生まれ変わらない細胞

時々、人間の細胞は生まれ変わるという話を聞く。

大体はその通り。

ただ、全て入れ替わることはないことを留意しておいた方が良いという。

心筋や脳細胞はその最たるものだろう。

人の心や思考があると思われている部位の細胞が生まれ変わらないというのは、なんとなく示唆的な気がする。

三つ子の魂百まで、雀百まで踊り忘れず、などの諺があるのは、人の本質は一生変わらないということなのかもしれない。

変わることと変わらないことがある、と区別して認識することが肝要なのだろう。

もしくは、変われることと変われないこと、ということだろう。

変われないことをいつまでも期待していても仕方ない。

それでも人は期待してしまうのは、なんなのだろう?

知りたいか?

僕はため息をつきながら部屋を見渡した。

伯父さん、隠れてないで出てきたら?

カーテンの後ろから伯父さんが現れた。

いつからいたの?

たった今だ。

聞いてた?

聞いてた。それは何だ?

音声認識タイプだよ。

声を吹き込むと文章が書けるやつか?

そう。

便利な世の中になったものだ。

そうだね。で、また隠れて聞いてたの?

まさに。隠れて聞くのは実に楽しい。

やめてよね、本当に。

やめられん。

で、知りたいかって?

そうだ。知りたいか?

いや、あんまり。

知りたくないのか?

別に。大体わかるから。

じゃあ、言ってみろ。

諦めきれないからでしょ?または愛情や友情などから、などなど。理性より感情が優ってるからなんじゃない?

長いな。それに、深堀ができておらん。

うーん、まあ、そうだね。

理由は簡単だ。馬鹿だからだ。

出た。

出たとはなんだ出たとは。

人間は馬鹿だから、って言ったらそれで終わってしまうよ。

その通りだから仕方ない。

馬鹿なところがあるのは否定しないけど、そう言ってしまったら、終わってしまうよ。

そうだ。終わりだ。

悲しいなあ。

なあに、悲しまなくても良い。そんな風にできているだけの話だ。

伯父さんから見たらそうかもしれないけど、当事者からすると未来も可能性もないのはちょっとね。

未来や可能性があるのは素晴らしいと思うのがおかしい。

そうかな。

未来が絶望しかない時、可能性の全てが破滅しかない時、それは素晴らしいのか?

それは違うけど。

ほら見ろ。物事は多面的多角的に見なさい。

人間は固定されておる。

固定?

左様。限界が与えられておる。しかしそれは幸福なことだ。限界を突き詰めることができる。宇宙を見ろ。限界などない。突き詰めることができない。それがどれだけ恐ろしいことか。光も時間もないのだぞ?

極端だなあ。

極端を論じない議論は不十分だ。

まあ、そうだけど。

まあ、わしは宇宙の果てでもスキップできるが。

そりゃそうでしょ。

お前のハートは既にないのだから、細胞が入れ替わらないことを心配せんでも良い。

心配してないよ。

それは重畳。ではさらばだ。

伯父さんは消えた。カーテンがふわりと揺れた。

僕は指先を見つめた。

爪が伸びていた。

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