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ヴィヴァルディの《四季》について

Antonio Vivaldi: Il cimento dell'armonia e dell'inventione, Op.8
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/399137

La Primavera
A
春来たりてめでたし
B
鳥たちは陽気な歌で迎え
C
泉水は西風に
甘くさざめく
D
黒き外套が空を覆い
稲妻と雷が告げる
E
やがて静まり鳥たちは
魅惑の歌に戻る
F
花咲く快き野原にて
草木の囁きに
山羊飼いは忠犬を傍らに微睡む
G
鄙びたバグパイプの祝祭の音で
ニンフと牧童が踊る
輝ける春空の下で

L'Estate
A
過酷な季節、日は照りつけ
人も羊も弱り、松の樹は燃える
B
郭公が鳴けば
C
雉鳩と五色鶸が応える
D
西風がそよぐも
北風に押しやられ
E
牧童は嘆く
嵐の不運を
F
稲光と雷鳴の恐怖が
疲れた手足に鞭打つ
そして襲い来る蝿の群れ
G
ああ、恐れた通り
稲妻と雷に雹が降り
麦の穂を落とす

L'Autunno
A
農夫らは歌と踊りで祝う
収穫の喜びを
B
バッカスの坏を重ねれば
C
愉しみは眠りに終わる
D
歌い踊り終えれば
風は爽快
季節は誘う
甘き眠りの喜びに
E
夜明けとともに狩りへ
角笛と銃と猟犬と共に
F
逃げる獣の跡を追う
G
銃と犬に獣は怯え
手傷を負いながら足掻くも
H
ついには捕われ果てる

L'Inverno
A
寒さに震え
B
吹雪の中
C
足早に急ぐ
D
歯を鳴らしながら
E
火の前は安らぎ
外では雨がすべてを濡らしても
F
氷の上をそろそろ歩く
G
滑らないよう気をつけて
H
激しく転び
I
あわてて起き上がり逃げる
L
氷が割れぬよう
M
閉ざした扉の向こうに聞こえる
N
南風、北風、その他の戦い
これが冬、だがそれもまた愉し


《四季》はヴィヴァルディのヴァイオリン・コンチェルト集『和声と創意の試み (Il cimento dell'armonia e dell'inventione) Op. 8 』(1725) の初めの4曲の総称です(RV 269, RV 315, RV 293, RV 297)。ちなみにこの「四季 quattro stagioni」というタイトルは、ヴィヴァルディ本人も献辞の中で使用しているので公式名称といえるでしょう。

この曲集はチェコのモルツィン伯ヴァーツラフ (Václav z Morzinu, 1675-1737) に献呈されています。当時の貴族社会では、たとえ遠隔地にあってもイタリア人のパトロンであることは芸術愛好家としてのステイタス・シンボルでした。

Wenzel Count Morzin (Johann Peter Molitor, 1736)

長年に渡って私が閣下にイタリアの楽匠として仕えさせて頂けた光栄を顧みるに、未だ深い敬意の証を示すことができていないことに恥じ入るばかりです。よって謹んでこの本を出版し閣下に捧げるものです。ここに閣下の寛大な好意により以前より御愛顧頂いた「四季」を見つけられることでしょう。しかし私がこれを出版すべきとした決断をお信じください。たとえ同じ曲であっても、その中で描写されているすべてを明確に説明したソネットを添えることで、新たなものとしてお届けできることを確信しております。

つまり例のソネットは後付けのものなのです、別にソネットを音楽にしたわけではありません。ややもすればこのソネットのせいで《四季》が低俗な作品と軽んじられてきたこともあるので、この作品の音楽性が正当に評価されるためには、こんな説明はむしろ無いほうが良かったかもしれません

また《四季》が出版よりもかなり以前に完成していたことも知れます。このような実験的作品を試すのに、ヴィヴァルディにはピエタ慈善院という理想的な環境がありました。モルツィン伯もピエタを訪れたことがあります。


現在ではヴィヴァルディがバロック時代の最も偉大な作曲家の一人であることを疑う人は居ないでしょう。誰でも彼の《四季》を知っていて、《春》の旋律を口ずさむことができるはず。

実際18世紀においては《四季》の人気は高く、特に《春》はしばしば引用や編曲の対象になっていました。

ルソーによる《春》のフルート独奏のための編曲版(1775)
https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/196967

しかし19世紀にはヴィヴァルディは忘却され、まともに作品を聴いてもいない音楽学者に「一流の演奏家にして凡庸な作曲家」という偏見をもって知られるだけになります(多分ゴルドーニが悪い)。

《試み》Op. 8 は、この作曲者のもう一つの欠点を示している。

「最初の4つのコンチェルトは」ジョン・ホーキンズ卿曰く「四季にまつわる沢山のソネットを音符に置き換えると嘯くものである。ここで作者は和声の力や、旋律と拍子の操作によって、種々の詩の情感に応じた想念を呼び起こそうと努めている」

実際、ヴィヴァルディは演奏家としての技量と(それについては同時代に敵う者はほとんどいなかった)創造的な能力を履き違えていたのである。彼はそれを持っていたにしても限られていた。

Reginald Lane-Poole, "Vivaldi, Antonio," A Dictionary of Music and Musicians, 1900.

ヴィヴァルディの再発見は、まずJ.S.バッハのオルガンやチェンバロ協奏曲の原作者という形でその名が浮上します。しかしそれも凡作を編曲で傑作に変えるバッハは凄いというような扱いでした。

ヴィヴァルディが再び脚光を浴びたのは、第一次世界大戦後のファシズム期イタリアにおいてでした。民族アイデンティティの拠り所たる過去の文化英雄が希求される中、忘れられたイタリアの巨匠としてヴィヴァルディが担ぎ出されたのです。1926年に未知の作品を含む大量の手稿が発見されたことも追い風となりました。ヒトラーにとってのバッハが、ムッソリーニにあってはヴィヴァルディであったと言えます。

現代における《四季》の楽譜出版の最初は、1920年出版のアルチェオ・トーニ編曲のピアノ連弾版です。バロック音楽復興の初期には、このような家庭用の編曲版が大きな役割を果たしました。

https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/606651

ヴァイオリン・コンチェルトとしての《四季》の楽譜は、1927年にベルナルディーノ・モリナーリによる「編曲版」が出版されます(献呈先はベニート・ムッソリーニ)。彼は1928年1月にはアメリカでセントルイス交響楽団と共に《四季》の全曲演奏を行っています。

Bernardino Molinari, 1945.

最古の《四季》の録音も、第二次世界大戦中の1942年にローマで行われた、モリナーリ指揮サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団による演奏です(ソリスト不明)。モリナーリ版のスコアは近代オーケストラに合わせた大胆な修正が施されており、編成も第1ヴァイオリンに16人を擁するロマンティックなものですが、しかしこの古い録音から飛び出すのは、案に相違して鮮烈で瑞々しい音楽です。

これはモリナーリの透徹した理解と、優れた感性の賜物でしょう。彼は20世紀の道具立てに合わせてヴィヴァルディの音楽を再生することに見事に成功しています。時折耳を驚かす通奏低音のモダンチェンバロ(というより改造ピアノ)の奇妙な音もまた一興。現在においても忖度抜きの鑑賞に耐える名盤です。

次の録音はアメリカのヴァイオリニスト、ルイス・カウフマンによるものです。彼はハリウッド映画のサウンドトラックの常連で、500以上の映画作品の音楽に出演しています。当然ながらカウフマンは《四季》の録音のオファーが来たときにはヴィヴァルディのことなど知りもしませんでしたが、この録音の後、ヴィヴァルディに魅せられた彼は、まだ現代譜が出版されていなかった『和声と創意の試み』の残りの曲を求めて、ブリュッセル王立音楽院図書館まで遠征することになります。

Louis Kaufman, 1945.

彼とヘンリー・スヴォボダ指揮コンサートホール弦楽オーケストラによる《四季》の録音は、カーネギーホールにおいて1947年12月末の深夜に行われました。カウフマンの演奏は溌剌とした生命力にあふれ、これに比べればモリナーリも厳粛すぎると言えます。総演奏時間もモリナーリの44分15秒に対し37分30秒と快速。

このレコードは当然ながらヒット作となり、1950年のグランプリを受賞しました。しばしば誤ってこちらが《四季》の世界初録音とされることもありますが、一般の音楽愛好家にヴィヴァルディの名を知らしめた録音であることは間違いありません。

イ・ムジチは何度も何度も《四季》を録音していますが、最も有名なのは初のステレオ録音である1959年の盤でしょう。

しかし先頃亡くなったフェリックス・アーヨには申し訳ないですが、これは酷い。抑揚を欠いたべったりと平板な演奏で、モダン楽器によるバロック音楽演奏の悪い見本のよう。

このFM音源的サウンドが当時は斬新なものだったのかも知れませんが、バロック音楽、わけてもヴィヴァルディにはそぐわないと言わざるを得ません。

古楽器演奏の一番手は1977年のアーノンクール盤、ソロは妻のアリス。これの画期的なところは古楽器の音色よりも、むしろアーティキュレーションの取り扱いで、滑らかに「歌う」のではなく「語る」音楽への志向。《秋》の狩りの場面では、きちんと猟犬が吠え、銃が火を吹くのが聴こえます。後の演奏に多大な影響を与えた録音です。

1982年にトレヴァー・ピノック指揮イングリッシュコンソート、翌1983年にはクリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが《四季》の録音をリリースしています。いずれも古楽器演奏ながら、ピノックはマンチェスター手稿を参考にしており、ホグウッドはソリストをローテーションするなどそれぞれ工夫を凝らしたもの。

しかし結局はどちらも良く似たテイストで、古楽器であってもアーノンクールのようなアクの強さはなく、エッジを効かせながらもクリーンでスムース。ノンビブラートですっきり爽やかなバロック音楽という古楽器演奏のイメージは、彼らイギリス系グループの活躍によるものが大きいでしょう。

無難、というほど凡庸な演奏でもありませんが、ヴィヴァルディには少々温度が低すぎるかも。

マンチェスター版《冬》

1989年にリリースされたナイジェル・ケネディとイギリス室内管弦楽団による《四季》は、史上最も売れたクラシック音楽としてギネスブックにも載りました。いい加減手垢にまみれた作品で300万枚を売り上げたこの録音は、娯楽性に富んだポップな趣向。《秋》第2楽章の導入ではサイレンのようなインプロヴィゼーションが度肝を抜き、狩りではコル・レーニョが炸裂します。《冬》の冒頭のハーモニクスによる不協和音に満ちた寒さの描写は後の演奏にも影響を与えました。

これもマンチェスター版を用いた、1991年のファビオ・ビオンディとエウローパ・ガランテの《四季》は、過激かつ偏執的に作り込まれた一糸乱れぬ演奏で古楽シーンに衝撃をもたらしました。特に《夏》の第3楽章の鋼鉄の嵐は圧巻。

それまでのお上品なバロック音楽演奏の横面を張り飛ばす革命的な録音ですが、あまりに作為的で窮屈さを感じるところも。

ビオンディに殴られた後は1994年のイル・ジャルディーノ・アルモニコ盤を。ビオンディ盤に劣らず過激ですが、奏者の自発性に委ねた自由闊達な表現が魅力的。フレッシュでカラフルな遊び心あふれる演奏は、今でも古さを感じさせません。


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