坂を上り切る途中

夜に腰掛けてたなんて。

その言葉に触れたのは、13か14歳の時だった。

ちょっとした衝撃を受けた。

腰掛けるといったら椅子くらいしか思いつかない中途半端な脳みそしか詰まっていない僕は、言いようもない感動を覚えた。

そうなんだ、と思った。

夜の淑やかで滑らかな肌触りを撫でることは、おかしなことではないんだ、と思った。

艶々として所々きらきらとして、きめ細やかでしなやかな夜の肌は、僕にとって最初の相手だった。

だからなのか。

出た。このタイミングで。

出たとはなんだ。出たとは。

昨日来るかと思った。

好きな時に現れる。

相変わらず気儘だね。

気儘なのは楽しいぞ。

そりゃそうだろうね。

なんだそのジトーっとした目は。

伯父さんらしいなあ、と。

わしらしくて素敵だろう。

はいはい。

はいは。

はいは一回ね。はい。

よろしい。

ところで、だからなのかってなんなの?

お前が13か14の頃、急にませたと思ったが、それがきっかけだったと合点がいったからだな。

ませた?

よく言えば、大人びた、だが、どちらかと言えば、ひねくれたというか、すれたというか、斜めに構えるようになったというか。

一応確認するけど、褒めてはいないよね。

もちろんだ。

これだけがきっかけじゃないけど、まあ、確かに、考え方や捉え方、感じ方なんかはこの頃から変わっていったかも。ちょうど思春期だしね。

お前には思春期は来ないと思っておった。

来るよ、僕にも誰にも。

ハート外見ないのにか?

ハートはなくてもホルモン分泌はあるからね。

なるほど、生理現象ということか。

成長ホルモン的な?

その若者口調はやめなさい。

えー、若者だけど。

若者というのは10代までだ。

20代はだめかな?

だめだな。

そっか。

ところで、お前の初めての相手は夜だったのか?

恋した相手のことだよ。

なんと。

変かな?

変ではない。明代ちゃんだと思っておった。

明代ちゃんも好きだったよ。

恋多い男だな、お前は。

伯父さんには言われたくないよ。

わしの場合は恋ではない。

恋じゃないの?

愛だな。ん?どうした?そんなに笑い転げて。何を笑っておる。涙を流すな。

死ぬかと思った。

死にはせん。コキュートスに行くだけだ。

まさか伯父さんの口からその言葉を聞くとは。

何故だ?わしが愛というのがおかしいか?

大丈夫?

何がだ?

口が引き攣らない?

攣ったりせんぞ。

愛だよ?

愛だな。わしほど似合う男もそうおるまい。

すごいね。その高慢っぷりは。

何を言うておる。わしには愛があるとは言うておらん。わしの中に愛はないからな。わしが言うておるのは、愛が似合うということだ。

ちょっと言っている意味わかんない。

愛とは心という目に見えないものではない。愛とは目に見えるものだ。行動、行為のことを言う。たとえそこに愛がなくても、その行為や行動が、誰がどう見ても愛以外に考えられないものが、愛と言うものだ、、

一理あるような。

一理か二理かは知らんが、たとえばだ、愛に溢れる人間がいたとして、やってることは冷酷そのものだとしたら、お前はどう思う?

どうって?

そこに愛はあると思うか?

やってることは冷酷でも、愛故にならばあるんじゃないかな?

口には出さんが、どんな冷酷なことでもか?

なんとなく想像できたけど、それはないよ。

一方で、愛はないが、やることなすこと全て愛に溢れたことばかりなら、どうだ?

愛はないんだよね?

そうだ。

でも、全ての行為や行動は、愛そのものなんだね?全て

そうだ。

だったら、愛を感じるように思う。

そうだろう。愛がないからその行為や行動は嘘だ、偽りだ、誤魔化しだ、と言えるか?

うーん、言えないかもしれない。

かもなのか?

言えないね。

極論かもしれんが、本質を見極めるのには役に立つこともある。愛というのは、all-or-nothingなのだ。

愛はall-or-nothing?

そうだ。好きの反対はなんだ?

嫌い、かな。

そうだ。では、愛の反対はなんだ?

うーん、無関心?

そう流布されているようだが、無関心というのは関心の反対語だ。愛の反対語ではない。

じゃあ、なんなの?

愛の反対語は、ない。

ない?

そうだ、強いて言えば、無、だ。

無?

そうだ、エントロピーの死とも言える。無、だ。

だから、all-or-nothingなの?

そうだ。愛はあるかないかだ。あるというのは、全てそうでなければ、愛ではない。時々とか気まぐれとか、たまに愛を感じないとか、要は徹頭徹尾愛があるかないかだ。

厳格だね。

厳格なもんか。極めてシンプルでわかりやすく、そして容易い筈だ。

そうかなあ。

お前は喉が渇いたら水が欲しくなるか?

欲しくなるよ。

水を飲みたくなるか?

飲みたくなるよ。

飲まないとどうなる?

そのうち死んじゃうね。

だったらどうする?

水を飲もうとするね。

どうやって?

どうやってって、飲めるようにするよ。

たとえその水が危険な崖の上にあったとしてもか?

崖を登ると死ぬ危険性が高ければ考えるよ。

じゃあ、死ぬ危険性が高ければどうする?

諦めるか、それでも登るか、どっちかだね。

つまりは、グレゾーンはないわけだな。どちらかしかない。

そうだね。

愛もそうだ。様々な条件や背景があったとしても、どっちつかずというのはない。

愛と水を飲まないと死ぬというのは同じということ?

たとえばの話だが、まあ、そういうことだ。好きか嫌いかは、どちらでもないというグレゾーンがある。だから、違う。

つまり、命と密接なのが愛ということかな?

まあ、そう言えるだろうな。わしは命がないからよくわからんが。

愛は生まれたらなくなるまで愛しかなくて、なくなったら愛ではなくなるということかな?

そうだな。

愛していても時々そんな風に思えないことが起きて、というのは?

時々ということ自体がおかしい。あるかないかなのだ。

じゃあ、そんな愛は?

それは愛とは呼べん。

厳しいなあ。

厳しくないというておる。水を飲まないと死ぬのだろう?

そうだね。

水は飲むけど愛し続けるのは難しくて厳しいのか?

それが人間じゃないの?

水を飲むのと同じことなのにか?

それが人間だよ。

人間じゃないからな、わしは。だからよくわからん。

僕もよくわかんないよ。

やれやれ。

そうだね。

夜更かしするな。早く寝ろ。ではさらばだ。

伯父さんは消えた。

僕は夜を招き寄せて、夜にくるまった。

夜に腰掛けることはしなかった。

夜は抱きしめるものだと思っていた。

今夜もまた眠れない夜を過ごしそうだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?