動かなくなった時計は時を告げることができるか?

できる。

一日に二回だけは。

24時間時計なら、一日に一回だけは。

止まってしまった針が示しているその時刻になったら、時計は世界と完全に一致しているのだから。

一日に二回だけでも正確な時を示せるのならら大したものだ。

動いている時計のほとんどは、数秒から数十秒、時には数分、進んでいるか遅れている。

進んでいるか遅れている時点で、それは常に不正確で、いつになっても正確な時は示せない。

…その地点にいる限り。

西か東へ、移動したら良い。

グリニッジ標準時か明石標準時から、数秒から数分の差がある地点まで移動したら、常に正確な時を刻み続ける。

移動しなくても、この時計は、その地点の時刻を示していると思えば良い。

止まってしまった時計でも、進んでいるか遅れている時計でも、見方や考え方を変えれば、役に立つのだろう。

機械のひとつの時計ではそう。

では、生き物は?

生き物はどうなのだろう?

僕のことを嫌う人がいる。憎んでいる人もいるだろう。
それならまだ良い方だ。
忘れたいと思っている人もいるだろう。
存在を消したい人もいるだろう。

そんな人がいる一方で、好意を寄せてくださる人もいる。

僕という生き物も、時と場合、見方や考え方、位置を変えれば、そうなる…

ちょっと、伯父さん?

ん?

いつからいたの?

西か東へ、のところからかな。

やめてよ、黙って現れるのは。

お前の素の姿が見れて面白い。

僕は面白くないよ。

わしが面白いのだからそれで良い。

はいはい。

はいは一回だと何度言えば。

はい。

それで?

それでって?

どう締め括るのだ?

締め括らないよ。

どうしてだ?

だって脳内のことだから。

なるほど。

思考は流れるものだって伯父さんが言ってたでしょ?

まあな。

思考は流れるし飛ぶし弾けるものでしょ?

まあな。

締め括るのは、読み手には必要かもしれないけれど、これは僕の脳内だから。

だから不要ということか。

そういうこと。

つまらんな。

つまらん?

お前は頭の中に小人さんがいないのか?

小人さん?

そうだ。小人さんだ。

いないよ、そんな人。というか、誰もいないよ。

小人さんは想像上の生き物だ。空想して、かくあるべしと思えば現れる素敵な人だ。

そうなの?

そうだ。小人さんを頭の中に住まわせなさい。そうすれば、思考や思索の締め括りの必要性が理解できる。

今度は締め括れと言うのね。

なんだ?不服か?

いや、別に。

別にとはなんだ別にとは。別に意見があるのか?

ないよ。不服でもないよ。伯父さんらしいな、と。

らしいのではない。伯父さんなのだ。

はい。

わかればよろしい。では、さらばだ。

伯父さんは消えた。

僕は腕時計を眺めた。

何年も止まったままの腕時計。

一日に二回だけ正確な時を刻む腕時計。

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