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【地歴日記 #8】 宿場町歩き〜川崎宿〜

こんにちは。海城中高地歴研の中1部員です。

終業式も終わり、本格的に春休みが始まりました。もうすぐ入学式ですね。新中1のみなさんの入学が待ち遠しいです。


さて、本記事では定番の城ではなく、宿場町へ行った話をしようと思います。

宿場町の中でも、今回行ったのは東海道五十三次の2番目の宿場町、川崎宿です。

川崎宿は品川・神奈川間の距離が長かったため、伝馬継立の負担を減らす目的で1623年に設置されました。

六郷の渡しの渡船権を得ると、財政難から抜け出して栄えました。

しかし、1872年に日本初の鉄道が開通して川崎駅が開業。交通の中心が移り、その後の戦災などでは古い建物は消失しましたが、川崎区は当時の文化や歴史をまちづくりに活かし、かつての川崎宿の賑わいを多くの人に知ってもらうべく、1623年の400年後、2023年を川崎宿復興の目標年としています。


川崎駅着


駅前の商店街「銀柳街」を抜け、多摩川の方へ。

多摩川堤防からは京浜急行の電車がよく見えました。




六郷橋へ

六郷橋の近くには六郷の渡し跡がありました。

↑落書き多すぎですね(笑)

1600年に六郷大橋が架けられましたが、洪水で何度も流され、5回も架け直されました。しかし、1688年の洪水以後、橋は再建されず、六郷の渡しが再建されました。




ここから旧東海道に入ります。

田中本陣跡

なぜか工事(?)されていました。

川崎宿の茶屋「万年屋」の名物だったらしいです。

今は和菓子屋さんが再現したものを販売しています。

http://www.tohteru.com/item.html (菓寮 東照HP)



東海道かわさき宿交流館へ


歩いていると、「東海道かわさき宿交流館」に到着しました。

http://kawasakishuku.jp/ (東海道かわさき宿交流館HP)


1F:茶屋「万年屋」コーナー、ジオラマ

2F:川崎宿や東海道についての解説、川崎宿ものがたりBOX

(透過映像で川崎宿での物語を紹介)、旅人の衣装で記念撮影(現在は感染拡大防止のため着用禁止)など

3F:「江戸から現代へ」川崎の歴史を様々な装置で紹介

4F:集会室、談話室


結構面白かったです。




歩きます。

ホテル 縁道

途中で旅籠を模した素敵なホテルの前を通りました。




稲毛神社へ


↑近代的

稲毛神社です。参拝しました。

https://takemikatsuchi.net/index.html (稲毛神社HP)





歩いていたら川崎宿の出口へ来てしまいました。



さらに旧東海道を進みます。


芭蕉ポケットパーク


芭蕉ポケットパークという場所に来ました。

1694年5月に江戸を発ち、伊賀上野に向かう際、見送りに来た弟子たちを川崎宿の外れで別れを告げました。

麦の穂をたよりにつかむわかれかな

芭蕉が最後に関東で詠んだ句でした。この年の10月に芭蕉は大坂で50年の生涯を終えました。

少し歩いたところに句碑がありました。これは1830年に建てられたものです。

左下にある投句箱(俳句ポスト)は、中2の英語の教科書に登場します。お楽しみに?!


八丁畷駅が見えてきました。

無縁墓

八丁畷駅から帰ります。


実は神奈川宿まで歩くつもりだったのですが、日没が近づいてきたためここまで。六郷の渡しから約2時間半かかりました。

現在は電車、車などで簡単に早く移動できますが、江戸時代の人が徒歩で江戸から大坂に行っていたと思うと、本当にすごいなと感心します。今回はそんなことを改めて思わされました。

今度は神奈川宿や品川宿にも行きたいと思います。


ここまで読んでいただきありがとうございました。


それでは次の記事をお楽しみに。



編集者メモ
いつも部員からもらったwordの原稿を、noteにコピー&ペーストして記事にしているのですが、今回は画像が多くて時間がかかりました…orz


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