先には結局、何があったのだろうか。
夥しい煤は結局、どこへ消えていったのだろうか。
遠い警笛が聞こえた気がした。

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