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少女Aについて

私の中には私が2人いた。
片方の私は理性的で、如何なる時も物事の最適解を見つけることに苦心した。もう片方の私は本能的で、承認欲求に脚が生えて歩いているかのように愛を希求した。人間であれば誰しも二面性や本能と理性があるものだが、私はそれが生まれつきなのかかなり顕著なものだった。

私の頭は眠っていない限り、まるで新品のモーターのようにいつでもフル回転していた。常にあらゆることを考え続けた。中でもとりわけ私が思考に労力を割いたのは、間違いなく対人コミュニケーションに対してだった。決まって、人と関わる時の私は常に相手が私に貴重な時間を割いて接してもらっているのが忍びなくて、相手が求める応えや喜ぶであろう反応を返すことを常に心掛けた。私と話した人は、私のことをやれ自己肯定感が低いだの自分を過小評価しすぎだなどと宣ったが、きっと私のその行動のベースは、相手に嫌われたくなかっただけなのだ。相手にとって私といる時間が無駄だと思って欲しくなかった。私といる時間を楽しんで欲しかった。有益だと思って欲しかった。もう数年前から理解し、続けていたこのルーティンに対して、何ももう思うことなどなかった。川を流れる石のように、なすすべも無く、何も思うことはなく、毎日を生きていた。
私の頭は常に最適解を探し続けた。1つ言われた言葉に対して、何と応えるのが適切か、常に探し続けた。実際それで喜ぶ姿や笑っているのを見た時、湧いてくる感情はそれに対する喜びではなく、私という存在が認められたことに対する安堵だけだった。
認められたい。捨てられたくない。私が無駄な存在だと思って欲しくない。癒しを得ても得ても乾いて潤わない砂漠の中に1人いるような毎日を、私は幾度となく続けていた。

季節が巡り、大学生になって、私は心理学を学び始めた。
自身のように苦心する人の助けになりたかった。同じ気質を持っている人間として、誰かの援助をしたかった。加えて、こんな頭でも楽に生きられる方法はないのか、感情という不確かなものについて深く知りたかった。大学院に進学することを志とする人に比べてはモチベーションなどは少なかったかもしれないが、私はそれなりの意志を持って勉強を進めた。心理系の国家資格である公認心理師の職に就く為の課程もとり、自身の脳がどうしてこんなにも騒がしいのか、同じような脳を持ってしまった人にはどう接する道があるのか、懸命に学習を進めていた。

ある日の授業、実際にカウンセリングに訪れた人の事例について解説している時だった。それは、内容を簡単にまとめると、鬱になって心身共に苛まれる中でそれでも尚頑張ることを強いられた、というケースについてだった。このことに対して受講生の我々に教授は意見を求めた。自身がそのクライエント本人ならどうするか、考えて欲しいとのことだった。
昨晩の寝不足を引きずり、若干夢の世界への扉を開けつつあったが、私はその問いに対して明確な答えを持った。鬱になって頑張ることなど出来ない、私はそれを理解していた。自身が実際に今、鬱を患っているかどうかは別問題として、脳内を「鬱になってしまった状態」になることは私にとって難解なことではない。自身が頑張っても頑張っても心や体がついてこない、心身が乖離したような状態はあまりに無慈悲で、残酷で、惨憺たるもので、命じられた「頑張る」なんてことはこの状態で出来ないという結論に至ることは、あまりに容易だった。それを強いることはあまりにも道徳心が無い。全身に矢を打たれ血を流し虫の息になっている落人に対して生きろと言っているようなもの。私は理解していた。つもりだった。
ある程度の時間が経って、教授は受講生に対して意見を求めて歩き回った。私が着席している列とは反対の列に向かっていくものの、他の受講生も心理学を学んでいるなら大方これくらいの事実は理解しているだろうと思っていた。
だがそれは根拠の無い慢心と高望みに終わった。
他の受講生から出た意見は、驚くことに、『鬱でも頑張る』や『どんなにしんどくても頑張る』などといった、綿のようにふわふわとした寝言のような内容ばかりだった。
世界が1秒遅れたような感覚に陥った。
呆気に取られ、足場が崩れるような思いだった。同時に、世界に1人取り残されたような気分だった。他の意見を一言聞いただけで否定的な立場をとるのは賢明なことではないとは言え、あまりにも期待していた内容とはかけ離れた答えに私は閉口した。
先生がフィードバックを続けていくものの、この問いは私に対して、自身と他の人があまりにもかけ離れていると分からせるに充分すぎるほどだった。私の脳と思考が如何に異質であるか、他の人はこんな思考などしないことが露呈し、私だけが1人砂漠に取り残されたような孤独感と虚無感。自身にそう気付かせ、植え付けたこの教授と受講生には皮肉を込めた感謝を送らなければならないかもしれない。ありがとう、私をこんなに惨めにしてくれて、と。

結局のところ私のことを理解する人間などいないのだ。投げやりな結論を許して欲しい、と居もしない神様に許しを乞うた。
生まれ持ったこの頭、脳が自身の心とは無関係に言動の舵を取ろうとすること。やがて意思を抱く機能さえも奪っていくこと。眠っていない限りは別の生物が脳内に寄生したかのように、私という人間が2人いるかのように、私が私に操られる感覚が如何に気味の悪いものなのか、ということ。私はただ楽に生きたいだけなのに。もしそれが傲慢な願いだと言うのなら、せめて他の人と同じくらいの出力にして欲しいだけなのに。どうして私の頭はこんなにも、動いて、動いて、動いて、全ての情報が頭を占領するのか。耳に届く音、目に届く景色、鼻に届く匂い、触れて感じる触感、全てが私の脳内を羽虫のように鬱陶しく、小さく小さく蝕んでいく。やがて思考能力さえも奪い、理性的な私は突然死んだように鳴りを潜めて本能的な私が台頭し始める。そうして短絡的な思考で一通り他人の人生の邪魔をし、傷つけ、不快感を与えては満足したように理性的な私に戻る。その時感じるものが、如何に頭を貫くような攻撃性を持っているか、人々は知らない。
ああ、私の地獄はいつ終わるんだ。毎日眠ってこのまま目が覚めないことを何度願ったことか。

「結局私はどうしたかったんだろう」
声が響いた。それは反響して私の耳に届いた。
「もうこんな頭で生きるのは疲れた」
声が再度響いた。またも反響して私の耳に届いた。
「誰も理解しなくていい。ただ、許して欲しい」
声は響かなかった。私の声をかき消すように男性によるアナウンスが脳内を貫いた。
まもなく、5番線、列車、白線、内側、断片的な情報が頭に流れていく。だが私の意識などもう宙に浮いたも同然だった。
辺り一体を閃光で包み込む姿が見えた時、私の左足は誰かに糸で引っ張られたように前へ動いた。劈く金切り声のような警笛音。即座に頭に流れ込んでいくその情報も、今の脳内では居場所がない。
私にあるのは、これで全てが終わると言う開放感だけだ。最後の最後まで脳内がクリアになることはなかったなんて、あまりに皮肉で嫌味たらしい。
思い残すことは無い。ただ、私と同じ気質の人達に救いのあらんことを祈るだけだ。
私の足が地面から離れたと同時に、金属の物体が私の方へ近づいてきた。本当は誰かに、私の中にいる私を両方愛して欲しかったなど、私は最期まで思ってはいけなかったのに。つくづく言うことの聞かない頭だ。

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