SNSで政治の話をしたがるのはただの正義中毒

SNS嫌いの自分にとってはどうでもいいことだが、X(旧ツイッター)の有料化がどうのこうのという話でSNSの移住が話題になった。
その中で、政治の話禁止のSNSが出てきて、それを一生懸命叩いてる人がいるらしいのだ。

そんなもん叩いてねえで票が1票でも増えるような活動したら?頭が悪いの?

としか思わないのだが、ここで興味深いのがSNSで政治の話をしたくてしたくてしょうがない人たちの主張である。ざっくり以下のようなものである。

SNSで政治の話をしないのは現状肯定!与党に与する行為!
現在ある差別を温存しようとする許せない悪の行為なんだ!

そんなわけねーだろ、バカが!!!!!!!!!

なんでSNSで政治の話をしないだけで与党支持になるんだよ、なるわけがないだろ、アホ!
人間はSNSでしか活動していないとでも思っているのか?
SNSに、その人間の思想や考え方の全てが出ているとでも思っているのか?

SNS以外でも政治のことを考える場面なんていくらでもあるだろ!!
なんでSNSでやらないというだけで、政治のことを何も考えていないことになるんだよ!!なるわけないだろ!!バカ!!!!

お前にとってSNSが人生の全てだからといって、他の人間もそうだというわけではない。全人類が、SNSだけに人生をかけてるお前のようなクソしょうもない人間のわけがないだろ。

じゃあなぜ政治の話が嫌われるかという話題になったとき、必ず出てくるのが「政治の話をしてる人たちは口汚く相手をののしってばかりで感じが悪い」ってやつなんだが、これも実は半分正解で半分間違いである。

じゃあ相手をののしるようなことをせずに政治の話をすればいいだけなんだ!という論調が出てくるのだが、それは無理なのである。
なぜ無理なのか。
それは、
SNSは政治の話をするのに向いていないから
だ。

政治から、悪口や罵倒を取り除くことは、難易度はともかくとして可能なことではある。
だが一方で、SNSから悪口や罵倒を取り除くことは不可能なのだ。
気に入らない人間や意見に対して、悪口や罵倒を行うことこそがSNSの本質だからである。
悪口や罵倒のないSNSは、もともと同じ考えの人間だけが集まっている場合に限られる。

つまり、多様な意見、見解を出し合う場としてSNSは決定的に向いていないのである。
そして、SNSで政治の話をしない人たちは、SNSは政治に向いていないということを理解している。理解しているから政治の話をしないのである。
それを理解していないバカだけが、SNSで政治の話を延々と続けている。自分はバカじゃない、正義なんだと妄信しながら。

いや、バカだから!!!!!

それぞれ適した場、適さない場があるということなのである。
それを理解できず、自分に都合のいい行動をとらない人間は、自分にとって悪い思想、考えの持ち主なんだ!と短絡的に結び付けて攻撃を始めてしまう。これがSNSで政治の話をしている人たちの正体だ。

どこまで頭が悪いのか?
政治とは票の獲得競争である。
自分のアクションが票になるなら行動すべきだし、ならないなら行動すべきでないのである。マトモな知能のある人間はこの目的を見失ったりはしないのだが、政治の話をすることが目的化してしまっている人は、その判断ができない。
自分の意見で相手を打ち負かすこと、自分の意見をみんなに褒めてもらう、認めてもらう、それで気持ちよくなる。
これが政治の話をする目的になってしまっている。

政治の話をする俺は、愚かな民衆とは違うんだという自尊心だけが高まり続ける。
そう、正義中毒である。正義中毒なのである。

とある漫画家も、SNSで政治の話をすべきだと主張していたのだが、
SNSで政治の話をしなきゃいけないのなら、お前の漫画の中でやったらどうなんだ。お前のSNSよりもっと多くの人が読むだろう。
なぜやらないんだ?やらないのは現状の肯定で差別の温存ではなかったのか?
自分に都合のいいものにだけ適用してるんじゃねーぞ!!!
ネタの中で政治主張を延々と垂れ流したとあるお笑い芸人のほうがよっぽど筋が通っている。

政治の話大いに結構。
だが、やるべきときとやるべきでないときとがあり、それは人それぞれなのだ。
それぞれ別の価値観、生き方がある。

自分の都合と考えだけで他人を塗りつぶそうとするな、ドクズのゴミ野郎が!!!!!!!!!!!!!!!