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学校司書をスペシャリストのままで(エッセイ)

 公務員減を加速させるトップランナー方式のせいか、これまで高い割合で正規職員だった我が都道府県立高等学校司書も、非正規の割合が増えてきた。

トップランナー方式とは
・地方交付税(以下「交付税」と呼ぶ)の算定基礎となる単位 費用の一部 
 の積算に、民間委託等による合理化
・地方公務員人件費の周辺切りの局面
 「ト方式」は現業職員やこれに準ずる人々の人件費にターゲットをあて
たものであり、財源保障における人件費削減の新たな局面に入ったとみることができる。2000年代はいわゆる三位一体改革やその後の集中改革プランを通じて、財源保障上の一般職員の定数や給与水準が削減され続けていった。   
 2010年代に入りいわゆる歳出特別枠の交付税算定に行革や事業成果指標が定着するなかで、今回の方式が行革の触手を一般職員からその周辺切りへと波及する端緒とみることができる。

「地方交付税算定におけるトップランナー方式の概要と課題」自治総研通巻456号 2016年10月号
飛 田 博 史(公益財団法人地方自治総合研究所研究員)


 それでも以前は非正規でも「司書」や「司書教諭(教員免許保持者が取れる)」資格持ちの経験者が常だったが、最近はそれすら崩れていて「学校あるいは図書館で働いたことがない、未経験の人」が充てられることも散見され、周りの学校司書に戸惑いが広がっている。

 司書にも異動や退職、また病休・産休・育休があるが、自分が抜けた後に誰が来るかは大変重要だ。

 原則的に一人仕事のため、担当者によって図書館のクオリティが異なってしまうからだ。



その1 資格・知識アリでも、素人司書だった最初の頃の自分


 
 初めて学校司書として働いた数年間は、今からすると反省しきりだ。

 当時も読書や文学史が好きで、人気の本や日本・外国文学の著名人と代表作はタイトルだけだがかなり知っていた。また高校卒業から数年で採用され、学校指導要領を生徒の立場で経験済みだったため、全ての教科のカリキュラムと流れも大体覚えていた。
 学生時代は図書委員もし、学校図書館や公共図書館をよく利用していた。


 でも初めての学校図書館勤務で何をすればいいのか、正直わからなかった。
 開館、図書選定とその装備・登録、貸出返却…その程度の認識だった。
 

 利用者である生徒たちに面白い本や人気のある本を教えてもらい、ようやく書籍選定をした。
 この「読書支援」の一方、学校図書館は「教育課程の展開に寄与」せねばならず、各教科のカリキュラムと連動する書籍の選定も必要だったが、それらは自分の知る範囲だったのでそれらもできていた。


 …と、当時は思っていた。


 「1万時間、何かを継続して行えば専門性を養える」と言われるように、司書経験を積んだ後日、「あの頃はまだまだだった…」と当時の生徒に申し訳なくなる。
 
 本を買う、貸出返却―今の私はそれらは仕事の一部に過ぎないと知っている。


 あの頃も持てる力を使い、精一杯努めた。
 でももっと違う本を買い、レイアウトも替え――きっと色々できたのだ。

 ただ「何もわからないまま余計なことをするなら現状維持が余程マシ」ということも今の私はわかっているので、あれはあれで仕方ない。
 

 低レベルの図書館運営だっただけで。 

 
 学習指導要領や本の知識がないわけではなく、図書館を長年利用していた司書資格持ちの私でも、利用させる側の職員としては最初はダメダメだった。そしてそれは「私」だったからという理由だけではないと思う。

 司書資格では書籍・視聴覚教材の扱いや図書館の歴史、読書教育については学ぶが、理論と実態を結びつけるのには時間がかかる。そして図書館について教えてくれる人が校内にはいない。


その2 日本の行政全体がスペシャリストでなくジェネラリスト体制なのはどうかと思う


 市役所や都道府県庁の人事でよく聞く話だ。
 数年かけ知識と経験を積み、時にはそのために資格を取ったのに、まったく畑違いの部署に異動になり1から覚えなおしと。

 ジェネラリストは簡単に言うと「広く浅く」知識を持つ人だが、話を聞く限りでは様々な件で特殊な知識が必要とされる今の時代に合っておらず、個人的にはそれが住民サービスの低下につながっていると思う。


 学校司書は多くの知識と経験がものを言う仕事だ。 
 自校の方針・行事、そして諸事情や生徒の気質・学習レベルによって図書館運営はかなり異なる。
 長年司書をしている私でも「学校図書館の基本+α」の「α部分」を読み解き、運営に生かすのは今でも四苦八苦する。

 ましてや自分の抜けた後に来る「司書」が「学習指導要領など記憶の彼方、資格も経験もない」人なら、何を引継ぎしたらよいのか、そもそも引き継ぎになるのか、幸いなことに私は未経験だが想像がつかない。

 

 引継ぎは、相手が同程度の知識や経験を持っていてもすぐには終わらない。
 数時間なら、せいぜいが広い図書館の物の在り処の確認や4月当初の動き程度である。
 私はどの学校に異動してもしばらくの間「これはどうなっていたか」と行事各種、先生や生徒への対応、これらの物品は捨てていいのかなど、たびたび前任者に問い合わせた。同じように私も後任者から数々の問い合わせを受けた。



 我が自治体の公立高等学校司書は、図書館利用する生徒の指導はもとより、図書委員指導や図書館運営の多くまたは一部を担っている。

 生徒の望ましくない行動をどう指導するかにも、経験が必要だ。

 闇雲に怒れば生徒は態度を硬化する。
 優しくすれば甘いと思われ、望ましくない行動が加速される。
 生徒を傷つけずに行動の変革を求めるには、教員寄りの知識や経験もかなり必要だ。


終わりに

 私が学生だった当時の自治体の高等学校司書は全員正規だったが、今はかなりが常勤講師(非正規フルタイム)に置き換わっていると聞き、残念に思う。

 その人の資質についてではなく「経験を積むことで図書館の改善点や問題点に気づく機会すら、いつか奪われる不安」を抱えながら働かざるを得ない雇用形態に対して。

 また学校に司書がいない、いても短時間勤務でサービス残業をせざるを得ない状況に司書が陥っていることも。

 非正規で低い給与に耐えられず、優秀で仕事を愛していても転職を選択するしかない司書たちを何人も見送るしかできなかった自分に対しても。

 

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