見出し画像

他でもありえた可能性として--「社会」はいかにして可能となるか


* 社会学の基本問題と構造-機能主義

ある学問が成立したといえるにはその学問固有の主題が必要となります。社会学においてそれは「社会秩序はいかにして可能か」という問いです。ここでいう社会秩序は現実に成立している社会秩序でもいいし、これから作ろうとしている可能的な社会秩序でもいいし、あるいは過去にあった社会秩序でもいいでしょう。とにかく何らかの意味での社会秩序がなぜ可能なのかということを理論的、実証的に研究するというスタイルを広い意味で共有しているのが社会学であるということになります。それゆえに社会秩序の問題とは社会学の基本問題といえます。

そしてこの問題を解明する上での社会学理論を確立したアメリカの社会学者がタルコット・パーソンズです。パーソンズは20世紀中盤において世界でもっとも影響力があった社会学者であり、その理論は「構造-機能主義」と呼ばれます。

* 功利主義から主意主義的行為理論へ

パーソンズの一番重要な最初の研究は『社会的行為の構造(1937)』という大著です。この本の主題は社会学の対象である「行為」が何であるかを解明しようとしている点にありますが、その探求の過程がそのまま一つの社会学史になっています。

そしてこの本を通じてパーソンズは「主意主義的行為理論」なるものを唱えています。「主意主義」というのは人間の主体性、人間の自由意志による選択を重視する立場です。すなわち、能動性、主体性、あるいは自由意志を持って選択する人間のアクティヴな側面を行為の理論の中でどのように活かすかというのが主意主義的行為理論の焦点となっています。

そしてパーソンズがこの主意主義的行為理論を構築した狙いはある問題を解くためにあります。その問題をパーソンズは「ホッブス問題」と呼んでいます。すなわち、社会契約説の提唱者の1人として知られる17世紀の哲学者トマス・ホッブスが「自然状態」と呼んだ各人が自分の生存と利益のためだけに行動する闘争状態からなぜ人々は社会契約=社会秩序を選び取ったのかという問題です。

この点、従来の功利主義の理論によれば、人間とは個人主義的であり目的のためには極めて合理的に行為する存在であると想定されます。しかし、このような功利主義の取る人間観を前提とするのであれば、ホッブスのいう「自然状態」から社会秩序が生まれた過程が説明できません。

すなわち「ホッブス問題」とは「社会秩序はいかにして可能か」という問題をパーソンズ流に言い換えたものです。このことを考える上でパーソンズは同書においてヨーロッパの4人の学者を登場させています。

まず1人目の新古典派経済学者の創始者の一人であるアルフレッド・マーシャルは功利主義的な世界観の代表といえます。次に2人目の「パレート最適」で有名な経済学者ヴィルフレド・パレートは人間の行為にはまさに「パレート最適」のようなそれぞれの個人の満足度を最大化しようとする論理的(功利主義的)な行為の他にある種の非論理的な行為にも注目しました。そして3人目のフランスの社会学者エミール・デュルケームは社会的な連帯のような、人間の行為の前提となる道徳的な結合を重視していました。

以上の3人はパーソンズによれば「実証主義」に位置付けられます。けれども4人目だけが違います。その4人目が誰かと言うと『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で知られるドイツの社会学者マックス・ウェーバーです。パーソンズによれば、ウェーバーは人間の行為の中で理念とか価値を重視しているといいます。すなわち、人間の行為の前提には共通の価値へのコミットメントがあり、その共通の価値こそが特定の社会秩序を正当化するのであるということです。ウェーバーの立場は実証主義に対して「理念主義」と呼ばれます。つまりウェーバーは自然科学の方法とは異なる精神科学の方法で人間の行為を捉えようとしたということです。

* 動機指向と価値指向

こうして同書においてパーソンズは四人を検討した上でこれらを総合しながら行為の主意主義的理論を構築していきます。この理論の特徴は人間の行為を広く捉え、社会の多数者に共有され各パーソナリティに内面化されている要素としての価値・規範・役割などを重視し、その受動性と能動性の両方を視野に収めている点にあります。そしてこの最後にパーソンズは「行為の準拠枠」という概念を提示している。この概念は後にパーソンズの主著である『社会システム(1951)』で詳しく展開されることになります。

同書ではまず行為者が客体に対して何らかの関心を向けることを「指向性」といいます。その「指向」には「動機指向(行為者が客体に対して欲求の充足を期待すること)」と「価値指向(行為者が客体に対して文化的な価値の実現を期待すること)」の二種類があります。

この点、もし「動機指向」だけであれば功利主義と同じであり、ホッブス的な無秩序は避けられません。行為者に「価値指向」があるために社会秩序は可能となるわけです。つまり共通の文化的価値や規範が行為者に内面化され社会システムに制度化されているがために社会秩序は可能となると言うのがパーソンズの結論です。

しかしながら、これはある種の循環論法といえるのではないでしょうか。もし社会秩序が可能となるためには共通の価値が人々の間の内面化されており社会的にも制度化されている必要があるとすれば、そのような状態こそもはや既に社会秩序が成り立っている状態であるといえるでしょう。つまりパーソンズの論法で行けば「社会秩序が可能なのは社会秩序が成り立っているからである」ということになってしまいます。

* 構造-機能分析とAGIL図式

もっともその一方で、パーソンズの重要な業績は社会システムの理論を整備した点にあります。この点、システムとは「要素」の集合であり、かつその「要素」の間に独特の関係性があるということです。そしてパーソンズは社会システムの「要素」を社会的行為だと考えました。すなわちパーソンズのいう「行為の準拠枠」という概念は社会システムの要素がどのようなものであるかを確定する作業だったことになります。

こうしたことからパーソンズが社会システムを分析するために提唱した理論的枠組みが「構造-機能分析」です。この「構造-機能分析」とはある「社会状態」の出現と変動を「相互連関」と「機能評価」という二つの局面を通じて説明する理論です。

ここでいう「社会状態」というのは抽象的にいえば「社会構造」における「要素(変数)」の組み合わせとして説明できます。そして「相互連関」とはこのような「要素(変数)」の間の相互関係を分析する局面であり、そこに「機能評価」という分析の局面が加わることになります。

この「機能評価」ではある特定の「社会状態」がその「機能的要件」の達成度に関して社会システムからポジティヴまたはネガティヴに評価を受けている、というように解釈します。ここでいう機能的要件とは要するに社会システムの「目的」のことです。こうしたことから社会システムは現在の社会状態がその機能的要件を満たしているかどうかを評価します。そこでもし機能的要件を満たす水準に達していないと社会システムが判断すればその社会構造は変更されることになります。そして変更された社会構造のもとで実現した社会状態が機能的要件を満たしているか再び評価がなされることになります。つまり機能的要件の達成度を通じて社会状態が制御されているということです。

そしてパーソンズによればどんな社会システムでも4つの機能的要件があるといいます。4つの機能的要件とは、すなわち「適応(Adaptation)」「目標達成(Goal-Attainment)」「総合(Integration)」「潜在的なパターンの維持と緊張緩和(Latent pattern maintenance and tension management)」です。この4つの頭文字をとった社会システムの機能的要件を「AGIL(エージャイル)図式」といいます。

しかしながら、この「構造-機能分析」では社会システムの機能的要件がどのように生成変化していくかという点が説明できません。それゆえに結局のところパーソンズは「ホッブス問題」を解明できていない、ということになります。

* 意味とコミュニケーション

けれどもパーソンズが「社会秩序はいかにして可能か」という社会学の基本問題(=ホッブス問題)の解明に必要な理論的基盤を整備したこともまた確かです。そしてパーソンズから社会システム理論を引き継いで第二世代のシステム理論を発展させたドイツの社会学者がニクラス・ルーマンです。この点、ルーマンの考える社会システムとは「意味」を構成し「コミュニケーション」を要素とするオートポイエーシス・システムであるとされます。どういうことでしょうか。

まずルーマンによれば「意味」とは可能性の地平の中での否定(=区別)によって定義されます。つまりさまざまな可能性を含む地平の中で他の可能性を否定することでひとつの可能性が浮かび上がることになりますが、ここで重要なのはここでいう「否定」は「排除」ではないということです。つまり他の可能性があった「けれども」これをとったのは他の可能性でもよかったということです。他の可能性を保存しながら抑圧するというのが「否定」という操作の含意です。ルーマンはこのように他なる可能性を保存しつつ特定の可能性を浮上させることを「体験加工」と呼びます。つまり「意味」とは「体験可能の形式」ということです。

そして、この「意味」は「事象的一般化(「意味」による特定の事物の一般化)」「時間的一般化(「意味」による特定の事物の同一性の時間的持続)」「社会的一般化(「意味」が公共性を帯びること)」という三つの次元で対象を一般化し、かつ、この三つのレベルが全部独立している、とルーマンはいいます(例えばある業界だけに通じる特殊な概念などは事象的な一般化はあるが社会的には一般化していないといえます)。そしてこれらの三つの次元の中の一つの社会的一般化が「コミュニケーション」に結びついていいます

先述のようにパーソンズは社会システムの要素は「行為」にあると考えました。これに対してルーマンは社会システムの要素は「コミュニケーション」にあると考えます。そしてルーマンによればそのコミュニケーションとは三つの選択の総合であるとされます。まず送り手には「情報」の選択と「伝達」の選択が帰属し、受け手には「理解」の選択が帰属します。この二つのレベルの送り手の選択、つまりある「情報」と、その情報を送り手が受け手に「伝達」しようとしたということそれ自体を受け手が「理解」した時コミュニケーションが成立したことになります。

* オートポイエーシス

この点、第一世代のシステム論者はシステムの「部分と全体」に注目しましたが、ルーマンを含む第二世代のシステム論者は「システムと環境」という区別に注目しました。ここでいう「環境」とはシステムがそこからの差異によって自身の同一性を維持する時に参照されているシステムの外部を指します。この「環境」とシステムの間には「複雑性」の落差があります。つまり社会秩序が成り立ってるとは「複雑性」が縮減されている状態といえます。そして、この「複雑性」を縮減させるための一つの方法が「オートポイエーシス」です。

まずルーマンによればシステムは「操作的(オペレーショナル)に閉じている」という。つまり社会システムは自らに関心があるもの、自らにとって有意味なものだけを認識するということです。従来のシステム論では「インプット→システム→アウトプット」という連関が考えられました。しかし第二世代のシステム理論ではインプットやアウトプットとの関係もまたシステムは自らの中に操作的に内在させていると考えます。このような操作的に閉じられたシステムは一種の自己言及の関係にあるといえます。

この自己言及の関係がシステムの全体に関していえるだけではなく個々の要素の創出のレベルにまで及んでいるのが「オートポイエーシス・システム」です。オートポイエーシス・システムは自己組織システムの中でも最も強いヴァージョンです。すなわち、システム自身によるシステムの要素の配列や関係の組織化のみならず、システムの要素同士の関係を通じて新たなシステムの要素が生産されるようなシステムがオートポイエーシス・システムです。

先述したようにルーマンによれば社会システムの要素はコミュニケーションです。そして新たなコミュニケーションはコミュニケーションのネットワークから生まれてきます。これは要素同士の関係を通じて新たな要素が生まれてくるオートポイエーシス・システムの定義を完全に満たしていることになります。

* 他でもありえた可能性として

社会学の主題は「いかにして社会秩序は可能か」という問いです。そして、社会秩序が成り立っている状態とは「複雑性」が縮減されている状態です。

けれどもいかに複雑性を縮減しようともその状態は決して必然の産物ではなく「他でもありえた可能性」が常に残っています。ルーマンによれば「意味」を成り立たせている「否定」という操作は実現しなかった可能性を排除しているのではなくむしろ保存してることになります。またコミュニケーションも同様に送り手の選択した「情報」と「伝達」は受け手に「理解」されず「誤解」や「拒絶」される可能性も常に残っています。

そしてこのような「他でもありえた可能性」こそがむしろ社会秩序を可能なものにしているともいえるでしょう。この観点からすれば現在の社会秩序とはホッブスの想定した自然状態のまさに「他でもありえた可能性」であるといえます。

ところでパーソンズの理論は「構造-機能主義」と呼ばれていましたが、ルーマンは自身の立場を逆に「機能-構造主義」であると自称しています。「構造-機能主義」とは先述したようにシステムには「機能的要件」と言う満たさなければいけない目的があり、その目的を満たすような「構造」が選ばれるという論理です。しかし「機能-構造主義」はこの論理を逆手に取り、満たすべきある機能要件があるとして、その同じ機能的要件を満たすのに他にどのような構造がありうるのかを開示するために「機能」という概念を活用します

つまりパーソンズの構造-機能主義の場合は機能的要件によって構造を絞ることにポイントがありますが、ルーマンの場合は同じ機能を果たしうる「他でもありえた可能性」としてのさまざまな構造を示し、選択の幅を広げることにポイントがあります。つまりルーマンの機能-構造主義は機能的等価物の発見を目指すものであるといえるでしょう。このようなルーマンの考え方は狭義の「社会」に限らず、さまざまな「つながり」によるコミュニティのあり方を考える上でも有益な示唆をもたらすようにも思えます。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?