結婚は既得権益。独身者を虐げたくて仕方がないものたち
同性婚まわりが騒がしいのだが、あのさあ?
同性愛者の尊厳?じゃあ、独身者の尊厳は??
まず大前提があるのだが、既婚者というのは権力者である。
そして既婚者は、独身者を虐げることが許されている。
これは事実・現実の歴史であり、否定することは許されない。
つまり、既婚者は結婚に至る能力、地位、人格的評価を持つ優れた人間であるから、そうでないものを虐げることは正当な権力行使であるとされている。
私がこのような記事を書いたら、コメントに「だからお前みたいな性格の悪いやつは独身なんだ」と言ってくるやつがいるだろう。
それこそが権力行使そのものなのだ。
また、既婚者は、子供をもうけ、未来を創る存在であるから、
そうでないものを虐げることは正当な権力行使であるとされている。
独身者がちょっとボヤいたら、すぐに子供を作らないくせに!と言ってくるやつがいるだろう。
それこそが権力行使そのものなのだ。
このように、既婚者というのは身分階級が上の存在なのである。
このような身分階級に対して、多様性のある社会はどうするべきかとなれば、当然、身分階級をなくすべきという話になるはずだ。
ところが現実の多様性ファイターたちはそうは考えない。
あくまで自分たちが特権階級になるぞなるぞということしか考えていないのである。
同性愛者が結婚しても、独身者に何の影響もないという言葉も疑わなければいけない。既婚者というのは、独身者を虐げる特権階級だ。
その特権を手に入れた人間は、必ず下位階級の人間を虐げるだろう。
同性愛者であろうが、異性愛者であろうが、しょせんは同じ人間なのであり、権力を手に入れればその力を行使するだろう。
結婚できるようになった直後の人々は、確かにそのように横暴な既婚者にならないかもしれない。
だが、20年後は?50年後は?間違いなく、特権行使したくて仕方ない者ばかりになるだろう。
ただ口だけで、綺麗ごとで、自分をよく見せるために、独身というのも普通の在り方だというのは、簡単だ。
だが、実質が伴わなければ意味はない。そして実質は伴わないのだ。
だからこそ、全ての人に結婚の権利を、などというまやかしの綺麗ごとを掲げる人間は、許されない。
そのような特権は、廃止せよと主張するべきだ。
こんな記事を書くと、無意味な対立、分断を煽るなと考える者もあるだろう。だがそもそも攻撃している側は誰なのか?
そっちに言えよ!
というか、単純に、幸福度ランキングで考えてほしいのだが、
既婚者>パートナーがいる>パートナーがいない がハッキリ明確な序列であろうよ。
既婚者に、結婚できている今とできていない状態を比較してどちらが幸福と答えるかは明確だ。
パートナーがいる人間に、そのパートナーがいないのといるの、どちらが幸福と答えるかも明確だ。
パートナーがいない人間が、どう答えるかは、かなりまちまちだろう。だが、パートナーを求めるものも多い。
すなわち、この幸福度の序列は、あまりにもハッキリ明確なものなのである。
この序列を解消しないまま独身でも幸せだなどという言葉で誤魔化すのは独身者への虐待そのものだ。
実が伴わない口だけなのだ。これもそうなのだ。
別に、この序列を解消するために誰もがパートナーを持てるようにしろなどと言っているわけではない。
そんなことを本気で言う人間などいない。
必要なのはバランスだという話だ。
幸福度序列下位のものを、さらに虐げてよい。このバランスがおかしいということなのだ。
このバランスをとるためには、独身者にはより大きな恩恵が与えられるべきだ。
独身者は自由だろというかもしれないが、その自由さを天秤にかけても結婚する方が魅力的だと思っていることを都合よく誤魔化すな。
自由より愛のほうに価値があると思っているくせに、自由な他人を見たら攻撃をする。あまりにも身勝手でめちゃくちゃである。
独身者からはもっと税を取り立てろ?
一体なにを言っているのだろう。権力者たちの考えることはあまりにも恐ろしい。自分が特権階級だからそんなことが言えるのだ。
持つ者と持たざる者を比較して、持たざる者をさらに虐めることが正当化される、これが特権階級でなくてなんなのか?
バランスの天秤は、全く釣り合っておらず身分格差がある。
にもかかわらず、この格差を埋めるどころかさらに広げるべきだという主張が正義とされる世界、なんと恐ろしい世界なのだろう。