今週のマイブーム 1/16-22「人としての尊敬を優先する」

宇多田ヒカルのお誕生日記念ライブ配信『40代はいろいろ』を会社のzoomミーティングが始まるまで観る。ファンからのお便りで「私は伝えたいことを表現するのが下手なのですが、歌詞を考える時の表現のコツはありますか」的質問があった。それに対して「人に伝えるとき、伝えたいという想いは邪魔になる時がある。相手のことを考えて、相手にどう伝わるかをひたすら考える」というような返答をしていて、その通りだよなあと数日そのことばかりを胸でぐるぐるさせた。

数日後「好きとか嫌いとか欲しいとか、気持ちいいだけの台詞でしょう」の歌詞の意味が腑に落ちるようになった。(Doughnuts Hole「おとなの掟」より 飛行機の中で観て『カルテット』熱が再燃してしまい一気観した。)

自分本位な気持ちって、本当に自分が気持ちいいだけなんだよな。と実感を伴う。私は、自分のピュアネスを盾にして「私はこう思う」を綺麗に主張することが得意な大人になってしまったけど、THIS IS 逃げ論法であることに気づき始めて(おせーよ)、最近すごく自分が嫌い。
仕事においては、求められている優等生的振舞いがわかるからそれに乗っかってしまうし「私はそれをやりたいです(ピュアピュア〜〜)」とスピーチすることで評価されることを定番ポジションにしてきてしまった。だって求められてるから、を言い訳に。その中でも、上長だけではなくチーム全体が望んでいることを真摯にチョイスしてきたつもりではいるけど、私の仕事の評価はスピーチそのものにかかっていて、そこで良い子の判子をもらっておしまいになってしまう。そして、それに甘んじていなかっただろうか。
プライベートにおいても、「私、すきです!」を相手の負担になりすぎない程度にメガホンすることで"ポジティブな感情をくれる人"として表面上の好感度を獲得してコミュニティに参入してしまったと自覚している。もちろん全部私の本当の感情だからこそ、別に悪かないとも思うけど、でもそれで素敵な人だと言われることには後ろめたさがあって。自分が気持ちいいだけのことを綺麗にラッピングしただけだから。純粋なフリして切実さが足りてない。(切実さが輝いてない。)

これがジェーン・スーの言う「30代になると、”自分ってなんでこうなんだろう”って醜くてしょうがない部分が見えてくる、それとどう向き合ってきたかどうかで40代が決まる」のうちの一つなんだろうな。

この最悪なガターを埋める策として、ボールが溝に吸い込まれそうになったら「人としての尊敬を優先する」を呪文のように唱えるようにしてみてる。自分の想いの実体は相手にとっては関係なくて、その人に「人として」尊敬できる部分に焦点をあわせる。それ以外は見ない。ちゃんとピンを見る。
そういや、平井堅もライブ密着の映像で「歌を届けたいときこそ、感情を抑えて声や技術的な部分に集中する」的なこと言ってたよな(何年も前に観たから言い回し全然違いそう)。

切実な人間でありたい。この「ありたい」もガターなんだからピンに集中しようね、自分。これは訓練、技術です。長年脳内お花畑でやってきてしまったから軌道修正には時間がかかる予感がしてる。仕事と、憧れの人に納得した形でボールを送ることをぐるぐるする今日この頃。