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台湾民衆党は生き残れるか?

門間 理良(拓殖大学 海外事情研究所教授)

存在感を示す政党となった民衆党

 2024年1月13日に実施された台湾の総統選挙で、民主進歩党(以下、民進党)公認の頼清徳・蕭美琴ペアが558万6019票(得票率40.05%)を獲得し当選した。中国国民党(以下、国民党)公認の侯友宜・趙少康ペアは467万1021票(同33.49%)、台湾民衆党(以下、民衆党)公認の柯文哲・呉欣盈ペアは369万466票(同26.46%)だった。同時に実施された立法委員選挙では、民進党が改選前62議席から51議席に減少した一方で、野党の国民党は37議席から躍進して52議席となり第一党へ、民衆党も5議席から8議席に着実に議席を増やした。

 民衆党主席の柯文哲氏は2023年11月に一旦は成立を宣言していた藍白連合(国民党と民衆党による総統選挙でのペア出馬)が不成立に終わった際に、世間から不成立の「戦犯」とされて、支持率が2位から3位に落ち込んだ。柯文哲陣営は、最終的にその位置を覆すことはできなかったものの、総統選挙終盤戦で大健闘し、大方の識者の予想を上回る得票を得た。

 民衆党は民進党や国民党に出自や何らかの関係を持つこれまでの小政党と異なり、二大政党制に飽きた若者世代が支持して急速に勢力を伸ばした政党である点が特異である。総統選挙では2000年以来の三つ巴戦を現出させ、立法委員選挙でもキャスティングボートを握る存在にまでなった民衆党は、2028年1月の総統選挙・立法委員選挙で生き残り、さらなる勢力拡大ができるのだろうか。


台湾における小政党の栄枯盛衰

 民衆党の将来を展望するにあたって、まずは、これまでの藍系統から新党と親民党を、緑系統から台湾団結連盟(以下、台連)を取り上げて、それぞれの歴史を振り返ってみる。


【新党】台湾が民主化を進めていた李登輝時代(1988~2000年)に生まれた政党の代表格が新党である。新党は1993年に創設された政党で、国民党員だった人物が数多く参加しているので、分類的には藍系統となる。結党して10年間は立法院全議席の10%弱(第3期。1995年12月投票)、5%弱(第4期。1998年12月投票)を維持し、国民党、民進党に次ぐ議席数第3位の政党の地位を得ていた。しかし、第5期(2001年12月投票)、第6期(2004年12月投票)は国民党が候補者を立てなかった金門県選挙区で当選を出すにとどまっている。これを最後に新党は立法院で議席を獲得できていない。党員数も最盛期は6万人を数えたが、2021年には500人余りにまで減少している[1]。政策・理念の立ち位置も、当初は都市の右派寄りの有権者に訴えかけるものだったが、党勢が縮小するに連れて、以前にも増して中国との統一を志向するようになった。新型コロナウイルス感染症が台湾でも流行した2021年6月、郁慕明前主席は上海でワクチン接種したことを明らかにし[2]、台湾民衆に中国製ワクチンの接種を勧めたり、自分は中国との「平和統一」を志向しているが、台湾独立を図る者がいれば武力統一を受け入れる旨の発言をしたりするようになっている[3]。党勢縮小の結果、党内に残った中台統一派(親中派)の人々の主張が徐々に大きくなり台湾有権者から乖離していった結果が、現在の状況を招いている。


【親民党】平和的に政権交代が行われた2000年も、台湾の新政党結党にとって重要な年である。同年の総統選挙では、国民党を離党して独自に立候補した宋楚瑜前台湾省長が国民党候補の連戦副総統(当時)を超えて、陳水扁前台北市長に30万票差まで迫る健闘を見せた。宋楚瑜氏はその直後に親民党を結党したが、国民党内には宋楚瑜氏に共感する現職立法委員も比較的多く、第5期選挙ではそのような知名度と実績ある人物が親民党に鞍替えして出馬したため、当選者が多かった。だが第7期立法委員選挙(2008年1月投票)では、立法委員選挙制度が変更され、定員が225人から113人に半減し、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制(小選挙区79議席、比例代表議席34議席)になった。そのため、親民党は政策的にも近い国民党との選挙協力を行った。多くの立法委員が国民党に戻り、親民党は候補者を通常の選挙区で1人、平地原住民枠で2人まで絞った結果、当選者は平地原住民枠の1人にとどまった[4]。それ以後、親民党の党勢は振るわず、第10期(2020年1月投票)から議席を有していない。総統選挙にも宋楚瑜主席が2012年、16年、20年に出馬したものの、2000年の選挙の時のようなインパクトを残せなかった。


【台湾団結連盟】台連は2001年に民進党や国民党本土派の人々を中心に、党員ではない李登輝氏を精神的領袖に仰いで組織された。政治的には緑系統に分類される。2000年に行われた総統選挙と政権交代の影響を大きく受けて結党された点では親民党と共通点がある。台連は第5期立法委員選挙で13人の当選者を出した。この数字は民進党、国民党、親民党に次ぐ第4位であった。続く第6期選挙でも当選者数は12人を確保したが、選挙制度が激変した第7期選挙は当選者ゼロ、第8期(2012年1月投票)は比例代表で国民党、民進党に次ぐ117万票余りを獲得して3人に盛り返したものの、それ以後、立法院に議員を送り込めていない。第11期選挙(2024年1月投票)では、比例代表で6人を名簿に載せたものの得票率で1%を超えることもできなかった。そのため、劉一徳主席は辞職を表明するとともに、党中央執行委員会に政党解散を建議した[5]。1月29日、台連は中央執行委員会を開催し劉氏の建議を否決した[6]。政党としての解散はさしあたり見送られたものの、今後台連が党勢を立て直すことができるのかは疑問である。

 これまで分析したように、新党は党勢縮小に伴い主張が台湾の民意から離れて過激になったこと、親民党と台連は選挙制度変更についていけなかったことが、立法院における議席消滅の原因と考えてよい。


民主化の波に乗り「台湾アイデンティティ」の取り込みで成長した民進党

 小政党が育ちにくい台湾政界の中で順調に成長し、定着した政党がある。いまでこそ政権与党の民進党だが、結党当時(1986年9月)は弱小勢力だった。同年12月に行われた立法委員増額選挙(中華民国が中国大陸にあった当時に選出された立法委員は非改選のため、台湾地区で改選議席73が争われた)は台湾初の複数政党選挙となった。民進党は「党外後援会」の名称で19人が選挙に参加し12人が当選し基盤を固めた[7]。1989年の同選挙で民進党は21人が当選し、続く1992年12月に行われた第2期立法委員選挙(全161議席)は前年末までに非改選議員が全員引退したため全面改選となった。この時の民進党は当選者を51人に激増させることに成功した。その後の同党の当選者は第3期54人、第4期70人なので、全議席数の三分の一程度を確保できるようになったのである。この時期を経て民進党は台湾政界に完全定着したと見てよいだろう。

1996年に実施された第1回総統民選では、民進党の得票率は約20%にとどまっていたが、2000年の第2回総統選挙では藍勢力の分裂があったとはいえ、陳水扁氏が当選して初の政権交代を実現させている。続く2004年総統選挙にも陳水扁総統はぎりぎりで勝利した。その後民進党は2008年に国民党に政権を奪還されたが、2016年に再奪取に成功。以後は3期連続で総統の座を確保している。

 民進党がこうした党勢拡大を果たすことができた背景として、国民党の一党独裁体制からの民主化の流れに乗れた幸運は否定できない。ただ、民進党はその前の段階から犠牲を払いながら民主化と台湾化の促進に貢献してきた歴史があるので、決してフリーライダーではない。また、民進党は確実に台湾アイデンティティの増加に対応して党勢を拡大してきた。自分を「台湾人である」と考える人は、1992年は17.6%だったが、2023年には62.8%にまで増加した。その一方で、自らを「中国人である」と答えた人は25.5%から2.5%に、自らを「台湾人でもあり中国人でもある」と答えた人は46.4%から30.5%にそれぞれ低下している[8]。民進党はこの流れを確実に読んで、政策と選挙活動に生かしていたと評価できよう。


小政党支持票の取り込みと自己改革が鍵となる民衆党

 民衆党は台北市長を務めていた柯文哲氏が2019年に創設した新政党である。民衆党は既存の二大政党に飽きた若者世代が支持して急速に勢力を伸ばしているが、いくつも大きな問題を抱えてもいる。それを列挙すると、①党中央組織の人材不足、②地方組織がほぼ皆無の状況、③選挙に出馬できる有力な候補者の不足、④運営資金不足、⑤支持基盤が青年層、男性に限定される傾向、となる。これらを解決できなければ、民衆党のさらなる勢力伸長は望めない。

 総統選挙・立法委員選挙では上記問題点を一つ一つ解決していくしかない。④については党員の拡大と大口の寄付が期待できる台湾企業の開拓がポイントになろう。⑤については、民衆党がどこにウイングを広げていくかという問題に直結している。

 総統選挙では、有権者の中で3~4割を占める中間層票の獲得が最重要である。具体的には、台湾の主流民意となった台湾アイデンティティに合致する方向性を打ち出し、維持することである。これは民進党と有権者を争奪する方向になるだろう。

 小選挙区で当選させるためには、国民党か民進党との選挙協力が必要となる。台湾アイデンティティを大切にする方針をとれば、民進党と主張が似てくることが予想される。そういった状況で同党と協力した場合、民衆党の存在感が薄れて埋没する危険がある。それを避けるためには、民進党との対抗軸を鮮明にした方が戦いやすいだろう。よって、民衆党は立法委員選挙において、国民党との調整を試みる可能性が高いのではないだろうか。そして、柯文哲主席に加えて魅力的な候補者を数多く発掘することが重要である。有権者の間で知名度の高い人物を取り込み、選挙戦略に長けた人物を参謀にして選挙に挑むと当選の可能性も上がるだろう。

 比例代表はあと1~2議席の上積みが精一杯である。ウイングを広げる場合は、第11期立法委員選挙で当選の可能性がないことを予感しながらも、時代力量(比例得票数35万票)、小民参政おばさん連盟(13万票)、台湾緑党(12万票)、親民党(7万票)、台連(4万票)などに投票した非民進党・非国民党の有権者を取り込んでいくことが重要になる。

 いずれにせよ、小政党にとって生き残りが厳しく新陳代謝も激しい台湾政界で、民衆党は常に前向きな話題を提供しつつ自己改革を進めながら、統一地方選挙を含めて2年ごとの選挙に備えていかなければならない。民衆党はさしあたり2026年の統一地方選挙で県市長の座を1つでも2つでも獲得したいところであり、台湾住民だけでなく、中国や米国、日本などの注目を集めていくことになるだろう。



[1] 「創黨逾20年 新黨現有黨員剩五百多人」『華視(ウェブ版)』2021年4月19日。〈https://news.cts.com.tw/cts/politics/202104/202104192039115.html〉(最終閲覧2024年2月22日)。

[2] 「台湾知名人士郁慕明:我已在上海打疫苗」『新華網』2021年6月21日〈http://www.xinhuanet.com/tw/2021-06/22/c_1127588326.htm〉(最終閲覧2024年2月21日)。

[3] 「郁慕明:我一直推动和平统一,但如有人搞分裂,我接受被武统」『南方網』2022年8月15日〈https://news.southcn.com/node_179d29f1ce/42fff660dc.shtml〉(最終閲覧2024年2月21日)。

[4] その当選者も、のちに贈賄で有罪が確定し当選無効となっている。

[5] 「台聯黨主席劉一德宣布請辭 將召開中執會建議解散政黨」『自由時報(ウェブ版)』2024年1月13日〈https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/4551625〉(最終閲覧2024年2月22日)。

[6] 「台聯中執會否決解散案! 周倪安代理主席 年後改選」『三立新聞網』2024年1月30日〈https://www.setn.com/News.aspx?NewsID=1420628〉(最終閲覧2024年2月22日)。

[7] 若林正丈『台湾海峡の政治』田畑書店、1991年、27頁。

[8] 「臺灣民眾臺灣人/中國人認同趨勢分佈(1992年06月~2023年06月)」國立政治大學選挙研究中心〈https://esc.nccu.edu.tw/PageDoc/Detail?fid=7804&id=6960#accesskey-c〉(最終閲覧2024年2月22日)。