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中秋の名月。この日、おっしょさんは花貧乏・・・

 この日は仕事の都合で一週間、先に延ばしてのお茶のお稽古でした。いつもの土曜日よりも、えらく混雑している。おっしょさんも、
「今日は、混んでますね」
 と一言。私は、表の銀座通りの事かと思って、訳も分からず、
「そうですね」
 と答えた。あとで考えたら、確かに天気も良くて銀座のホコ天は混んでいた。でも、おっしょさんが言いたかったのは、お茶室の込み具合だった。まあ、いいか。
 おっしょさんの側にある風炉先屏風が、一風変わっていた。日本画の団扇を並べた風炉先屏風である。その中の一本の団扇の鳥の絵に、私の目は釘付けになった。鷺の絵である。どこかで見たことのある、一羽の鷺の絵である。その他の団扇の絵も、どこかで見たような気がした。それでつい、おっしょさんに聞いてしまった。
「この、風炉先屏風の団扇の絵は、日本画の元絵があるんですか」
「あぁっ、これっ。実は、本当は団扇をさしてあるところに生花を入れるんです」
「花を入れて使うものだったのですか」
「本当はね。私は花貧乏だから、ちょうどいいお花がなくて」
「いえいえ。面白い趣向だと思って、見入ってしまいました。この団扇の風炉先屏風には、大元になるものがあるのですか」
「この風呂先屏風の本歌(本科)ということですか、ありません。これは、私のアイデアです」
「でも、面白いと思います」
 と、おっしょさんといつものように、二人で盛り上がってしまっていた。周りの姉弟子、妹弟子の方々は、「また、始まった」くらいにしか思っていなかったとは思うけれども。この日は、お茶の生徒さんたちで混んでいましたから・・・、迷惑だったかも。
 さらに貴人茶のお点前の問答の時、私がお茶碗にお湯を差そうとしたとき正客に、
「お茶碗は」
 と聞かれた。貴人茶のお茶碗で私は詰まってしまって、お湯を汲む柄杓を持つ手が止まってしまった。ここは手を動かしながら答えるところ。さっそくおっしょさんに、
「蜻蛉さん、手が止まってますよ」
「うっ」
 と絶句。さらには、周囲の妹弟子たちからは「くすっ」と、笑いが漏れる。そこで、言い訳の一言。
「私、マルチタスクが、苦手なものですから」
 笑われてしまった。さらに、お点前が先に進んで、お道具拝見。
「お茶杓の作は」
「坐忘斎お家元にございます」
「ご銘は」
「爽籟(そうらい)にございます」
 ここで、やはりおっしょさんの一言。
「うん。松籟(しょうらい)ですか。それは、・・・」
「いえ、松籟ではございませぬ。爽やかな秋の風の音のことをいう、爽籟でございます」
「そっちね・・・」
 私の勝ち!
 とどめに、
「今日のお軸は、何とお読みするのでしょうか」
 と、おっしょさんに尋ねた。この日は、ちょうど中秋の名月。
「あれは、掬う、水、月、在、手、ですね」
「水を掬えば、月は手に在り、ですね」
「そうです。そこから・・・」
 その先は、そこから転じて、悟りとは身近な所にあるものですよ、という禅の教え、となるわけだ。
 この日も着物が汗だくになりながら、何とか無事終了。三度くらい袴を踏みつけて、転びそうでしたけれども。おかげで袴はボロボロ。袴のほつれを直すために、帰って一人で針仕事でした。

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