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リモートワーク

 目覚ましに気づかないまま寝過ごし、霞む目でスマホの液晶に映った時間を確認すると13時34分と表示されている。家から40分かけて行かなければいけない14時からのカフェのバイトには間に合わないと分かると、「マジかよ、だる。」と漏らした。外では、蝉が鳴いている。もっと大きい声で鳴いて僕を起こしてくれたら良かったのに。店長に電話して、遅刻することを伝えなきゃと思いスマホを操作するが、連絡先のアプリを開いた途端に億劫になり、TwitterやInstagramを開いて、関係の無い情報に

    • 生物兵器

      「ねね、知ってる?もしも今、私たちが古代の時代にタイムスリップしたら生物兵器になるんだって。」  「生物兵器」という聞きなれない響きを心の中で何回も反芻したせいで、私は少し目眩がした。  なんの変哲もない日常でこの聞きなれない響きを発声したAちゃんは、目を光らせて私のリアクションを求めて来た。私は出来るだけ自然な、談笑の様な振る舞いで、必死に頷いた。私の態度に満足したAちゃんはそのまま話を続けた。  「本当だよ!なんか現代人は、色んな種の細菌やウイルスを帯びていて、それ

      • 人間臭い

         彼女らは重苦しい緊張を内に秘めながらも、約束された仰々しさを守るために快活な声と保育士や看護師が園児や患者に向けるような笑顔を努めている。木製の丸いテーブルは天井からの照明を白く反射させる程の艶がある。このテーブルを囲み座って、春香と楓と智花はランチを楽しもうとしている。店内の壁のほとんどが壁面鏡となっており、自分の前髪や気になるところがあるとすぐに確認できるようになっている。床や支柱には鮮やかな緑を基調に赤や青の丸模様や星なんかが描かれており、一歩足を進めるごとにキラキラ

        • 鼻歌で遠くへ

          *  便所の電気がついていた。個室の中で虫が二匹せわしく飛んでいて、手でわさっわさっと払いのける。蛍光灯の殺伐とした明かりが便器の窪みの水面に反射している。外でガガガガガと押し寄せてくる音。トラックがきた。水の塊のような湿気を、畑を耕すブルドーザーのように押し出しているに違いない。ピーピー、ピー、とバックのメロディが鳴る。  離れた場所にあるトイレから喫茶店に戻ってくる。グラスの底が果物の絞り器みたいな形をしていて、持ち上げるとアスタリスク型に水滴がテーブルに溜まっている。

        リモートワーク

          マグダラのマリア(後編)

           母は海辺のベンチに一人座って、目を閉じ、波の音に耳を傾け、小さな身体で風を受け止めている。私が歩み寄ると、母は目を開けて私を優しい目で包み込むように微笑みかけた。私は隣に座り、母と同じように自然を全身で感じていた。同じ空間に居て、一抹の気を払わなくても調和出来る。部屋の白いカーテンが強い日差しや世間を忘れさせ、内側に居る者を穏やかな世界に安住させるように、母の隣にいると一つの安寧とした世界を感じることができた。ふと横を見ると、母はベンチから居なくなり私は辺りを見渡す。海を見

          マグダラのマリア(後編)

          マグダラのマリア(前編)

           美しく芝蘭と称賛されていた母が亡くなった。私も父も知らない男と海に身を投げて心中したのだ。その日から、私と父の世界の色彩が消えただけでなく、幸せを彷彿とさせる音色も消えてしまった。  クラスメイトの麻里子と紗奈と教室の後ろ側で席をくっつけて昼ご飯を食べていた。麻里子が最近始めたファーストフード店のバイトの様子を私と紗奈で色々質問したりしていた。麻里子は業務自体は忙しくなっても別に嫌じゃないけど、人間関係がめんどくさくならないかを心配していた。紗奈が良い人はいるの?と聞いた

          マグダラのマリア(前編)

          ハチャメチャ

           自分にはやめられない癖があった。アニメやゲームの映像、漫画のシーンなどを見て、特に戦闘シーンに触発され、ハチャメチャの時間を延々と続けてしまう。  ――テスト勉強で徹夜のつもりがソファに飛び移り、家族が寝ていて誰にも見られないからと、ハチャメチャを繰り広げているうちに朝を迎える。  ――お風呂から上がってもバスタオルを頭から被ったまま、足拭きマットの上で長時間座りこみ、ぶつぶつと破裂音を鳴らして空想に耽る。  などなど。  見えない敵と闘う。幼稚だとわかっていてもやめられな

          ハチャメチャ

          人畜無害

          「人畜無害」漢字辞典から好きな四字熟語を引いて、揮毫するという習字の授業で僕の気を引いた四字熟語だ。前の席の角谷君は、年中半袖半ズボンで季節感がまるでない活発少年だが、  「俺は、『疾風怒濤』にする!」  と声高々に宣言した。周りの席の人たちは角谷君の明るさの波を受けて自然と笑みをこぼして賛同したり揶揄ったりしていた。僕はその様子を見て、サッとページを捲り、急いで周りから見て違和感のない四字熟語を探した。人畜無害なんて四字熟語を気に入って書いたとしたら、それこそ癖のある人間だ

          人畜無害

          星を見る

           しんと冷えた冬の夜空。星々を見る。  去年の冬。ゴミ出し。空き瓶と空き缶の入ったダンボールを外に運ぶ――  人生で流星という現象をまだ一度も自分の目で見たことがなかった。一目見ようと長居の競技場へ行ったが流星を見ることはできなかった。それから一年が経つ。  長居公園は照明灯や公園周辺の建物の光で、夜でも明るかった。すでに流星を見ることを半分諦めていた。広い公園。時計台。ひっそりとした公衆トイレ。走りこみをする人。一人できている高校生がいた。天文部だったりするのだろうか、と

          星を見る

          霧の中

           遥がスマホで現在の気温を確認すると31度と表示されていた。  「ねぇ、慎ちゃん、今31度らしいよ。」  「そりゃ沖縄だからね。暑いに決まってるさ。」  「こういうの見るとやっぱりテンション上がるー。」  慎吾は遠くの標識を眺めながら笑って答えた。  「遥のそういう単純なところ好きだな。」  「あ、今の小馬鹿にしたよね!絶対そうだ!」  遥は敢えてあからさまに怒ったような素振りでツッコミ、二人は戯れ合う。505号線を走る車は今帰仁村へと向かっていく。   二人は大学で出会っ

          霧の中