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キミ、案外伝わらないものだよ。

具体的に言葉を落とし込むのは、体力がいる。
難しくはないんだけれど、“なんとなく”から一歩分進むことが案外疲れる。

だから、つい感想止まりの言葉を使ってしまう。

「このマッサージ機、きもちいい」
「この小説、おもしろい」
「このイヤフォン、おすすめ」

そんな風に言われたって、何も情報としては伝わってこない。

『どう気持ちいいの?』
『何が面白いの?』
『どこがおすすめなの?』

WhatやHowが抜けた単なる感想だから、聞いた側は「自分にも合うのか、合わないのか」判断がつかない。

具体性のない会話は、いわば日記的なコミュニケーションだと思う。

友だちや家族とのやり取りなら、それは何も問題ない。

でも、“伝える”となると話は変わってくる。ましてや、それが仕事ならなおさらだ。

テキスト作成なら、訴求を意識する上で具体性は欠かせない。文字だけでイメージをしてもらい気持ちを動かしてもらうのだから、言葉の粒感には細心の注意を払う必要がある。

けれど、それは映像もしかりなのだと思う。

何にフォーカスして話を進めていきたいのか、モノの映し方によって意識を向ける方向が変わってしまうから。

そこにセリフがのったら、より一層の注意が必要になる。セリフもテキストだけれど、耳で聞くものになる。“読む”は100%能動的な行動だけれど、“聞く”は受動的な部分も含んでいる。つまり、読むよりも意識が散漫になるのだ。

そうすると、繰り返し使われた言葉が“耳に残る”。“訴求”として、相手に伝わってしまう。

つまり、日記的な言葉を繰り返し使ってしまうと、訴求がぼんやりとした抽象的な言葉になってしまうのだ。

自分事化するには、言葉の粒感が大切になる。
粒感が大きければ距離は開いて、小さければ距離は近くなる。

ちょうど、ライトみたいなものだと思う。

粒感の大きな言葉は、照らしたいモノと距離をとって、周辺まで照らす。その時、光が分散する分だけ視界がぼやけるし、余分なものまで照らすから視線も散漫になる。

粒感の小さな言葉は、照らしたいモノと距離をつめて、ピンポイントで照らす。ちょうどスポットライトみたいに、光を一か所に集めるから、照らされた場所は燦然と輝き、余分なものが見えないから視線が固定される。

だから、言葉の粒感は小さく、距離は近くしたほうがいい。

広告コピーはラブレターだというけれど、言葉を“伝える”ものはすべてラブレターだと思う。

少なくとも、動画のセリフはラブレターだ。

そんなことを、今日の仕事で思った。

(映像まわりの仕事をする人は視覚に強みがあるから、セリフみたいなテキストは弱いのかな。訴求が全然定まってなくて、コンテンツとしてぼやぼやしていたよ。という、愚痴とディレクション下手な自分への反省です)

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