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「古今集の言葉が、お道具の銘に沢山使われています」と、おっしょさん

 先日のお稽古の終わりの挨拶の時の事。
 この日のお稽古で茶杓の銘を「おごりの春」と答えた。
 それは、お客様役の女性が20歳台前半と思ったことも影響している。
「それはどう言う意味ですか」
 とお客様の女性に聞かれたので、
「与謝野晶子の短歌からです」
 と答えた。元の歌はこうである。

  その子二十 櫛に流るる 黒髪の おごりの春の 美しきかな
 
 お客様の女性には意味が理解できなかったようだったが、茶室の反対側で他のお弟子さんのお点前を見ていたおっしょさんには、理解出来たと思う。

 そんな事もあって、その日のお稽古の最後の質問時間に、おっしょさんに質問した。
ーーお稽古の時、茶杓の銘は自分で考えて来ることになっていますが、一つ考慮すべきことは季語と聞いています。和歌などの短歌や俳句から取ったものでも良いのでしょうか。例えば、古今集からとか。
「いいと思います。本来、茶道のお道具の銘には古今集にちなんだ銘のものが沢山あります。古今集と茶道は、それくらいに深い関係があります」

 との答えをおっしょさんからいただいた。以来、古今集ばかりでなく短歌を中心に、日本の古典への関心が加速度的に増してしまった。

 さらに、今日はこんな言葉に巡り合った。
「歌塾 ・令和和歌所」と言うブログにあったものでお知恵を拝借させていただいた。 
 「六百番歌合『枯野 十三番』」の折、「草の原」に絡んで、
「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」
 と、藤原俊成が語ったとされている。その時に参考にした歌が下記の短歌である。源氏物語の「花の宴」で朧月夜が詠んでいた歌。

  憂き身世に やがて消えなば 尋ねても
          草の原をば 問はじとや思ふ    朧月夜

 大体の意味は、
「名乗らずに消えてしまったとは言え、是非会いたいとあなたは草の根を分けても私のことを探し出そうとしてくださるでしょうか。そんなことはなさらないでしょうね」(※草の原=草深い墓地、と言う意味もある)
 といったところか。

 この歌を詠んだ源氏物語の「花の宴」の朧月夜のことを、おっしょさんのお祖母様が好きだったと言う話を思い出した。
 次回のお稽古の時の、お茶杓の銘は「草の原」にして、藤原俊成と源氏物語と朧月夜のこの歌の話をしようと、いま必死で歌を繰り返し口づさんで、覚えようと頑張っています。

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。