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22世紀の民主主義~私たちはアルゴリズムを神にする?~

1.民主主義と選挙の劣化


民主主義が劣化しているという著者の指摘、このコンセプトには同感。確かに、今の民主主義は、短期的な目線での自国ファースト、有権者ファーストになっているように見える。

それと併せて、SNSが一般化し、個々人の興味関心がAIで解析される現在において、民主主義の根本を支えているはずの選挙というシステムが、非効率でかつ民意を正確に反映できない、という指摘、これにも大いに賛成する。

我々は立候補した候補者や政党を選ぶが、候補者や政党と完全に考えが一致していることはまずない。憲法改正にはこの政党のこの人の意見に賛成、しかしその政党の消費税の扱いには納得できない、といったことの方が普通。
それなのに、選挙で自分の意見を代弁する誰か、そして政党を選ばなければならない。
さらに日本では、高齢のゾンビ政治家が、高齢者向けの政策で生き延びる、とても残念でむなしいがその通りの現実があると感じる。

2.アルゴリズムによる改革

この状況を改善するため、みんなの意見、すなわち民意を無意識のうちにくみ取るしくみを構築し、民意を満足できる最適な施策を過去の成功例から、アルゴリズムで選択すればよい、というのが著者の提案。

この政策決定のためのアルゴリズムには、自国の自選挙区の有権者だけでなく、外部の視点、それと、短期ではなく長期的な人類の幸福まで視野に入れた判断を行うように設計する。

確かに、政策決定とまではいかないが、我々はすでにいろんな意思決定をAIアルゴリズムにお任せしている。
スマホを開けば、お勧めの情報が24時間更新で表示される。NOTEのタイトルデザインも、CANVAのAIがお勧めのものを提案してくれる。一から悩む必要はない。パワーポイントのデザインも、マイクロソフトのAIにお任せできる。
この調子でいけば、結婚相手や就職先をAIで選ぶ日も遠くない。自分で選ぶより、AIが選んでくれた人の方が、自分に合っているはず、そう納得するだろう。すでにそれに近い人もいるだろう。

我々は、自分の判断よりもアルゴリズムの判断に依存して、これが最適なのだ、と自分を納得させるのだ

3.アルゴリズム政治への疑問

みんなのための政策をアルゴリズムに任せるとすれば、例えば、自分が不利益を被る場合に、アルゴリズムに様の言うとおりだから、きっとこれが最適なのだ、と納得して受け入れられるだろうか?

かつて、日本の高度経済成長期には、山間の多くの村がダムの底に沈んだ。原発を近くに誘致した自治体もある。もちろん補償はあるだろうけど、みんなの利益のために、自分の何かをあきらめる、政策の実行にはそんなことが必要になる。

そして、アルゴリズムがくみ取ろうとする民意、この民意とは何だろうか。我々の多くは、やっぱり自分が損しないように、そして自分ができるだけ幸せでいられるように、自分ファーストの政策を求めるのではないだろうか。まったく顔を見たことのない遠くの他人のために、自分の何かを気持ちよく差し出せるのだろうか。

我々がアルゴリズムの外部目線、長期的目線の最適解に、納得して気持ちよく従う、もしも、そういう世界がくるとすれば、それは、我々がアルゴリズムを神にする時ではないか。そう思った。
しかし、今の民主主義とその背景にある選挙も問題を抱えているのは確か。これから、どうなるだろう。