何を大切にして生きていくか。

お金、スキル、人間関係...

生きていく上で大事にするものはそれぞれあると思います。

最近の僕において、それはスキルや専門性でした。やりたいことや想いは大事だけど、それはスキルや専門性がないとできないからまずはそれらをつけるための時間の使い方をしようと。

(スキルや専門性とはなんぞや?という定義は話すと長くなるので割愛します)

やりたいことはあるけど、それをやるよりもまずはスキルがつくことをやる。その期間をきちんと取ることがやりたいことをやるために必要なんだという判断軸で生きていました。

しかしここ数日2〜3個(いい意味で)モヤっとすることがありました。

最近モヤっとしたこと

①レペゼン地球の動画

色んなところで話題になってたレペゼン地球の動画。インターン先の社長がツイートしてたのをきっかけに見てみたところすごくかっこよかった。(これを見るまでレペゼン地球知らなかった...)

1番心に残ったのが、スキルない状態から自分のやりたいことを本気でやって、やりたいことをちゃんと形にしてる。そして自分はそれをかっこいいと思った。

だけど自分の今やろうとしている生き方としてはちょっと違うと。これでいいのかな?と。

②「本気でやりたいことあるなら今やれよ」と言われる

これはある人と話していて、「本気でやりたいことがあるなら今からやれよ。もし今本気でやりたいと思わないなら、それをずっとやらなくていいんじゃない?」という趣旨のことを言われて、それがすごく心に残りました。

まずは専門性やスキルをつけてからというのもいいけど、その専門性やスキルつくか分からんし、ついても5年後10年後意味あるものかわからない。

じゃあ今本気でやりたいことやれよ。と。

「た、たしかに...」

だけど自分に今「絶対にこれがやりたい!!」という具体的なことがあるか不安だし、スキルや専門性がないままでいいのかな?という不安も大きかった。

③「スキルの価値は陳腐化するし、獲得までの時間も短くなる」と言われる

そして今日、ある人と生き方の判断軸の話をしていた時に「スキルの価値が陳腐化するスピードが早くなるし、獲得までの時間も短くなるからね〜」という趣旨のことを言われる。

「た、たしかに...」

あれあれ?じゃあ自分の今取ろうとして選択。というよりもその判断軸ってそのままでいいのかな?という思考がより強くなる。

スキルを一生懸命つけたところでその意味がなくなるかもしれないし、そうなった時に自分はどう思うのか?

クリリンのことが頭に思い浮かぶ...

その時僕の脳裏に浮かんだのはクリリンでした。

彼は地球人ながらも、多彩な技を身に着けフリーザ編辺りまでは第一線で活躍します。(フリーザには太陽拳と気円斬で善戦してた)

しかしセル編以降は、基礎戦闘力がダンチな敵に圧倒的に倒されてしまう。(セルとかセルジュニアとか...。)

その人生は僕がスキルを大事にして生きた結果、行き着く未来の先なのではないか?と思いました。

(しかしクリリンが努力してきた過程は偉大だったし、その後彼は18号と結ばれます。18号と結ばれる前に殺されたまんまだったら「おれ、一度位女の子と付き合いたかったなあ」とか言ってそうですが)

スキルを追い求める=破滅ではない

断っておきたいのが、スキルを追い求める=破滅ではないし、スキルや専門性がいらないと思っているわけではありません。

スキルを追い求めて成功するパターンもあると思っています。

①何かしらのスキルを極めるパターン

クリリンは色んなスキル(技)をつけていましたが、対照的に悟空はかめはめ波1本で戦っています。

天津飯にかめはめ波が効かない!ということが判明した後もかめはめ波を愛用し、かめはめ波で地球を壊せる位に。(厳密に壊せるのかは知りませんが。壊せそう)

つまり現実でも、なにか1つもしくは複数のスキルを極めることができれば、それで生きていくこともできるのではないか。

例えば翻訳とかデザイナーでも、上位1%とかに入っていればどれだけAI化されても需要はあるだろうという部分と近いかもしれません。

②スキルを伸ばすことが楽しいパターン

何かしらのスキルや専門性を伸ばすこと自体が楽しく、それが手段になるパターンもあります。

このパターンはなにか目的のためにスキルをつけるというよりも、スキルをつけること自体が目的になっているという具合です。

(もしかしたら、②の人が結果①になるという説もありますが、一応①②と分けて書きました。)

自分の場合は?

僕の場合は現状①②のどちらにも当てはまらないし、当てはまりたいとも思いませんでした。

スキルを伸ばしたいという欲求が無いわけではないですが、どちらかというとそれは手段で、宮﨑だったりが目的としてあるという具合です。

じゃあスキルを第一の判断軸にして選択肢を選んでいくのって損じゃない?と思い始めました。

現在就活中なのですが、選考を受ける場所もやりたいことができるところよりも自分のスキルを伸ばせるか?を重視して選んでいました。

だけどそれで、3年後5年後に何も残らなかったらすごく後悔するなあと...。

ではスキルよりも大事なものってなんだろう。

やっぱり今やりたいと思っていることなのかもしれません。

今まではスキルを理由に蓋をしていたやりたいことをやってみる、その経験を通して自分のことを知っていったり、スキルを伸ばしていくというやり方の方がこれからの時代や長期で見た時にいいのかもしれません。

結論どうするか

そんなことを感じましたが、結論として今やってることやこれから取ろうとしている選択は大きく変わりません。

しかし残りの学生期間の過ごし方や働く場所の選び方は変えてみようかなと思います。もうちょっと何がやりたいか?という軸を強くして考えてみます。

もちろんだからスキルがいらないとは思ってないですし、できることは増やしていきます。しかしその中でもスキルならなんでもいいわけじゃなくて、できたら賞味期限が長いもの、もしくはスキルを学習する時間を短くする考え方をつけていけたらいいなと思っています。(知恵と呼ばれるものかもしれない)

結構自分はやりたいよりも必要かどうか、という観点を大きめに考えてしまうのでこれで小さい意思決定がだいぶ変わりそうです。今までは良い意味でも悪い意味でも自分に蓋をしていたんだなと思います。

あと自分がやりたいことは具体的じゃないし、やってみたいけど蓋をしていたことがたくさんあるので、そういうことをやるために休学してみたりするのもいいんじゃないかなと思っています。

行きたい場所もあるし、やってみたいこともあるし、住みたい場所もある。

けどスキルを理由にやらないでいた。

これを1〜2年後に気付かないで今気付いてよかったと思いますし、気付かせてくれた周りの方とレペゼン地球にはすごく感謝しています。

そして最後に最近心に残ってる言葉を書いて終わりにしたいと思います。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」っていう言葉があるじゃないですか。これ僕は愚者だなあってすごく思ってたんですよね。

だけどある人と話して、「これは社会や大局的な局面についての洞察を歴史から学べるということであって、個人の未来についてはこの限りではない」という趣旨のお言葉をいただきました。

確かに、社会については過去のデータの量がえげつないし、ある程度パターン化しやすい。だけど個人においては過去のデータが少ないし、パターン化もしづらい。

あらためて自分の気持ちに蓋をせずに、やってみたいことをやるというのは大事だなあと思いました。

そんな感じでまた自分について知れたので良かったなと思っています。このnoteが誰かの考え方の参考になったりすればいいなと思いながら長々と失礼しました。

(あくまで考え方や人生についてのスタンスは人それぞれだと思うので、このnoteと違う考えの人をとやかく言うつもりはありません。)


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