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アメリカ:福者カルロ・アクティスの母、魂と世界を変える聖体について

USA: Blessed Charles Acutis' mother on the Eucharist, which transforms souls and the world

カルロの母親アントニア・サルザノ・アクティス
(CNS photo/courtesy Diocese of Assisi-Nocera Umbra-Gualdo Tadino)

福者カルロ・アクティス(Carlo Acutis 1991-2006)と聖マヌエル・ゴンサレス・ガルシア司教(Manuel González García 1877-1940)は、アメリカにおける聖体復興(The National Eucharistic Revival)の主要な守護者である。このことは、12月3日付のナショナル・カトリック・レジスター誌(National Catholic Register)のインタビューで、若いイタリア人の福者カルロ・アクティスの母親アントニア・サルザノ・アクティス(Antonia Salzano Acutis)が語っている。彼女は最近アメリカを訪問し、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、ワシントンDC、ヒューストンの教会を満員にした多くの信徒の前で講演した。

(Catholic University/Patrick G. Ryan)

そこで彼女は、聖体についての現在制作中の映画『The New Manna(ザ・ニュー・マナ)/アンジェロ・リブッティ監督(Angelo Libutti)』(アントニア自身も出演)をとりわけ宣伝した。「この映画は、神が私たちに何かを約束するならば、それは無限の価値があると信じる人々の真実の物語である。神は自らこう言われた『見よ、わたしは世の終わりまであなたがたと共にいる』(マタイ28・20)、『わたしのからだを食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまる』(ヨハネ6・56)」と彼女は語った。

福者の母は、「それゆえ(み言葉)、イエスは私たちにイエスとの特別な関係という真に特別なものを、イエスは私たちに聖化の恵みを与えてくださる」と述べた。「イエスはこの世で完全な教会を約束されたことはない。不完全さは常に存在するので、たとえば、司祭が聖くないとか、単に司祭が嫌いだからという理由で、秘跡を疑ったり、拒否したりすることはできない。他人の意見や態度にだけ導かれることも、私たちの霊的生活には好ましくないし、ご聖体から遠ざかってしまう。現在製作中のこの映画は、私たちの感受性を新たに目覚めさせてくれるものであり、神の恵みによって完全に完成すれば、多くの人が回心することを期待できる。過去には、『The Passion of the Christ(パッション)』、アッシジの聖フランチェスコを描いた『Brother Sun, Sister Moon(ブラザー・サン、シスター・ムーン)』、聖パードレ・ピオを描いた映画など、映画が神の道具となることがあった」と彼女は振り返った。

福者カルロは、5年間の公教要理の授業を依頼されたとき、聖体におけるキリストの現実の臨在、真の現存に対する信仰の欠如を自分の目で見ることができた。その時、彼は、多くの人が教えから恩恵を受けたものの、その後ミサに出席しなくなったことに気づいた。そのため、インターネットやその他のメディアツールを通じて、新しい要理教育戦略を模索したと母親は強調した。

彼女は、50年前にはまだスマートフォンがなかったことを指摘し、「もしあの時、彼がスマートフォンにアクセスできていたら? しかし、ミラノ出身の青年は当時、ノートパソコンを使っていた。私たちは彼に5台のノートパソコンを買わなければならなかった。息子が、ご聖体の奇跡に関する資料をパソコンで送り始めると、そのとき、まったく不可解なことが起こった。パソコンが燃え始めたのだ」とアントニアは思い出して言った。「超自然的な力が働いているのを見た。悪魔がこれらのツールのおかげで多くの人々が回心するという考えに耐えられなかったために起こったことだろう。この種のメッセージが何千もの教区に伝わることを、悪の勢力は望んでいなかった。息子はノートパソコンでウェブサイトと展示を作成し、それは中国、インド、日本、アフリカ諸国、オーストラリア、ラテンアメリカ、そしてアメリカ合衆国と世界中を回り、何千もの小教区を訪れた」と、彼女は自信をもって明言した。

福者の母親は、さまざまなタイプの聖体の奇跡について言及し、「息子にとって、そのような奇跡の一つ一つに大きな価値があったが、彼は、ご聖体が心臓の筋肉に、ぶどう酒が血に変化する奇跡を最も好んだ」と述べた。そのような奇跡のなかには、ポーランドのソコウカ(Sokolka 2008年)、レグニツァ(Legnica 2013年)、メキシコのティクストラ(Tixtla 2006年)、アルゼンチンのブエノスアイレス(Buenos Aires 1996年)など、教会が公式に認めたものもある。しかし、ほとんど聞いたことのない同様の奇跡は他にもある。たとえば、1906年、コロンビアのトゥマコ(Tumaco)では、地震の後、津波が街に押し寄せる恐れがあった。恐怖におののいた住民が海岸に駆けつけると、司祭がご聖体(Blessed Sacrament)を持ってそこに到着した。「迫り来る大波が突然止み、人々がこの大災害を生き延びたことを想像して欲しい」とアントニア・アクティスは語った。

彼女はインタビューの最後に、「私たちは今も彼(カルロ)の信仰の実りを見ている。さまざまな奇跡以上に重要なのは、私たちがよく耳にするように、彼の精神的な支えだ。信仰が奇跡を起こすというなら、息子はこうして働き、今も働き続けている」。と強調した。

Fr. JJ

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