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茶室の数寄屋は「好き家」だ、そうです

(※前略)「グレースの神より多く、ミューズの神より少ない」と言う言葉を思い出させるような五人しか入れないしくみの茶室本部と、茶器を持ち込む前に洗って揃えて置く水屋と、客が茶室に入れと呼ばれるまで待っている玄関(待合=まちあい)と、待合と茶室を連絡している庭の小道(路地)とから成っている。茶室は見たところなんの印象も与えない。それは日本のいちばん狭い家よりも狭い。それにその建築に用いられている材料は清貧を思わせるように出来ている。しかし、これは全て深遠な芸術的思慮の結果であって、細部に至るまで、立派な宮殿寺院を建てるに費やす以上の周到な注意をもって細工が施されているということを忘れてはならない。(※後略)(※岡倉天心著「茶の本」より)

 元々、茶室は普通の部屋の一部に屏風を立てて仕切ることで、茶室として使っていたらしい。それが、「数寄屋」と呼ばれる独立した茶室に発展したようだ。その数寄屋の語源だが、これがまた、なんとも滑稽。以下は、再び、岡倉天心の「茶の本」からの抜粋である。

(※前略)茶室(数寄屋=すきや)は単なる小家で、それ以外のものをてらうものではない。いわゆる茅屋(ぼうおく)に過ぎない。数寄屋の原義は「好き家」である。後になって色々な宗匠が茶室に対するそれぞれの考えに従って色々な漢字を置き換えた、そして数寄屋という語は「空き家」(=すきや)または「数奇家」の意味にもなる。それは詩趣を宿すための仮りの住み家であるからには「好き家」である。さしあたって、ある美的必要を満たすためにおく物の他は、いっさいの装飾を欠くからには「空き家」である。それは、「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させるからには「数奇家」である。茶道の理想は十六世紀以来わが建築術に非常な影響を及ぼしたので、今日、日本の普通の家屋の内部はその装飾の配合が極端に簡素なため、外国人にはほとんど没趣味なものに見える。(※後略)

 この文章が書かれたのは明治であるから、「日本の普通の家屋」に対する概念は、多少、現代とは違っているかも知れない。だから一概には「外国人にはほとんどぼつ趣味なものに見える」かどうかは、断定はできないだろう。

 確かに「茶室」は、日常的な空間から、非日常の空間へと移動するために、入念に作り込まれた家屋である、と感じる。その入念に作り込まれていながらも、見る者に対して「簡素」と見えるのが、また、茶の哲学のなし得る「妙」だと思える。岡倉が言うように「好き屋」に過ぎないのだろう。しかし、それは、その空間に入り込んだ人に、非日常性を十分に感じさせてくれる。

 お酒の「ぐい呑み」にも煎茶を飲む湯飲みにもならない、抹茶用のお茶碗が10個を超えてしまった。これは、ご飯茶碗にでもしない限り桐の箱に収まったまま、二度と陽の目を見ることもなく、忘れされれてしまうのかもしれない。そんな茶碗たちを目の前にしながら、次は、お釜に興味が湧いてきた。それで、その先には「茶室」が待っている。小説は、どうなってしまうのだろうかと、自分でも不安になって来た。主客転倒の兆しかな……。


 

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