ヴィヴァルディの《四季》について
《四季》はヴィヴァルディのヴァイオリン・コンチェルト集『和声と創意の試み (Il cimento dell'armonia e dell'inventione) Op. 8 』(1725) の初めの4曲の総称です(RV 269, RV 315, RV 293, RV 297)。ちなみにこの「四季 quattro stagioni」というタイトルは、ヴィヴァルディ本人も献辞の中で使用しているので公式名称といえるでしょう。
この曲集はチェコのモルツィン伯ヴァーツラフ (Václav z Morzinu, 1675-1737) に献呈されています。当時の貴族社会では、たとえ遠隔地にあってもイタリア人のパトロンであることは芸術愛好家としてのステイタス・シンボルでした。
つまり例のソネットは後付けのものなのです、別にソネットを音楽にしたわけではありません。ややもすればこのソネットのせいで《四季》が低俗な作品と軽んじられてきたこともあるので、この作品の音楽性が正当に評価されるためには、こんな説明はむしろ無いほうが良かったかもしれません
また《四季》が出版よりもかなり以前に完成していたことも知れます。このような実験的作品を試すのに、ヴィヴァルディにはピエタ慈善院という理想的な環境がありました。モルツィン伯もピエタを訪れたことがあります。
現在ではヴィヴァルディがバロック時代の最も偉大な作曲家の一人であることを疑う人は居ないでしょう。誰でも彼の《四季》を知っていて、《春》の旋律を口ずさむことができるはず。
実際18世紀においては《四季》の人気は高く、特に《春》はしばしば引用や編曲の対象になっていました。
しかし19世紀にはヴィヴァルディは忘却され、まともに作品を聴いてもいない音楽学者に「一流の演奏家にして凡庸な作曲家」という偏見をもって知られるだけになります(多分ゴルドーニが悪い)。
ヴィヴァルディの再発見は、まずJ.S.バッハのオルガンやチェンバロ協奏曲の原作者という形でその名が浮上します。しかしそれも凡作を編曲で傑作に変えるバッハは凄いというような扱いでした。
ヴィヴァルディが再び脚光を浴びたのは、第一次世界大戦後のファシズム期イタリアにおいてでした。民族アイデンティティの拠り所たる過去の文化英雄が希求される中、忘れられたイタリアの巨匠としてヴィヴァルディが担ぎ出されたのです。1926年に未知の作品を含む大量の手稿が発見されたことも追い風となりました。ヒトラーにとってのバッハが、ムッソリーニにあってはヴィヴァルディであったと言えます。
現代における《四季》の楽譜出版の最初は、1920年出版のアルチェオ・トーニ編曲のピアノ連弾版です。バロック音楽復興の初期には、このような家庭用の編曲版が大きな役割を果たしました。
ヴァイオリン・コンチェルトとしての《四季》の楽譜は、1927年にベルナルディーノ・モリナーリによる「編曲版」が出版されます(献呈先はベニート・ムッソリーニ)。彼は1928年1月にはアメリカでセントルイス交響楽団と共に《四季》の全曲演奏を行っています。
最古の《四季》の録音も、第二次世界大戦中の1942年にローマで行われた、モリナーリ指揮サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団による演奏です(ソリスト不明)。モリナーリ版のスコアは近代オーケストラに合わせた大胆な修正が施されており、編成も第1ヴァイオリンに16人を擁するロマンティックなものですが、しかしこの古い録音から飛び出すのは、案に相違して鮮烈で瑞々しい音楽です。
これはモリナーリの透徹した理解と、優れた感性の賜物でしょう。彼は20世紀の道具立てに合わせてヴィヴァルディの音楽を再生することに見事に成功しています。時折耳を驚かす通奏低音のモダンチェンバロ(というより改造ピアノ)の奇妙な音もまた一興。現在においても忖度抜きの鑑賞に耐える名盤です。
次の録音はアメリカのヴァイオリニスト、ルイス・カウフマンによるものです。彼はハリウッド映画のサウンドトラックの常連で、500以上の映画作品の音楽に出演しています。当然ながらカウフマンは《四季》の録音のオファーが来たときにはヴィヴァルディのことなど知りもしませんでしたが、この録音の後、ヴィヴァルディに魅せられた彼は、まだ現代譜が出版されていなかった『和声と創意の試み』の残りの曲を求めて、ブリュッセル王立音楽院図書館まで遠征することになります。
彼とヘンリー・スヴォボダ指揮コンサートホール弦楽オーケストラによる《四季》の録音は、カーネギーホールにおいて1947年12月末の深夜に行われました。カウフマンの演奏は溌剌とした生命力にあふれ、これに比べればモリナーリも厳粛すぎると言えます。総演奏時間もモリナーリの44分15秒に対し37分30秒と快速。
このレコードは当然ながらヒット作となり、1950年のグランプリを受賞しました。しばしば誤ってこちらが《四季》の世界初録音とされることもありますが、一般の音楽愛好家にヴィヴァルディの名を知らしめた録音であることは間違いありません。
イ・ムジチは何度も何度も《四季》を録音していますが、最も有名なのは初のステレオ録音である1959年の盤でしょう。
しかし先頃亡くなったフェリックス・アーヨには申し訳ないですが、これは酷い。抑揚を欠いたべったりと平板な演奏で、モダン楽器によるバロック音楽演奏の悪い見本のよう。
このFM音源的サウンドが当時は斬新なものだったのかも知れませんが、バロック音楽、わけてもヴィヴァルディにはそぐわないと言わざるを得ません。
古楽器演奏の一番手は1977年のアーノンクール盤、ソロは妻のアリス。これの画期的なところは古楽器の音色よりも、むしろアーティキュレーションの取り扱いで、滑らかに「歌う」のではなく「語る」音楽への志向。《秋》の狩りの場面では、きちんと猟犬が吠え、銃が火を吹くのが聴こえます。後の演奏に多大な影響を与えた録音です。
1982年にトレヴァー・ピノック指揮イングリッシュコンソート、翌1983年にはクリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが《四季》の録音をリリースしています。いずれも古楽器演奏ながら、ピノックはマンチェスター手稿を参考にしており、ホグウッドはソリストをローテーションするなどそれぞれ工夫を凝らしたもの。
しかし結局はどちらも良く似たテイストで、古楽器であってもアーノンクールのようなアクの強さはなく、エッジを効かせながらもクリーンでスムース。ノンビブラートですっきり爽やかなバロック音楽という古楽器演奏のイメージは、彼らイギリス系グループの活躍によるものが大きいでしょう。
無難、というほど凡庸な演奏でもありませんが、ヴィヴァルディには少々温度が低すぎるかも。
1989年にリリースされたナイジェル・ケネディとイギリス室内管弦楽団による《四季》は、史上最も売れたクラシック音楽としてギネスブックにも載りました。いい加減手垢にまみれた作品で300万枚を売り上げたこの録音は、娯楽性に富んだポップな趣向。《秋》第2楽章の導入ではサイレンのようなインプロヴィゼーションが度肝を抜き、狩りではコル・レーニョが炸裂します。《冬》の冒頭のハーモニクスによる不協和音に満ちた寒さの描写は後の演奏にも影響を与えました。
これもマンチェスター版を用いた、1991年のファビオ・ビオンディとエウローパ・ガランテの《四季》は、過激かつ偏執的に作り込まれた一糸乱れぬ演奏で古楽シーンに衝撃をもたらしました。特に《夏》の第3楽章の鋼鉄の嵐は圧巻。
それまでのお上品なバロック音楽演奏の横面を張り飛ばす革命的な録音ですが、あまりに作為的で窮屈さを感じるところも。
ビオンディに殴られた後は1994年のイル・ジャルディーノ・アルモニコ盤を。ビオンディ盤に劣らず過激ですが、奏者の自発性に委ねた自由闊達な表現が魅力的。フレッシュでカラフルな遊び心あふれる演奏は、今でも古さを感じさせません。
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