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人間臭い

 彼女らは重苦しい緊張を内に秘めながらも、約束された仰々しさを守るために快活な声と保育士や看護師が園児や患者に向けるような笑顔を努めている。木製の丸いテーブルは天井からの照明を白く反射させる程の艶がある。このテーブルを囲み座って、春香と楓と智花はランチを楽しもうとしている。店内の壁のほとんどが壁面鏡となっており、自分の前髪や気になるところがあるとすぐに確認できるようになっている。床や支柱には鮮やかな緑を基調に赤や青の丸模様や星なんかが描かれており、一歩足を進めるごとにキラキラとした気持ちが湧き上がり、そして背中を押すようにオレンジや白の照明が歩く者を煌びやかに照らす。現実から飛び出し、童話の舞台にでも立っているような感覚は、この店に来たものに人生で得難い充足感をもたらす。

 「ねぇ、何にする?」

 全員がメニューを読みやすくなるように、春香はメニューと三人で正方形になるように置いて広げた。全ての料理はインテリア雑貨の作品のように載っている。どれも小さく、綺麗に彩られているものの、食欲をそそるものは何一つとして無い。植物性のプロテインで出来た小さなテディベアの形をしたハンバーグや、ゴーヤなどの野菜や抹茶で作られた盆栽風のプリンなどがある。見た目は可愛いが、食べることよりも、会食時に席に置いておくという役割の方が高い。

 楓は焦っていた。寝坊してしまい、今日はまだご飯を食べていなかったのだ。他の二人は、今日は何をテーブルに置こうかなと楽しそうに悩んでいるが、楓にとっては、食べ物であれば早く口に入れたい欲求が湧き始めていた。その為、早々に楓は、里芋と黒胡麻で練り作られたシマウマを選んだ。春香と智花はそれに合わせるように盆栽や、ウサギに決めた。楓は注文したメニューが来るまで臭いが二人に届かないかと不安に駆られ始めた。楓が壁面鏡をふと見ると、春香は鼻の下に手を当て、指で鼻腔を塞いでいた。

 「ごめんね。今日、まだご飯食べてなくて。」

 楓は春香に申し訳なさそうに謝った。

 「そうだったの。それなら言ってくれたらよかったのに。全然、待ち合わせ時間ずらせたよ。」

 「家出るときはお腹空いてなかったから、大丈夫だと思ったんだけど。」

 「そうだったんだね。まぁ、もう少しでくるし、良かったら私のも食べていいからね。」

 「本当にごめんね。ちょっと食べたら大丈夫だから。」

 その様子を眺めていた智花は、意を決したように放屁した。その音は、二人の喋り声や店内BGMというシャボン玉を割るように響いた。楓と春香は、智花に感嘆の表情を浮かべて感謝した。

 「智花おならしてくれてありがとう。本当に助かったよ。」

 「本当にありがとう。私もどうしようかなと思ってたから助かったよ。」

 「全然、大丈夫だよ。あ、ほら料理来たみたいだよ。良かったね、楓。」

 腐ったヨーグルトの臭いに包まれていた空間は智花の放屁によって、インドールや硫化水素が含まれたガスの臭いに包まれた。楓がシマウマを食べ終える頃には、ガスの臭いは消え、楓の人間臭さも無くなった。

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