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記憶術について2:ピエトロ・ダ・ラヴェンナ『不死鳥』日本語訳

承前。

『ヘレンニウス』の記憶術の説明は、記憶術に関する最古の資料であるわけですが、その後の記憶術に関する著作の多くも『ヘレンニウス』の注釈に過ぎないといっても過言ではありません。

その中でも印刷術の普及を背景にベストセラーとなって後世にも多大な影響を与えたのが、1491年に出版されたピエトロ・ダ・ラヴェンナの『不死鳥 Foenix』です。

Pietro da Ravenna, Foenix, 1491.
https://archive.org/details/ita-bnc-in2-00001198-001/

ピエトロ・ダ・ラヴェンナ (Pietro da Ravenna, c.1448–1508) あるいはピエトロ・フランチェスコ・トンマイは、パドヴァ大学出身の法学者で、当時その驚異的な記憶力で有名でした。

彼がその秘訣を開陳した『不死鳥』はわずか30ページほどの小冊子に過ぎませんが、おそらくはその手頃さと、実践的なテクニックを語る軽妙な文章の面白さ、そして著者の大言壮語的な自己宣伝によって大いに普及することになります。要するに今も書店を席巻する低俗な自己啓発書の始祖に他なりません。

1533年版
https://archive.org/details/hin-wel-all-00002799-001
フランス語版、1545年
https://archive.org/details/BIUSante_41488x04
1600年版
https://books.google.co.jp/books?id=xR5RAAAAcAAJ

この小冊子の内容は概ね3つの部分に分けられます。まず例によって長々しい献辞や序文。12の「要綱 conclusio」からなる記憶術解説。最後に当時のセレブたちの名を列挙した「体験者による称賛の声」的な自画自賛。これらがそれぞれ同じぐらいの文量がありますが、ここでは解説部分だけを訳します。おそらく本邦初訳でしょう。なお序文には「弁論のようではなく会話のように」書いたとあるので、訳文もですます調にしました。


ピエトロ・ダ・ラヴェンナ『不死鳥』


第一要綱

この技法は「場」と「像」で構成されています。「場」は書字に用いる紙やその他の素材のようなもので、「像」は記憶したい物事の類似物です。したがってまず像を配置できる場を用意する必要があります。そのために私は四つの規則を提案します。

第一に、場は壁に設けられた窓、柱、隅などを選びます。

第二に、場同士はあまり近づきすぎていたり離れていてはいけません。実際私の経験では、あまり近づき過ぎていると物事を順序立てて並べた際に混乱しますし、離れすぎていると思い出すのに時間がかかります。そのため場は適度な間隔を保つべきで、一つの場から別の場まで五、六歩ぐらい離れているのがよろしいでしょう。

第三に、教会や広場など人の多く集まるところを場に選ぶべきではないという主張は無意味だと考えます。教会や広場であっても別に支障はなく、人の居ない教会を想起すれば良いだけのことです。実際経験からいっても常に人が歩き回っているわけではありません。

第四に、場はあまり高い所に設定しないほうが良いでしょう。なぜなら像に手が届くことが望ましいからです。これは常に有益なことだと思います。

したがって、よく知っている教会を場に採用します。そこを細部にわたって慎重に検討しつつ、三、四度歩き回ってから帰り、自宅で心の中にその教会を再現するのです。最初の場は主祭壇に向かう通路の門の右側に設定します。次にそこから五、六歩離れた後ろの壁に柱や窓などがあれば、そこを場にします。適当なものが現実に無い場合は任意に想像で作り上げても良いでしょう。しかし作ったことを忘れる恐れもありますから、できる限りでよろしいです。そうして場から場に進んで最初の門に戻ります。これらの場はすべて教会の壁に作り、教会の中央部は用いません。もっと場を沢山確保したい場合は、同様に修道院の中をすべて場にするか、あるいは教会の外の壁に場を設定します。

私は若い頃にイタリアのあらゆる場所を覚えて地図を不要とすることを望み、また聖書や法律やその他多くの権威ある書物のために十万の場を用意しましたが、今ではそれにさらに一万を追加しています。イタリアの都市を巡る旅行をした際には、私はすべてを持ち去ったと言ってもいいでしょう。それでも私はまだ場を作り続けています。

特定の教会や修道院を、常用する論題、理論、歴史、物語、四旬節の説教などにとっておくことをおすすめします。最後に万全を期すためにもう一つ助言しますと、この技法を望む入門者はできればこうした場を月に三、四回は確立するべきです。場を作るのは無料ですから。

第二要綱

紙が用意できたら、次はその紙に書く方法です。

私が若い頃のことです、偉大な貴顕の集まりにおいて、述べられた人の名前を暗唱することを求められた事がありました。それで私が拒まなかったので最初の名前が述べられました。私は最初の場にそれと同名の友人を配置しました。次も同様。そうして全部を場に配して、それを繰り返すことが出来ました。私はいつも友人を代理として用いることを勧めていますが、皆それで上手くいっています。

同名の友人がいる場合は良いのですが、Bozdrab だの、Zorobabel だのといった友人にいない名前の場合は、何か代わりを用意することになります。ウシ、ウマ、ロバといった動物を記憶する場合なら、そのまま最初にウシ、次にウマ、三番目にロバを場に置けばよいでしょう。そして非生物に関しても同様に、本、ケープ、服、であれば最初に本、次にケープと置けば良いと思われるでしょうが、しかしこれは失敗するかもしれません。

というのも、自然の記憶を喚起することがこの技法の役割であるわけですが、その刺激を与えるのは像の動きであって、動かない物体にその力はないのです。ですから動く像を配置するか、あるいは誰かの手によって動かされる必要があります。

しかし賢い入門者はこう反論するかも知れません「アリは動くが小さすぎて刺激にならないのではないか、手で動かされているコショウ粒も同じだ」。確かにアリ一匹ではそのとおりでしょう。しかし木に上り下りする沢山のアリを配置すればよいのです、一匹のアリでは出来ないことも大勢なら可能です。同様に多くの粒を友人に動かしてもらうこともできます。

賢い入門者はまたこう言うでしょう「多くのノミが飛び跳ねたところで記憶は刺激されないだろう」。それではノミの代わりにノミを捕る友人を配置しましょう。私はよく現代の最も優れた医学博士であるゲラルドゥス・ヴェロネーゼ師をノミを捕る人として配置しました。私は一度だけ彼がノミを捕っているところを見たことがあるのです。

第三要綱

これは金言といえるでしょう。アルファベットの文字の代わりに人間を用いることで生きた像を得るのです。つまり A ならばアントニウス、B ならばベネディクトゥス等、頭文字の一致する人を配置するのです。

私は大抵文字として最高の美少女を配置します、彼女たちは私の記憶を大変よく刺激するからです。若い頃、私は自分にとって重要な場にはピストイアのユニペラを置いていました。どうか私の言うことを信じていただきたいのですが、像に美少女を用いると場に配しておいた記憶をずっと容易に正確に思い出せるのです。この人工記憶の奥義を私は恥ずかしくてずっと黙っていました。速やかに記憶を思い出すには最高の美少女を場に配置しましょう。少女を配置することで記憶が素晴らしく刺激されるということは多くの人が認めています。

しかし、この教訓は女性を憎み、軽蔑している方々には役に立たないでしょう。その場合は記憶術の成果を得ることが少々難しくなると思います。貞潔で敬虔な方々にはご容赦いただきたく存じます。しかし私は優秀な後継者を残すために最善を尽くしておりますので、この技術で私に名誉と称賛をもたらしてくれた教訓を黙っているべきではないと考えたのです。

第四要綱

アルファベットないし文字列を表す像をよく覚えて使い回すべきです。すなわち、接続詞 ET (and) を表すのにエウセビウスとトマスを置くとします。この順序であるのはエウセビウスが場についていて、トマスがその隣りにいるからです。しかしもしエウセビウスがトマスの位置を占め、トマスがエウセビウスの位置にあるならば、接続詞ではなく代名詞 TE (you) になるわけです。この方法では場に最も近いものが先頭になります。つまり紙にまず E という文字を書くように。別の言葉やその他の配置でもこの原則が一般的に適用されます。

第五要綱

これは三文字からなる音節についてです。BAR のように母音が中央にある場合は、最後の文字を表す像に先頭の二文字が一致するものを添えます。すなわちライムンドゥスが場で BACULUM(杖)を突いている像は、BAR という音節として読み取れ、それがシモンである場合は BAS となります。

BRA のように母音が最後に来るものは、最初の文字を示す像と続く二文字に対応する生物か動くものを配置します。つまり ベネディクトゥスと一緒にRANIS(蛙)を場に置けば、BRA という音節を示し、トマスの場合は TRA という音節になります。

AMO のように母音が先頭に来る場合は最初の文字を表す像と、続く二文字に対応する物体を置きます。つまりアントニウスとMOLA(石臼)で AMO となり、エウセビオスなら EMO です。

しかし三音節や四音節となると上手く配置できませんが、その必要もありません。より短い音節で用は足ります。例えば PATER(父)を示すのに、PA をパウルスで表し、続く TER は母音が中央ですから、TELAM(網)をライムンドゥスに持たせれば TER になります。

結論すると、これらのアルファベットと単語の始めの部分の結合は、適当な像がない場合に重宝しますが、他に像がある場合は用いません。それについては後述します。

第六要綱

PANIS(パン)、VINUM(ワイン)、LIGNUM(木)、UESTIS(服)など、それから尊称であるところの PAPA(教皇)、IMPERATOR(皇帝)、ABBAS(修道院長)、CANONICUS(聖典)などは農夫でもその意味がわかります。つまり俗語とラテン語が一致しています。このような場合は別に像を探す必要はなく言葉通りのものを像とすればよいし、格変化についても簡単に配置できる良い工夫があります。

すなわち、主格は頭、属格は右手、与格は左手、対格は右足、呼格は左足、そして腹や胸を奪格とするのです。単数であれば裸の美少女を置き、複数の場合は美しく着飾った美少女を置くか、思い出したい誰かを置いても良いでしょう。そして物や人を配置します。例えば UT PANEM(一つのパンを)を表したい場合は、裸の美少女を置き、その右足に触れるところにパンを置きます。また特定の職務や地位を表す言葉を表したいときは裸の修道院長などを置き、右足で場を踏ませます。親愛なる読者の皆様にはこれが実に良い工夫であることを理解してもらえると思います。そして私もいつもこのようにしています。

第七要綱

話し声や身振り、また類似した言葉のものを配置することもできます。私はこういった像を頻繁に使用します。例えば友人によって言葉を置くこともできます。私の知っているとある博士は、いつも控訴期日についての法律ばかりを口にしていました。彼が苦労して覚えたのはその法律だけだったのです。なので私はその法律について置きたい場合は、その笑わざるを得ない苦労人を置きます。

身振りによって言葉が表現できる場合は、言葉の代わりに友人を置きます。例えば SPOLIO(盗む)という言葉であれば、誰かから盗んでいる友人を置きます。RAPIO(強奪する)という言葉であれば、力ずくで何かを奪おうとしている友人を置きます。

言葉の類似性によって像を配置するというのは、意味としては異なるけれど言葉としては似ているものを探して置くのです。例えば CANO(歌う)の代わりに CANIS(犬)を配置するなど。

第八要綱

これは法学と法典についてです。それを場に配置する場合は装丁の色を選びます。『学説彙纂前編 Digesto veteri』には白い革を、『学説彙纂後編 Digesto novo』には赤い革を、『学説彙纂中編 Infortiato』には黒い革を、『勅法彙纂 Codice』には緑の革を、『Volumine』は様々な色で、『法学提要 Institutionibus』は小さな本で、『Authentico』には大きな文書を持った公証人を配置し、『Authentica』には特許状を持つ少女を、『封建法書 Libro feudorum』には城主の伯爵を、教令 Decreto は教父の権威によるものであれば書をしたためる老人を、教皇令集 Decretalibus には玉座に座る教皇を、『クレメンス集 Clementinis』にはクレメンスという名前の少女を、『第六書 Sexto libro』はイタリアでそのように呼ばれている器具を、オウディウス曰く「一方で立ち、もう一方で円を描くaltera pars staret, pars altera duceret orbem」、法律注解には同じ名前を持つ人を配置すればよいでしょう。

しかし私は最初に申し上げたやり方で像を得ます。『学説彙纂』にはフィレンツェのキターラを手にするユニペラを場に置きます、それでオルランドの冒険を歌うこともできるでしょう(※フィレンツェの宝物に『学説彙纂』の古代ローマの写本がある)。教令の引用については、例えば区別に関することは布か紙を引き裂く少女を、審理には召使いを殴るユニペラを、奉献にはホスチアを聖別する司祭を。悔悛には罪を告白するユニペラを置きます。

第九要綱

法規をどのようにして置くか、そしてそのために通常使用する二つの像を一緒に配置する方法について。もし私が合意(transactionibus)に関する法規を記憶したい場合は、蛙(ranas)を持っているトマスを置くか、あるいは身振りで示すでしょう、二人が長い間訴訟して不仲になっていたとして、一方がもう一方に和解を提示するというようなことが想像できるものを。これは合意の法規の美しい像です。基本的に法律や章は、アルファベット、声、模倣、身振りなどによって配置されますが、これについては既に十分述べました。

第十要綱

私には良く用いる像が二種類あります。一つは身振りです。例えば七人の証人無しに作成された遺言は無効であるのに、遺言者は二人の証人の前で遺言を作成したという場合、少女がそれを引き裂く像を配置します。

もう一つは二、三の主要な論点を配置することです。例えば「行為にあたって誰かの命令が必要ならば、それが先行しなければならない Quando in actu requiritur iussus alicuius, ille debet praecedere」ここには多くの言葉がありますが「命令 iussus」と「先行 praecedere」という部分を配置するだけで、残りを思い出すことができるでしょう。そうして配置された二、三の単語から、それ以外の部分も優雅に読み上げることができるのです。経験者の言葉を信じてください。

第十一要綱

ある人から同じ場に複数のものを配置しても良いかと質問を受けました。私はこう答えました:もし聴いたことをすみやかに思い出すためなら、一つの像だけを場に配置します。しかし本で読んだことを配置し、覚えて言えるようになりたい場合は、複数の像を同じ場に配置することがよくあります。

第十二要綱

これは最も素晴らしいものでしょう、つまりどのようにして数字の像を作るかということです。私は二十の像で考えられるすべての数を表すことができましたので、それを説明いたします。

10の数字には大きな金か銀の十字架。20にはその数字のような鉄か木の付いた丸いものです。私たちは「20」をそのように紙に書くからです。30も同様で数字に似た形のものが付いた丸いものです。このようにして私は100までの十の像を作りました。

1から9までの数字の像は、人の手の指で作ります。右手の最初の指を1とし、二番目の指を2として、左手の四番目の指まで進みます。記憶を容易にするために、右手の最初の指をゲルフ(教皇党)、二番目の指をギベリン(皇帝党)、三番目の指をユダヤ、四番目の指を指輪、五番目の指を耳と呼びます。左手も同様です。最初の指をゲルフと呼ぶのは、ゲルフたちがそれを尊ぶと言われているからです。二番目がギベリンで、三番目がユダヤなのは、それをユダヤ人に見せると嫌な顔をされるからです。その理由が知りたい方は尋ねてみればわかるでしょう。四番目と五番目をこのように呼ぶのは周知の事です。

1000にはミカエルを採用します。これで数字に対応する像を簡単に見出すことができます。いくつか例を示してみますが、初心者の読者でも簡単に理解できることでしょう。

例えば質問11の回答3に言及したい場合は、右手に十字架を持ったゲルフと、十字架を奪い取ろうとするユダヤ人の像を置きます。また『コリント人への第二の手紙』の第四章に言及したい場合は、右手にカーテン(cortinam)を持ったギベリンがそれを美少女に見せて、少女が四番目の指に婚約指輪をはめた右手で受け取る様子を像にします。つまり9も4と同様です。また懺悔に関する区別4について記憶したい場合、ユニペラが罪を告白するのは若者ではなく老いた司祭にします。すると奇妙なことが起こるでしょう、彼女は右手を司祭の頭において罪の赦しを与えるでしょう。

際限がないですから、人工記憶の素晴らしい技法について語るのはここで終わりにします。すべてが明示的とは言えずとも、少なくとも暗黙的に理解されるでしょう。ただ、書いておくべき事があと一つあります。記憶の場の五番目に金の手を、十番目に金の十字架を、十五番目に銀の手を、二十番目には数字の像そのものを置いておくと便利でしょう。他の場も私が教えたようにしてください。


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