出川哲朗氏と、アイヒマン裁判における「悪の凡庸」問題(4/15追記)

元モデルのマリエさんが、SNS上に過去に強要された性接待について告白し、話題になっている。

twitterでは、「#マリエさんに連帯します」とハッシュタグつきで、彼女の勇気ある「告白」を支持する声がある一方、テレビでは、一週間がすぎた現在でも(4月10日)、ほとんど取り上げられてないらしい。今日のお昼、偶然テレビをつけたら、旅番組でダチョウ倶楽部の面々とともに、笑顔で港町の皆さんと接する出川哲朗氏の場面が流れていた。

性接待を強要した島田紳助氏は、10年前に暴力団との交際が発覚して以来、芸能界を引退している。非難の声はもっぱら、性接待強要現場に同席し、島田氏を止めるどころか、勧めさえした出川哲朗氏らに向けられている。

ぼくが、いわゆるお笑い番組を見なくなったのは、それこそ島田紳助氏やダウンタウンの松本人志氏、とんねるずの石橋貴明氏らが席巻していた90年代前後だ。取り巻きとされる格下の芸人を引き連れ、親分風を吹かしてハラスメントの限りをつくし、それが視聴者の笑いを誘うという日本のバラエティ番組に、辟易させられた。そして、そうした番組でハラスメントを浴び、抱かれたくない男性ナンバーワンとして笑いものになっていたのが、出川氏だ。

10年くらい前、久しぶりにフジテレビでお笑い番組を見たら、すでに50代となった石橋貴明氏が、同じように老け込んだ昔の取り巻き連中を引き連れ、昔と同様のハラスメント芸を見せていた時、ぼくは、「なるほど、失われた20年だ」と納得した。

よく言われることだけれど、日本のバラエティは、「格下をいじる」事で成立している。それが実は「差別」でしかない事を暴露したのが、2016年、来日して朝の情報番組に出演したアリアナ・グランデさんが、MCの加藤浩次氏がレギュラーコメンテーターの近藤春菜さんを「ジャパニーズ・マイケル・ムーア(要するにメガネをかけた肥満児)」と紹介し、完全に無視された一件だ。アリアナさんは近藤さんを「あなたはかわいい」と讃え、暗に差別的な日本の男性MCを牽制した。

アリアナ・グランデさんの態度を「ポリコレ」という文脈で揶揄する風潮がいまだに日本には根強いが、まったく違う。彼女のような、世界的なマーケットで勝負するアーティストは、人種や、性別や、容貌で差別する人間だと見なされれば、そのぶん、マーケットの支持を失う。それは巨額な損失となってはねかえってくる。アリアナさんは世界を股にかけるアーティストとして当然の態度を取った。恐らくアメリカであれば、加藤浩次氏は弁明に追われ、弁明次第では全国放送のMCの座を失いかねないところだったが、まったく問題にならなかった。

その翌2017年10月、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーという2人の女性記者によって、ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの、女優に対する性接待強要や性的虐待が暴露された。それをきっかけに、ハリウッドを初めとするショービジネスやジャーナリズムのセクシャルハラスメントが数多く告発され、ケビン・スペイシーやモーガン・フリーマンといった大物俳優が、そのターゲットとされた。

この波は全世界に広がった。日本の隣国・韓国では、ソウル市長が自殺に追い込まれ、名脇役で彼が出演すればヒット間違いなしと言われたオ・ダルスが、事実上の引退に追い込まれた。

こうした動きを、「当時は当たり前だったんだから、そんな時代の風潮を掘り返して断罪するのはどうなん?」的な言説は、数年前まで日本の地上波では当たり前だった。

以下、wezzyからの引用。

2017年、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン氏の過去の性的暴行問題をきっかけに、世界の芸能界では「#MeToo」運動が盛り上がりをみせた。しかし、日本の芸能界に波及することはなく、現在でも、女性が仕事をもらうことの対価として身体を差し出すことがカジュアルに扱われ、「女性もそれを望んでいた」と勝手に解釈したり、「断ればいい話」と批判するセカンドレイプも根強い。
 たとえば、2017年放送の『バイキング』(フジテレビ系)では、ハーヴェイ・ワインスタイン氏の問題を取り上げるなかで、坂上忍が<ワインスタインさんがやったことは確かに悪いことなんですけど、逆もあるでしょう、女優さんのほうから実力者に>とゲストの梅沢富美男に投げかけ、それに対し梅沢は<枕営業なんて言葉がね、飛び交っているからね。こんなことは昔からじゃないの。私、言っていいなら喋るけど。こんなことやっているやつはいっぱいいるよ。気をつけろ、本当、テレビ局も映画監督も>などと、性暴力の話を「本当は女性から仕掛けたのに罠にハメられて男性が告発された話」として展開した。
 『バイキング』のセカンドレイプ的な放送はその後も続き、2018年に「TIME’S UP」運動を特集した際にも、おぎやはぎの小木博明と坂上が下記のようなやり取りを繰り広げた。
小木<これ僕の意見じゃないんですけど。セクハラを受けたことで売れた人たちもいるじゃないですか、女優さんは。訴えた人の中でもそれで売れた人ってたくさんいると思うんですよ。それを訴えたところで、どっちが悪いって>
坂上忍<それはダメでしょ。合意の上で、利害関係が一致してる>
小木<売れてない人が文句を言ってるんですか? 大スターはそれで大スターになったんじゃないですか?>

日本の情報番組は、きちんとした知識をもった専門家より、プロデューサーやMCと「親しい」「芸能事務所の所属して」「数字が見込める」人の、「愚にもつかない」コメントで時間を消費する。大切なのは、自分の発言が、より広範なマーケットに届き、より多くのビジネスチャンスを得られるかどうかではない。そんな土俵は日本には存在しない。いや、存在しうるんだけど、そのチャンスを求めるだけの意欲すらなく、もはや高齢層しか見なくなり、スポンサー広告も減る一方のジリ貧テレビ村で汲々とするしかない空気は、なんとなく分かる(自分が所属していた出版業も似たようなものだから)。

オリンピック組織委員会会長の森喜朗氏が、女性差別発言でその座を追われて以後、さすがに「もはや、差別発言は駄目でしょ」的空気はテレビスタジオでも共有されるようになった。いまだに「言葉狩りが厳しいとギャグができへん」的大御所芸人は散見されるけれど、一方で性別や年齢、容姿を揶揄する形のギャグを避けようと公言する若手芸人も出てきたらしい(アメリカや韓国のバラエティを見ていると、「いじり」なしに笑いを取れるコメディアンはいくらでもいる)。

それでもなお、今回のマリエさんの告発が地上波テレビで取り上げられない実態は、いまだに日本のテレビ局の古い体質(大手プロダクションへの忖度!)を現しているとしか思えない。海外先進国だったら、現役芸能人の出川氏はもちろん、引退中の島田紳助氏も公の場で弁明することなく、見逃されるはずがない。

もちろん、ぼくはマリエさんの告発を、検証なしに真実であると持ち上げることはしない。ただ、21世紀の現在において、ネットでの告発だから、大手プロダクションが絡んでいるから、とスルーしようという姿勢は大問題だと思う。

ところで、「性接待」といえば、かつてこんな話を聞いた事がある。1990年代前半のことだ。当時一緒に仕事していた、いわゆる婦人科カメラマン(女性の芸能人を撮影する事を専門とする)が打ち明けてくれたのだが、バレンタインデーの季節になると、自宅に若手女性タレントやモデルが、アポなしに押し掛けてくる事があるのだそうだ。「私がプレゼントよ、受け取って」というわけだ。そのカメラマンは玄関先で追い返しているそうだが、「受け取ってるカメラマンもいるみたいですよ」との事だった。

恐らく、テレビ局の幹部スタッフや、レギュラーを持っている芸能人も、同じような「プレゼント攻勢」を受けた事があるのだろう。そこで「枕営業」なんて言葉が生まれ、あたかも女性の側に責任があるかのような風潮が、いまだに根強いのだろうと思う。

だが、問題は「プレゼントを受け取った男性に責任があるのかどうか」ではない。「プレゼント」となった事が、彼女らの自発的意志なのか、それとも、事務所からの「命令」なのか、だ。

これは、ぼくが高校生くらいの時だから、30年以上前になる。ある芸能界の大御所女性がMCを務める人気インタビュー番組に、ある若手女優が出演していた。彼女はもともと歌手を目指していたが、途中で俳優に転向した。その理由をMCが尋ねた時だ。

突然彼女は涙ぐみはじめた。そして「若い女の子は夢を持つものだし、そのために、そういう事をするのは責められないんだけれど、どうしても私にはできなくて……」と言い出したのだ。「そういう事」が具体的に何を指すのかは分からなかった。MCもそこを追求しようとはせず、次の話題に移った。だが、当時高校生だったぼくにも、彼女が「性接待」を強要され、拒否したのであろうことは想像できた。

確かに、若い女性が成功を掴むため自らの性を武器としたとしても、誰にも責められない。だが、それが彼女の意思であったとしても、それが後々まで心の傷として残るのであれば、まず「性接待」を悪とする風潮そのものを徹底させ、問題が発生すれば、たとえ過去の事例であろうと公の場にさらし、社会的問題として議論し、その上で法整備にまで持っていかねばならない。

こんな言い方は当然出てくるだろう。もしマリエさんの告発が事実だとしても、すでに十数年前の事だ。当時はそれが当然だった。まして、当時の島田氏には逆らえなかっただろう出川哲朗氏らを責めることは、誰にもできない、と。

そういう意見を眼にして思いだしたのは、ハンナ・アーレントの、いわゆる「悪の凡庸」問題だ。

ドイツ出身でアメリカに亡命した哲学者ハンナ・アーレントは、1961年、イスラエルで行われたアイヒマン裁判を傍聴した。アドルフ・アイヒマンはナチス時代の親衛隊中佐、アウシュビッツ強制収容所へのユダヤ人の移送を担当した。数百万といわれるユダヤ人虐殺に関与した罪で、戦後、イスラエルの諜報機関(モサド)に逮捕され、裁かれたのだ。

法廷の場に現れたアイヒマンは、極悪人ではなく、むしろ生真面目で、家庭を愛する小市民的な人物だった。そんな男が、世紀の大量虐殺の一翼を担った事実を考察したアーレントは、『エルサレムのアイヒマン 悪の凡庸さについての報告』という著書を公刊した。そしてアイヒマンの「完全な無思想性」が「彼をあの時代の最大の犯罪者」にしたと結論した。

昨日(4月10日)、たまたまテレビをつけると、画面に満面の笑みを浮かべた出川哲朗氏が現れた。ちょうど、マリエさんの告発について、いろいろチェックしていた直後だっただけに、ぼくの眼はチャンネルに釘付けになった。テレビ東京で製作している「出川哲朗の充電させてもらえませんか」という旅番組だった。2017年から続いている人気番組で、「電動バイクでニッポンを縦断する人情すがり旅!」というのが、キャッチフレーズだ。

地方の港町で、集まってきた地元民たちと、満面の笑みで気さくに接する出川氏は、「善良」を絵に描いたように見えた。従来、大御所のいじられ役のポジションでいた出川氏が、やっと掴んだ主役の座であり、本来、彼はこうしたキャラクターとして活躍の場を与えられるべき人だったのだろう。twitterなどで番組のファンが、出川氏を擁護したくなるのも無理はない。

だが、それはそれとして、出川氏は公の場で、マリエさんの告発に対して、誠実に応えるべきだという考えは変わらない。出川氏だけでなく、その場にいたとされる全ての人(島田紳助氏は当然!)がそうせねばならない。たとえ、マリエさんの告発が「事実」ではなく、出川氏がアイヒマンと違って「罪」に荷担していないとしてもだ。

この国では、正義や公正さよりも、「ムラ社会で波風を立てないこと」が最優先される。母親の婚約相手に対し、事実とレトリックで対抗する小室圭氏に対して、テレビでいやしくも弁護士が「大切なのは円満に解決すること」と非難するのが、日本の現実だ。

波風を立てる事でしか、世界は前には進まない。

【追記】

その後、4月14日付の東京スポーツWEB版に、「マリエに糾弾された出川哲朗ついに〝出演番組ゼロ〟」なる記事が出た。

 タレント・マリエ(33)の「枕営業告発」騒動で名指し批判された芸人・出川哲朗(57)がついに〝出演番組ゼロ〟になってしまった。
14日、出川が所属する芸能事務所「マセキ芸能社」が公式サイトで所属タレントのメディア出演情報(最新出演情報)を掲載。売れっ子のはずの出川の項目が消えてしまった。
事務所の看板ともいえる出川は、これまでウッチャンナンチャンに続く2番目に掲載されていた。今月3日更新の出演情報では「世界の果てまでイッテQ!」など4月18日から5月30日まで13本。ところが4日夜のマリエによる暴露インスタライブで風向きが変わったようだ。
 事務所は9日に「お騒がせしているような事実はない」と疑惑を否定したものの、騒動は収まる気配はなかった。翌10日に更新した出演情報は5月21日「坂上どうぶつ王国」、同7日「人志松本のツマミになる話」と激減。そして14日更新の出演情報からは名前が消えてしまった。
 マリエはインスタで「出川さんがCMに出てるのがマジ許せない!」と発言。事務所による否定効果は小さく、「水面下でCMが止まった」という話も聞かれるが…。超売れっ子から一転、出演情報ゼロは何を意味するのか。

出川氏が所属する事務所は、告発された事実はなかったと発表している(決して歯切れの良い否定ではなかったが)。この記事じたいは(掲載元が掲載元だし)信憑性に疑問符がつくものの、大きな流れとして、真相をうやむやにされたまま、出川氏がフェイドアウトする(そして、ほとぼりが醒めたところで再登場する)段取りが進められているとしたら、最悪だ。メディアはマリエさんの告発を、いまだ日本社会に根強いセクハラ、パワハラ体質の一例として報道し、国民的議論を巻き起こすべきだろう。そして当事者である島田紳助や出川氏は、公の場で否定もしくは謝罪することで、芸能界の体質改善につなげなければならない。それは芸能界だけでなく、社会全体に風通しの良さをもたらすはずだから(2021年4月15日追記)


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