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【インタビュー】 きゅうりさん 〜しじみ汁と祖母〜

ケアマガインタビューでは、以前ケアマガに寄稿してくださった介護経験者や当事者の方の「その後の様子」や「記事の裏側」を取材し声をお届けしています。

本日は、2019年4月に『しじみ汁と祖母』を寄稿してくださった執筆者の(きゅうりさん)をご紹介させていただきます。

本記事は、きゅうりさんの記事を合わせてご覧になることをお勧めします。

◇ きゅうりさん
10年ほど前に癌の終末期の祖母の介護を経験

<介護のあゆみ>
7人(祖母、祖母の息子夫婦、孫夫婦、ひ孫2人)で暮らす大家族。5月、ひどい腹痛により病院を受診し、総胆管結石と胆管がん、肝臓への転移(ステージ4)が祖母の身体に見つかった。当初、本人には告知していなかったが、諍いをきっかけに義父により怒鳴るような形で告知。最初は落ち込んでいたが、次第に受け入れ身辺整理を開始。9月頃から体調が悪化し、介護認定を受けるための準備が進む。次第に動けなくなり1日のほとんどを寝て過ごすようになるが、ベッドの上でひ孫と遊ぶ時は起き上がって遊んでくれた。亡くなる1ヶ月前、自宅で目眩を生じたのをきっかけに病院へ救急搬送された。目眩は、低血糖と麻薬が効きすぎたのが原因だった。入院から1ヶ月後、徐々に体調が悪くなり、86歳で永眠された。


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介護について振り返る

ーー4世代家族という大家族の中で介護をご経験されて、よかったなと感じられること、また大変だったことなどがあれば教えてください。

きゅうりさん:
実は、介護がいるかいらないかくらいで入院となったので、在宅で介護をした期間はそう長くはありませんでした。なので、そこまで苦労をしたという記憶はありません。在宅にいる時は私が中心となってみていました。大家族だからと言って、みんなですごく協力して介護をした、ということもそんなにはありませんでした。

娘2人は今でも、おばあちゃんに可愛がってもらった記憶や思い出がしっかりと残っているようです。「おっぴちゃん(おばあちゃん)の作ってくれた梅干しがまた食べたいな」とよく話します。


ーー癌が告知され介護も進んでいく中で、家族の関係性が変わったなと感じたことはありますか。

きゅうりさん:
病気の告知や介護により家族が団結していった、ということはそんなに強く感じませんでした。実は祖母と義母の関係があまり良くなく、義母は介護に関わるつもりはあまりない様子で、医療職の私に任している感じでした。

両親は、「介護が必要なくらい悪い状態になったら入院」と思っていたので、自宅で介護する気はなかったのかなと思います。


ーー病気の “告知” ということに対して、きゅうりさんが感じたことや考えがありましたら教えてください。

きゅうりさん:
義父は、祖母に告知をしたら「落ち込んで耐えられない」と思っていたようですが、実際にはそんなことはありませんでした。多少は落ち込む時期もあったようですが、周りが思ったほどではなく、しっかりと受け入れていました。

むしろ、伝えた後の方が楽になったのか、人生の最終段階に向かってしっかりと歩んでいました。人って、思った以上に受け入れる能力がありますし、周りが思うほど弱くはないんだなと実感しました。

伝えると可哀想だなと思う家族と、思ったより受け入れる力がある本人。この両者にはギャプがあるなと感じます。うちも最初は告知をしていませんでしたが、その時は両方ともにしんどそうでした。家族は隠していることが、本人は何でよくならないだろうというモヤモヤがあったと思います。


ーーおばあさまが在宅で「最後の願い」を叶えられる様子を近くで見られて、きゅうりさんやご家族さんはどんな想いでしたか?

きゅうりさん:
梅干し作りは、娘も一緒になってみんなで出来たので本当によかったなと思います。着物は「東日本大震災で着物をなくした人に分けてあげたい」という祖母の思いがあったため、色々と調べ各所へ届けにいきました。祖母の体調自体は結構悪くなっていましたが、なんとか届けにいきました。

自分で身辺整理をできる方も少ないと思うので、それがやれたということや、想いを叶えられたということはかなり良かったんじゃないかと思います。ギリギリのところまで頑張ってくれたので良かったなぁと思います。


ーー在宅介護の準備を進められる中で、大変だったことはありますか?

きゅうりさん:
両親は家で介護をする気持ちはなく、イメージも湧いていなかったと思います。私から「こういうサービスがあるよ」と言っても、そんな介護が必要な状態だったら入院だろうと言っていました。イメージを持ってもらうために、地域包括支援センターの方に家に来てもらったりもしました。

仕事上、そうやって最期を迎えた人をたくさん知っていたので、私は祖母の最期は家を選択したかったです。しかし、両親に強く言うことはできず、理解してもらうことはできませんでした。このことを夫には話していましたが、特に現状は変わることはなく、在宅介護の大変さを痛感しました。


ーーきゅうりさんにとって「しじみ汁」はどんな存在ですか。

きゅうりさん:
しじみは、祖母が家族によく食べさせてくれた思い入れのあるものだったのと、肝臓に良いと聞いたことがあったので、それでよく「しじみ汁」を作っていました。

だんだんと食が細くなり殆ど何も食べられなった時も、それだけは飲みたといって飲んでいました。寒い寒いと言ってしんどい時に、熱々のしじみ汁を飲んでは喜んでくれていたので、嬉しかったです。

入院してからも持って行きたかったですが、絶食になっていたためそれは叶いませんでした。あのまま家にいたらもっと飲めていたのかな、と、今でも思うことはあります。


ーー記事からは、後悔の念も抱かれているように感じましたが、最も辛かった時期はどう過ごされたのですか?

きゅうりさん:
入院する前の1ヶ月間が大変でしたね。在宅診療は入れていないし、ご飯が食べられないので、週に1回は病院にいって点滴をする生活を送っていました。家族も食べられないことをとても心配していました。また、トイレに入ったら30分くらいは出てくることができず、一緒に付き添っていたりしました。

かかっていた病院が緩和治療に詳しくなかったので、痛いといっても薬をくれることはなく、医師との信頼関係も厳しいものでした。在宅治療に詳しい医師や体制があったら、しんどい思いをせずにもっと家でみることができたのではないかなぁと思うこともあります。


ーー介護Webマガジンに “書く” という経験は、きゅうりさんに何か意味のあることとなりましたか。

きゅうりさん:
大家族って珍しいんじゃないかと思い、「人に伝えたい」という思いで書き綴りました。また、今回インタビューを受けて、初めて「自分自身は最期をどう過ごしたいか」と聞かれてハッとしました。私は家族を家でみたい気持ちは強いですが、自分がいざその立場になったら、家族に迷惑かけたくないなって思ってるんだなって、気づきを得られました。


ーーおばあさまへメッセージがあればお願いします。

” 最後の1ヶ月間を、病院ではなく自宅で過ごせていたらもっと違ったんじゃないか、最後は自宅で手を握ってあげたかったな、と今でもとても悔やんでいます。

おっぴちゃんのすっごく酸っぱい梅干しを、当時小さかった娘が今でも食べたいと言っています。道の駅の直売所まで行って、その味に似た梅干しを買っています。もっと、梅干しとか赤飯の作り方をちゃんと聞いておけばよかったなと思います。

おっぴちゃんは、今でもみんなの心の中に生き続けているよ。”


ーー同じように介護している方へメッセージがあればお願いします。

きゅうりさん:
病気の告知に関して、私は、みんな「告知した方がいい」と考えます。病気は本人のことなので、家族がそれを決めるべきではないのかなと思うからです。そして、告知をするなら、なるべく元気なうちにして欲しいです。

自分の「最後の生き方」は、自分で決める世の中になることを願います。それは、高齢であっても認知症であっても変わりません。日本では、在宅診療や在宅介護によって支えられる仕組みになっています。仕事上、自宅で最期を迎える人をたくさん見てきたので、最期を家族に囲まれながら過ごせるのは本当に幸せなことだなと思います。

私自身も、やっぱり最期は家族に囲まれていたいです。しかし、迷惑かけたくないという思いも強くあります。だから、施設でもいいけれど、「人が常に会える場所」だったらより良いな、と思います。

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以上、2019年4月に『しじみ汁と祖母』を寄稿してくださった執筆者のきゅうりさんをご紹介させていただきました。


きゅうりさん、貴重なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました。


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