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意外に吹っ切れない話

 最後に新聞社から不採用通知が届いて1ヶ月以上になります。今思うと結構経ってて、我ながらよくぞちゃんと立て直して就活に取り組み直したなってすげぇ思うわけです。記者になりたいと真剣に思ったのはたったの2年くらいでした。でも、小学生から特段夢もなかった自分にとって本気でなりたいって思えたからいったん潰えたのが本当に堪えた。

 1回やり直しになった就活だったけど、当時は本当にやる気は出なかった。言い方は変だけど、「新聞社かそれ以外か」くらいの見方しかできなくて、ほとんどの会社はそれ以外だった。今も正直そうだけど。でも、この1ヶ月は自分にとって大事な1ヶ月だったと思う。

 まず、1番の変化は「まだ諦められない」ということを知れたこと。簡単に諦められないくらいには本気だったんだなって知れたのは収穫だったと思う。次に違う可能性を見出すことができたこと。今まではいわゆる大手企業に当たるような企業ばかりだったから通りいっぺんの面接が多かった。けど、この1ヶ月はベンチャーっぽいところも受けたし、違う業界も受けていろいろな面接に出会った。なんか、22卒が読んでたら覚えておいて欲しいんだけど、選考だけじゃない面接っていうのも多く存在してるんですね。今までの自分のことを振り返ってくれる企業もたくさんあったし、これからのプランニングの話をしてくれる企業もあって本当にためになった。

 これを経て思ったのは「自分はまだ記者になるには早かっただけ」ってこと。正直経験はあるけど、野球以外の取材経験はほぼ0。実際にもし採用されていて、取材現場に行けば、当然そこには「本物の野球取材の経験」を持っている記者があふれていて自分のそれは個性にならない。そういう意味でもしかしたら縁がなかったのかなって思ってます。逆に一般企業の営業職で働いていましたって人とか、何か他に触れていた人って新聞社からしたら異質になりうるのではないかと。そういう風になれたらもしかしたら自分に門が開くかもしれないと今では思っています。

 正直、まだ内定があるだけなので最終進路は決まっていなくて就活はぬるっとやっています。どこの企業に入ったとしても4年以内に何かしらの結果を残して、自分が今までよりも異質だなって思えたらその時にもう一度挑戦したいと思います。4年後って何歳だ?今22なんで26歳ですね。うーーーん。どうかはわからないけど頑張りましょう。っていう決意表明じみたお話でした。

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